ミツナルワンドロワンライ第7回/待ち合わせ
すまない、少し遅れる、とメールが入った。メールの本文には、律儀に到着予定時間も書き添えてくれている。
送信者の名前は御剣怜侍。予想できたことだったので、成歩堂は特に驚くこともなく返信ボタンを押して、了解、と打ち込んで送る。送信完了画面を確認してから、成歩堂は携帯をポケットに仕舞った。
いまだにガラケーを使っている成歩堂の携帯電話にはメッセージアプリなんてものは入っていない。みぬきやかわいい部下たちには連絡に不便だからいい加減スマホに変えてくれと言われているが、成歩堂はまだまだのらりくらりと躱すつもりでいる。それに御剣だってまだガラケー派だ。ぼくばかり時代に遅れているように言われる筋合いはない。
待ち合わせ場所の駅前は仕事や学校帰りであろう人々で賑やかだ。それに、もうすぐクリスマスシーズンなんてやつらしく、夜の街は華やかな電飾で彩られている。日中に少しだけ降っていた雨のおかげでまだわずかに残っていた小さな水たまりに、電飾の光が反射してきらきらと淡い光を増幅させている。成歩堂は近くの柱に体を凭れさせ、なんとなくその光景を眺めていた。
今夜はそこまで寒くなくてよかったなあと成歩堂はぼんやり考えた。多少外で待つことになっても寒さで堪えることはない。駅前ということもあって、近くには自分と同じく待ち合わせらしき人たちが沢山立っていた。携帯電話――多くの人はスマートフォンだ――を見て時間を潰す人、待ち人を見つけて手を振る人。そんなさまを見ながら、こんなありふれた光景と同じように、ありふれた友人同士のように、御剣と待ち合わせをしている自分を暇つぶしに客観視してみて成歩堂はなんだか妙におかしいような気分になってしまった。
自分が一度、弁護士バッジを失う前は。
あの頃は自分が弁護士であり、あいつが検事であるならばどうしたって必ず法廷で会えると、根拠もなくそう信じていた気がする。実際には御剣は海外を飛び回っていた時期も長かったので法廷で相対する機会は多くはなかったが、それでも、御剣に会うために弁護士になって実際にああやって会えたからこそ、きっと自分はより強く信じていたのだと思う。
だからこそ、あえて法廷の外で約束をして会うなんてこと、あの頃は案外ほとんどなかったのだった。
法廷で会うために弁護士になって、法廷で会えるからと会わなくて、――そして、自分が一度法廷を去ってからだ。こんなふうに御剣とあえて約束をして会うようになったのは。
法廷で会うという手段が失われて、関係性の糸が解けてしまいそうになった時に繋ぎ止めてきたのは意外なことに御剣からだった。あの頃の自分にはそんなふうに手を伸ばす余裕も勇気もなかった、とも言えるけれど。
とにかく、そんなふうに繋ぎ止められた関係性は気付けば何年と続いて、そして成歩堂が弁護士に復帰した今に至るまで継続している。
(最初の頃は、色々と理由を探してたっけね)
何度か会ううちすっかり御剣にも懐いてくれたみぬきのためにと、みぬきのマジックショーを一緒に見に来てくれなんてことを誘い文句にしたり。そんなふうに説明のできる理由をいちいちつけたりもしたのだが――もちろんそれも本心ではあるが――、最近では特に理由もなく、そして理由も聞かず、こんな風にただ二人で飯に行くことも自分たちにとって日常の一コマになりつつあった。
あの頃、こんなふうにあいつと待ち合わせするなんて、全然したことなかったな。そんなことを心の中で呟いて、成歩堂は自然と口元をわずかに緩ませていた。
(……まるで、幼馴染みをやり直しているみたいだ)
幼馴染み、と普段言ってはいるが、あの頃御剣と友人として過ごしていた期間は実のところほんの数ヶ月だ。
そして再会してからも、御剣とは法廷や事件の調査現場で会うことばかりで、一般的な「友人」や「幼馴染み」と言うにはそんなふうに過ごした時間はあまりにも少なかったかもしれないと今更になって気付く。
御剣は自分の立場やTPOを弁えた振る舞いはするが、裏表はない男だ。だから法廷の中でも外でも大して変わらないが、それでも、法廷の外で会えば厳しい検事の顔とは違う柔らかい表情をふと見せてくれることがあると気付けたのはここ数年のことだ。そういうとき、あいつの年々深くなるばかりの眉間のヒビも多少薄く見える。
年齢を重ねて少しは丸くなったのか、それともぼくが法廷の外の御剣をあまりに知らなさすぎたのか。その両方かもしれない。
検事局長にまで登りつめた御剣はとんでもない忙しさのようで、検事ではない自分も噂程度には聞くし、先日たまたま裁判所で会った牙琉検事からもお墨付きだ。最近では不正を働いていた検事の首を一斉に切るだなんて検事局内の改革も行ったらしく、人が減った分さらに御剣の仕事も増えているとのこと。想像するにおそろしい。閑古鳥も鳴くのに飽きるくらいの暇さが日常であるウチの事務所とは大違いだ。
――それでもこうして、何回かに一回は成歩堂の誘いに乗ってくれたり、時間が空いたらしい時は御剣からも誘ってくれたりするのが嬉しい。
駅の方から電車が到着する音が聞こえて、少しして駅から人が続々と出てくる。駅前にいた何人かは待ち人を見つけて、ぱっと顔を明るくし、連れ立ってそれぞれ歩き出していく。成歩堂も駅の方をちらりと見たが、御剣は移動は電車ではなくもっぱら車派だったことを思い出し目の前のロータリーへと目を向けた。いつもの真っ赤なスポーツカーはまだ見えない。
(さて、御剣はどんな顔して現れるかな)
きっとあいつは殊勝な顔をしてまず遅刻を謝ってくるだろう。そんな御剣を想像して、少し笑えた。本人の前で笑ってしまえばまず怒られるから本人の前ではできないけれど。この笑いはあいつのそんな表情が面白いからというだけじゃなくて、……なんて説明したって本人には分かってもらえないだろうが。
自分にも他人にも厳しいで有名なあの天才検事局長殿が、こんなふうにありふれた時間をぼくと過ごすために急いで待ち合わせ場所に来てくれること。十数分の遅刻ひとつでぼくにそんな顔を見せてくれること。この感情は、そんなことへの優越感。
こんなふうに、当たり前みたいに、あいつにとってきっと一番近い場所にいられることに対しての。
腕時計をちらりと確認する。御剣がメールに書いていた到着予定時間まであと少し。それまでにこの表情をどうにかしておかないと、なんて思って成歩堂は少しだけ気を引き締め直し、再び顔を上げてロータリーの方を見た。
遠くに小さく赤い車を見つけたのは、御剣が書いてきた時間ほぼきっかりのこと。成歩堂を見つけ車から出て、雨上がりの道をずんずんと歩いてきた御剣はやっぱり成歩堂が想像していた通りの顔をしていたものだから、成歩堂はまた笑ってしまわないように苦労したのだった。
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