予想
「あれ、あんた仕事もせんと何こんなとこでうろうろしてんの?」
「うろうろて、店の前やがな。」
「菊江はんこそ、あんたこんな日和に仏壇屋を空っぽにして、どこほっつき歩いてんのや。」
こんな日和て、今朝まで雪がちらちら降ってる真冬やで。こんな時期に仏壇なんか……て言うてもしゃあないわ。
「うちはほれ、今日は鍋やから。」と買い物袋を掲げる。
「ああ、いつものとこか。」
そうそう、いつもの魚屋。
今日の夕飯は鍋にするか、と思うたら、思い立ったが吉日っちゅう話や。
「こないして、早めに買いに行かへんと、その辺のスーパーに残り物探しに行くしかのうなってまうしな。」
そらそうや、と磯七さんも相槌を打つ。それにしても、そんな服、どっから見つけて来るんや、と言わんばかりの視線を向けてるけど、四六時中床屋の格好してるあんたに言われたないで……。
あの服から着替えるの、寄席に行くときだけやんか。
「なんかこの辺に安うてええ感じの店が出来たら、オレかて自炊なんかせんと、店に通うのにな~。」
「歩いてってその辺の店に入ったらええやん。」
「あかんあかん。ちょっとそこまでて、どうせ表通りまで出たら、観光客とか出張のサラリーマンでごった返してるわ。今時は、夜も寒いし、道もごちゃごちゃしてるし、ぼられるだけやがな。」と言って手を振った。
「こないだまで、いつもの店に行くて言うてたやんか。」
「それやねん。……おでん出すいつもの飲み屋、なんや地上げにあって潰れてしもたらしいねん。」と眉と声を潜めた。「今は跡地になんやビル建つらしいけどな。それ知ってたら、もっと通っといたわ。……馴染みの店が潰れてしまうて、切ないで、ほんま。」
「地上げなあ。東京だけの話しとちゃうんやな。」
「オレも夕飯、魚の汁もんにするかな~。その豆腐、半分分けてくれんか?」
「あかんあかん。コレ半分残して酒のあてにするんやから、あんたの分なんかあらへんわ。」
「しゃあないなあ。晴れてるし、オレも店終わったら行くか。」
「冬晴れの空の下を散歩するのもたまにはええもんやで。あんたも今から買いに行ったらええやんか。」
「今日はあと三十分で次の客やねん。」
「そうかあ。……そういえば、」
あんたこんなとこで店をほっぽりだして何してんねん、て聞こうとしたら、磯七さんが顔を近づけて来た。
「菊江はん、あんたアレ見たか?」
「アレて何……?」
「ほれ、最近この辺りに買い物かご持ってうろうろしてる若い男がうろちょろしたるやろ。」
若い男?
「いや、見たことないけど。」
「目付きも悪いし、様子がおかしいして皆言うてんねん。」
「皆て誰や。」
「電気屋とかガラス屋とか、駄菓子屋のお花はんも見たて言うてたからな。」
様子がおかしいなあ。
「大体、それがほんまに変質者やったら、買い物かごなんか持って町の中うろちょろするか?」
かごから葱とか飛び出してたら、そっちの方が気になってしゃあないわ。
「そらまあそうやな。」
「あんた、草々くんが草若さんとこのお弟子に入ったときかて、そない言うてたやん。……あ! そういえば、草若さんとこ、とうとうヒトシの次の弟子が入ったんやて。」
「ええっ? 草若のとこに、四番弟子!?」
「なんや、知らんかったんかいな。」
「いや、そうかて、今年はオレ、春から散髪屋協会の取りまとめでちょいちょい夜にも用事が入ってて、ここんとこ草若の寄席行ってへんで。」
「そうかあ。ちょっと前に、うちにヒトシが来て、顔はちょっとええけど大卒で性格が悪いって、こぼしてったで。」
「大卒の弟子か。……草原もまあ学と教養はあるけど、時代は変わったなあ。」
「そうやねえ。語彙が豊富なんやろうね、悪口言うたら言い返すし、目付きも悪いて。」
「目付きの悪い、大卒の内弟子……。」と言いながら、磯村屋さんが腕組みしてる。
「背ェはヒトシより低いて言うてたけど。」
「そら草々と小草若に比べたら、誰かて背ぇ低いわ。」
草々くんと争うてご飯食べてたせいかもしれへんけど、仁志も志保さんに似て、電柱みたいにニョキニョキに伸びたもんなあ。
「あら、菊江さん、こんにちは。」
「志保さん!」
噂をすれば……。
「今日は手ぶらなんやね。珍しいなあ。」
「うん、」と言う後ろから、どうも、とぬぼっとした姿の男の子が現れた。
中肉中背、髪が天然パーマで、目付きが悪くて、ちょっとええ男……の手には志保さんのいつもの買い物かご。
この子か。
「志保さん、今日の夕飯の買い物してきたん?」
「うん、火曜日に牛乳と卵の安うなるスーパー、この子に教えてきたとこ。」
そうやろねえ……籠の中から、もう四つ切りの白菜と牛乳パックが見えてるわ。
……買い物かご?
ぱっと磯村屋さんに視線をやると、こいつや、と言わんばかりの視線を向けてくる。
「あ、この子な、ウチの小草若の次に入った弟子で、シノブて言うの。磯村屋さんも……まだ名前は決めてへんけど、よろしくお願いします。」
ほらシノブ、ご挨拶、と志保さんに言われた子が、「倉沢忍です。」と頭を下げた。
その下げた頭を見て、磯村屋さんが、柄にもなく「あ、どうも、」などとモゴモゴしてる。
「私はそこで仏壇屋をしてる菊江です。忍くん、よろしくな。」
志保さんの前では借りて来た猫みたいな様子の子が、フッと笑って、よろしくお願いいたします、と言った。
なるほどなあ。
ヒトシが毛嫌いするわけや。
この子、きっとヒトシの百倍くらいモテるんやろな。
「この時期に新しい内弟子やて……?」
来年までこんだけ忙しかったら初高座見に行かれへんかもしれん……と仕事のことも忘れて項垂れてる磯七さんに、「皆の予想、大外れやな。」と声を掛けた。
「いや、まさか草若が小草若の後に弟子を取るとは……誰も思わんがな。」
小草若の後、て言うより、不出来な実の子の後、て言いたいんやろうなあ……。
仁志も、草若さんの名前をもろたていうのに、草々くんの陰に隠れるような形で、まあ長いこと、芽の出ぇへんこと。ほんまは落語を気張らなあかんはずの立場で、稽古をするより先に、バイトの方に精出して、お金が入ったらあちこち食べ歩いたり、服買うたり……。
下に弟子がおったら、そういうとこも変わるかと思ったら、ちょっとも変わらへんし。
ほんでも、今でのうても、いつかは何かが変わるかもしれん。
そうなったらええな、と私が思てるだけかもしれへんけどな。
「素性が分かって、良かったやないの。」
「そうやな。新しい年の楽しみも増えたし。草若のとこに、長く居付いてくれたらええな。」
「志保さんおるから、大丈夫やと思うで。」と言うと、オレも仕事頑張るわ、と言って、磯村屋さんは伸びをして戻っていった。
今日はちょっといい酒でも買うてこようかな。
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