花
『記念日でない日にもお花をどうぞ。』
「そういえば、草若ちゃんこういうのええな~、て言うてた気がするわ。」
お前はそれ僕に聞かせて何期待してるんや、とは言うたが最後の藪蛇になるような気がしたので、齧っていたパンと一緒に牛乳で飲み込んだ。
朝一番に見たコマーシャルは、眼鏡を掛けさせて野暮な見かけになったふたりの男女が、鮮やかな色の花束を贈り合った後に、その花束の色のスーツとドレスとを纏った美男美女に変身するという、やけにドラマティックなつくりになっていた。
そもそも、ただ眼鏡を掛けたくらいでは隠せない生来美形の男女ふたりというなら、まあ洒落たプレゼントを贈るにも躊躇がないやろうな、というのが、世間のその辺に転がっている四十がらみのおっさんの初見の感想ではないだろうか。
僕かて若い頃はまあまあ鳴らしたこともあったにしても、今は所謂こぶつきやもめというヤツや。もうあの頃の自分からしたら、燃えカスみたいなもんやろう。
そもそも、花なんか買うてきたところで、生ける花瓶がないで、と言いたいところやけど、ここに引っ越して来る前の草若兄さんの荷の中には、ひとつおかみさんが残した花生けがあるはずで、納戸として使っている小部屋に仕舞ってある。
アレをわざわざ奥から出すのもまあ手間といえば手間で、かといって新しい花瓶を買うのは物が増えるだけという気持ちがある。
お前はどう思うんや、と聞いてみた。
「え? 僕?」
「そうや。」
「お父ちゃんも、身に覚えがあるんとちゃう? こういうの女の子やったら嬉しいのかもしれへんけど、食べられへんもん貰ってもな~、て気持ちになるばっかりやと思うけど。」
こまっしゃくたれた講釈を垂れる子どもは、そこらの若い女と育ての親を同列にしているその言葉の可笑しさには気づいてないらしいようだった。
そうやな、と相槌を打つと、「花を贈りたい人の気持ちをからこうたりはようせんけどな。」とこまっしゃくたれた顔で付け加えた。
「学校で何かあったんか?」
「学校ではそんな話は出て来うへんわ。皆、テレビで流行りのアイドルの話題とかばっかりや。」
僕の時代は高校生にならんとそこまで話題にはなってはなかったと思うが、今は小学生がアイドルのことを知りたい時代らしい。
「落語家は話題にはならんか。」
「今のガッコでは授業で父の日の作文がなかったから、お父ちゃんが何やってるのか知ってる人もそんなにおらへんよ。けど、PTAでちょっと口軽い人がいたら分からんな、とは思てる。」
「PTAか。」
「前のガッコのよっちゃんのお母さんがPTAやったでえ、どこどこのうちの下の子がまだしゃべられへんとか、きょうだいが煙草吸って停学なってるとか、そういう話を、僕らがゲームで遊んでる間に、ようしてるねん。」
「子どもに聞かせてるてことか?」
「ちゃうよ。なんや電話で、お友達の人に話してるてこと。相手も知ってる人かどうかは分からへんけど、いつまで経っても話の種が尽きへんで、終いには僕らもふたりしてゲームもせんと聞き耳立ててることになって。僕びっくりしたんやけど、大人になっても、友達っておるんやなあ。お父ちゃんの知り合いて、草若ちゃんのお父さんからの知り合いばっかやろ。人が大人になったら、子どもの頃の友達付き合いなんかは、すっかりのうなってしまうのかと思ってたから。あと、あの、あれ、なんやったっけ。昔っから、人の口に戸は立てられぬ、て言うやん。あの諺、思い出した。お父ちゃん、あれほんまにおかしな諺やと思わへんか? 戸を立てたかて、声は通るやろ。外国のお城みたいなごっつい戸ぉやったり、防音のサッシならともかく、日本や中国にはそんなもんなかった時代やし。」
「そらまあ、そうやな。」
子どもの話が妙に長い。思い出したくはないが寿限無寿限無と唱える男の顔が頭に思い浮かんだ。
「無駄話してたら、学校遅刻するで。」
「無駄なことないけど……やっぱり草若ちゃんの合いの手がないとあかんな。お父ちゃんて、ただ聞いてるだけやねんもん。」
「それ僕のせいか……?」
「聞き流してるのとはちゃうのは分かるから、どっちかいうといい聞き役の方やけどな。」
「うちではええけど、外で大人にそないな口聞いたらあかんで。」
「わかっとるて。お父ちゃんも、草若ちゃん相手にするくらい余所の人には気長に待ったげなあかんよ。」
「……。」
子どもに何をどんな風に言われようと、草若兄さんの寿限無の稽古に横で付き合わされていた時代に比べたらまだマシ、というところか。
あの頃の草原兄さんと草々兄さんの口と逃げ足の速さを思い出すと今でも新鮮に腹立たしい。
草々兄さんなど、オレは今から鼻毛の落語を聞きに行くなどと訳の分からないことを口走って脱兎のように逃げ出したこともあった。
言い訳にしてももっとまともな言い訳をしたらどうかという言い逃れようで、後になって、そういうしょうもない綽名を付けられた落語家がいることを知った。かつての脱力するような記憶をたどっていると、まあ僕は恵まれてる方やな、と子供が横で呟いた。
「草若ちゃんも、草若ちゃんの近所のおばちゃんたちも、みんないつも僕の話楽しそうに聞いてくれるやん? ガッコやと、流行りのアイドルの話とか、センセの話を面白がって聞かなあかんことになってるから、ほんま、全然楽しいことない。昼からずっと寝床におった方が、まだ社会勉強になるし面白いて思うんやけど。あ、この間な、僕、バイトしたいて言うたら、お咲さんにあと七年ほどしたら考えてもええよ、て言われてしもた。僕、草若ちゃんよりは大人やと思うんやけど、精神年齢ではあかんのやて。」
「面白うのうても、ガッコは必要やからな。人の話聞くのも修行のうちやで。」
「人の話を聞くのが、落語家になるための修行ってこと?」
それ、逆とちゃう、と言わんばかりの顔になった子どもに、「……まあそうや。」と知ったかぶりをした大人が頷く。
「ふうん。そしたら頑張るわ。」
そう言って、子どもは皿を片付けてから元気に家を出て行った。
なんやこれ、という声が聞こえて来た。
どうやら、仕事から帰って来たばかりの兄弟子が、玄関にある花生けに気付いた様子だった。
脱いだジャケットを玄関に掛けて、「明日の弁当の菜買って来た。」と言って野菜や練り物の入った袋を差し出すのを受け取ると、ちらちらと玄関に目をやっている。
「なあ、どっからあの花持って来たんや? お前、今日は仕事とちゃうやろ。」
「まあそうですね。」
「まさかこの年になって落語会の手伝いして若手の仕事奪ってんのとちゃうやろな……忘れてへんと思うけど、もう四十の坂も下りまくりの年やぞ?」
疑りの視線で見られて余計なことを言い返しそうになった。
ここで『妹弟子と連れ立ってパフェ食べに行った写真をネットに上げてる人に言われたないですけど、』と口を滑らせたが最後、いつものヘッドロックの洗礼が待ってるという訳だ。
指折り数えて三日の無沙汰をしていた後の接触は妙な方向に効いてしまう可能性がある。
まあ僕はそれで構へんけどな。
「おかみさんの花生け、ずっと使ってなかったなと思いまして。」
「ああ、そういえば明日やったな。」
月命日という言葉を使わないのか、覚えてへんのか。
兄弟子は一瞬だけ懐かしい何かを見ているような顔をした。
「なんや、たんぽぽに似た花があるなと思てた。」
「たんぽぽ摘んで来てもええですけど、わざわざ俺の真似せんかてええ、て師匠に怒られそうですから。」
「まあそうやな。」
それやったら、玄関やのうて、どっかこっちの方の茶の間に置いといたらええんと違うか、と。人の気もしらない男はぼんやりと笑っている。
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