相談

「そらもう落語家に弟子入りするとか理不尽なことばっかりやで~。内弟子の修行してる間は酒と煙草は禁止。家事は掃除洗濯炊事て仕込まれてから、どこへなりと好きにしい、て放り出されて次は貧乏修行。落語家の修行しながら続けていけるバイト探して、ほとんど一生貧乏神と旅してるようなもんや。」
「へえ~。お酒と煙草は禁止でええと思うけど、貧乏は辛いな~。」
草原兄さんが話す前で、子どもが熱心にメモを取っている。
「そらまあ、酒も煙草も今時金ばっかり掛かるけど、噺で御隠居さんがお酒飲んだり、煙草を吸ってる仕草があるさかいな。」
「煙草て、でもあれキセルですよね。昔の煙草って今の人でも吸ってないし、お酒も、徳利とお猪口に入れてあるの、皆ビールで乾杯してるときに、男の人でもようやらんのと違うかな……?」
「お、よう気が付いた。オチコは落語家の素質あるな。」
「またオチコて言うた~! 草原おじさん、はいこれ……!」
「なんや、このイカ串の空き箱、えらい百円玉入ってるな。」
「オチコて言うたら、ここに百円入れて貰います。これが全部溜まったら、草若ちゃんみたいに小浜のうちまで傷心旅行に行くねん。」
「あ~、二人癖のあれか! こらまた懐かしいな。」と草原兄さんは、もう既に百円玉が三十枚ほど溜まっている、初代イカ串の空き箱をじゃらじゃらと鳴らしている。
「そんならオレも、カンパしよか。」と言って、ポケットの中から小銭入れを出している。「お、いい感じに五百円玉あったわ。今日はこれでお父ちゃんとお母ちゃんの失言は堪忍したりや。」
「仏の顔も三度までってことやね。」
「四度とちゃうんか?」
「お父ちゃんが、今朝言うてしもたん。『オチコ~、はよ起きて来なさい! お母ちゃん角出すで。』って。お母ちゃんのことダシにせんかて、自分で角出したかてええのに、なんや私には甘いんです、お父ちゃんて。お母ちゃんにも普段からそのくらい優しくしたってもええのに。」
ふう、とため息を吐いている。
「お、そこで扇子をこう持って、今のため息吐いたら、大体煙草の場面うまく出来るで。オチコはなんや落語家の才能あるんとちゃうか」
「え~、ほんまですか!?」
「ほんま、ほんま。」と草原兄さんはにこにこしている。
はあ~、さすが、落語教室の先生してるだけあるわ。褒め方が堂に入ってるなあ。
「すいません、草原兄さん。子どもの相手してもろて。」と入れたばかりの緑茶を出した。
今日は、ちょっと下の水屋からティーバッグを取って来たので、まだ綺麗に出てるな。ちゃんと緑色や。
「学校の宿題も、なんや母の日のお母さんへの感謝とか、お父さんの仕事の書くとかそういうのとはちゃうねんな。」
「そうなんです。時代ですねえ。」
なんや五月と六月は何でもいいから大人のしてる仕事で二本の作文を書くことになってるの、と子どもが言うので、今日は落語の先生をやってる草原兄さんの話を聞くことになった。
『家の人がお父さんお母さんばかりではない家庭もあるので、学童のセンセとか、図書館の司書さんに聴くのでもいい、大人の仕事になったみたい。』と聞いてへえ、となった。
私がこの子の年には、製作所で働いて、その後伝統塗り箸の修行で夜の十時になっても家に戻って来ぉへんお父ちゃんに聴かなならんで、ほんまに大変やったから、「お父ちゃんに聴いたら、絶対、最後落語家になるの大変や~とか、お前には無理や、とかそういうお説教になりそうやねんもん。」と言う気持ちも分からないではない。口達者でおかあちゃんを言い負かしたつもりの子どもの我儘に付き合って、草原兄さんにこうしてお願いすることになったけど、やっぱり兄さんらの中では一番の適役だったみたいやな。
草々兄さんいないときを選ぶあたり、私もせこいなあ、と思うけどそうかて、やっぱりちょっとこういうとき子供に聞かれないのは寂しいと思う気もするし……。
「傷心旅行で小浜て、この子もまあ言葉の選び方が渋いなあ。毎日落語聞いてるからか?」と草原兄さんはお茶を啜って笑っている。
「普通におばあちゃんち行くて言う話に、なんでそうなるの、て話ですけどね。何か長い休みの度に顔を出してるうちに小浜の畳の家が気に入ったみたいで。海が近くて、歩いて行けるとこにある、ていうのも好きやて。そない言うんですわ。」
「あの家、ほんとに広いもんなあ。」
「今、寝るときに私と草々兄さんは小次郎おじちゃんの部屋を使ってるので、私の部屋がひとりで使えるのもあって。あの子には、ずっと暮らしてたら目に付いてくるとこが見えてへんのやな、と思うと、なんや不思議な気持ちです。」
「……ずっと暮らしてる、か。」と言って、草原兄さんがお茶碗を置いて真顔になった。
うわ、……なんか草原兄さんの話たいこと、薄々分かる気ぃするんですけど、怖い。
「言うたら、あいつら最近どうなってんのや。」
あ、やっぱそれ。
ちょっと、子どもの前で話してええんかと思うんやけど、草々兄さん席外したタイミングて、あんまりないからなあ。
「なんや、その、四草兄さんて、あの、私も知らんけど、よく女の人と一緒にいてたて聞いてますし、最近見てたらなんや、……。」
付き合ってるていうか、四草兄さんが、手を出してはるんやろな、ていうか、草若兄さんもなんや、満更でもない感じするというか。
口止めされてる話まで草原兄さんに言っていいか、いうとなんか難しいなあ……。
「オレもなあ、なんやなるようになってる気ぃするねん、あの草若の様子見てたら……。」
「分かり易いですもんね、草若兄さんて。」
「お前でも分かるくらいやったもんな。」
うんうん、と腕組みしている草原兄さん見てると、なんやそこまで難しい考える話でもないんかと…。
「それで、や。草々のヤツがいつ気付くか、いう話や。」
「はいぃ。」
ですよね。
草々兄さんは今でも草若兄さんのただひとりの家族のつもりでいるみたいだし。ショックだろうなあ。
「お母ちゃん、それ、もしかして、それ、四草おじさんと草若ちゃんの話?」
「あんた知ってんの?」
「いや、うちは気付いてへんかったけど、なんや相談したい顔してるのがいるねん、一人。私な、ときどき、こうして、こうやって、落語の御隠居さんの真似して聞いたげてんの。」と子どもが仕草をしながら言うのにひえ、と思った。
ああ~あっちの子のこと全然気にしてなかった。
四草兄さんの子やし、四草兄さんが巧いことごまかしてるか、気い付かないふりしてくれて、なんやうまく行ってるのかと。
「こら、えらいやっちゃで、若狭。」
「はいい。」
「オチコ、もしかしたらほんまに落語家の素質あるかもしれん。」
え、そっち?


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