つごもり



今年もあと二か月かと思いながらカレンダーを捲っていると、「洗濯終わったで~。外もうどえらい寒いわ。」と、どてらを着てもこもこになった兄さんが外から戻って来た。
師匠のどてらは今でも現役である。
ダサいだのアレはおっさんの着るもんや、だのと散々ごねてたくせに、物持ちがいいわけでもない兄さんが捨てずに仕舞っておいたのを不思議に思っていたら、気が付いたら秋が深まる頃には衣装ケースの端から出して、こうして着るようになっていた。
蛙の面になんたらとは良くいうが、こちらがやいやい言えば、しれっとした顔で、そうかて、お前これ捨てるて言うたら嫌そうな顔してたやん、などと人のせいにする。
捨てるなら僕が着たいですと言うのを我慢してたんやから、まあ否定はせえへんけどな。
気が付いたら、子どもも一緒になって、防寒には役に立たないような袖のないちゃんちゃんこを着ているが、これは明らかに例の仮装大会で気に入ったものだと思われる。
「今日もなんやお菓子い~っぱいもろたんや。」
「ええ一日やったな~。」
「な~。」
駄菓子が多いからかは知らないが、ふたりで食べるだけ食べてしまったらしい。
親には分け前を寄越す気はないんかと子どもを見ていると、「お父ちゃんにもこれあげるわ。」とポケットから何かを引っ張り出して来た。
「悪いな。」と言って手を差し出すと、丸くて大きな飴玉がひとつ。なんの変哲もない透明な袋に入っている。
「こんなん、まだ売ってんのか。」
「お父ちゃん食べたことある? これ、飴ちゃんなのに、なんでか口の中ではなかなか溶けへんの。」何が面白いのか、子どもが楽しそうに言った。
ざらめの砂糖がまぶしてある大粒の飴で、舌触りは悪いし、時々舌が切れるのである。
いわゆる『妾の子』だった僕は、こういう駄菓子を売っている店に行こうものなら、逢いたくもない顔に会って、交わしたくもない会話を交わす可能性が高いことを知っていたので、道草をして買い食いする子どもが羨ましいと思ってはいても、自分から出向いて買いに行くことはなかった。
ただ、本屋でやよろづやのような店で売っている菓子だけは別で、文房具を買いに行くついでに、混ぜておいてもさして金額が変わらないような五円のチョコや十円のガム、二十円の飴玉を買ったりしていた。
こんなん想像したほど楽しいもんでもないな、と思いながら帰り道に食べたフーセンガムは、フーセンという名前を持つ割には膨らまなかった。
母親は、子どもにそこまでうるさくいう女でもなかったが、虫歯になると後で自分が困るから、他所で甘いもん食べたらうちがおらんでも歯磨きせなアカンで、とは言っていたので、僕は学年が上がるにつれて、そうした買い食いを止めるようになった。
「日暮亭に行ったらもろたん。他にもチョコレートとかたーーーくさんあったで。」
子どもがベラベラしゃべるのを、その辺で聞いてた草若兄さんが顔色を変えた。
「そんで、他にようけあった菓子は、三人で食べてしもたんか?」
僕の当てこすりのような言葉に、子どもが背筋が震えあがったような顔をした。
別に脅かしてる訳とちゃうぞ、と言うてもしゃあないな。
「………あ、あんな、お父ちゃん。なんか手伝うし。」
「後で虫歯になるで、今から洗面所行って歯ァゆっくり磨いて来なさい。」
「それは夕飯の後でええんと違うかな、」
「今磨いて来い。」
「はい!」と言って子どもは脱兎のように駆けて行く。


「オレも歯ァ磨いて来ようかな~。」と一連の会話の流れに黙っていた男が口を開いた。
「あきません、兄さんおったら子どもの反省にならへんでしょう。」と言うと、兄弟子は口を尖らせた。
子どもも小学校に上がった時点で、常識的な小遣いの範囲でなら子どもを遊びに連れ歩くのは邪魔しませんから、僕の教育方針にはよっぽどのことがない限りは口を出さないと言う協定を結んで線引きをしてあるからだとは思うが、こういう場面でこの人が黙っていられるようになったのも、ここ一、二年のことだ。
まあ、夏休みのラジオ体操で、吉田のおっちゃんです、と子どもに紹介されたのがよっぽど堪えたらしい。
「……あないに厳しい言わんでもええやんか。」
「歯ァ磨かんかったら虫歯になるていうのが厳しいですか?」
聞き分けのいい小さな背中を見ていると、大人が楽になるように子どもを育ててしまったようで気が引けるが、虫歯のために歯医者に通うとなれば、湯水のように金が出て行くことになる、芸人の家におるもんが病気になるということは、親が仕事に行けへんようになるてことや、とは常日ごろから言い聞かせてることでもあった。
「せやから、お前のその物言いがあかんて言うてんのや。」
「僕に悪いとこがあるていうなら改めますけど、これはどこも悪いとこないです。……大体、兄さんは僕にはなんかないんですか?」
「何かて何や……?」
「飴とかガムとか、なんでもええから余ってへんのですか。」と言ってズボンのポケットに手を突っ込もうとすると、ちょう待てやおい、と男は後ずさった。
こういう時に限って、年下の男は、お前そんなええ年して、という顔をするのである。
普段忘れてる常識が、頭の隅から舞い戻って来るらしい。
「お菓子をくれんといたずらしてええとかいう話をしてたんと違いましたっけ。」
「お前もう四十男やろが。」
「今日だけ四歳です。」
こんなん真顔で言う台詞とちゃうな、と頭の隅では思いながらも、別に気の利いた言葉が出て来るわけでもない。
何より、四歳に戻れるもんならとっとと戻って、コレが僕のもんやと言いたいのである。
「……お前そんな適当言うて。」と言いながらも、兄弟子は僕のしょうもない文句でもその気になったような顔になっている。
自分で仕掛けた話ではあるが、そんなチョロくてどないすんねんと叫びだしたいような気持ちになろうというものだ。


歯ァ磨いて来たで、と子どもが戻って来たところで、大人の方は夕飯の準備が全く出来てない。
下ごしらえ前の牛コマとじゃがいもと人参、玉ねぎが、並んでいるばかりだ。
「今日、自分で肉じゃが作ってみるか?」
「あ、カレーとちゃうんや。」と子どもが言った。
「お前がカレーがええていうなら、カレーでもええぞ。」
「せっかくの牛コマやし、僕は肉じゃがでええけど、草若ちゃんは?」
「オレも肉じゃががええな。手伝……、」
腕まくりをしてやる気になった子どもの背を追ってふらふらとキッチンスペースに行こうとする男の手を掴んで引き戻した。
「したら、僕は草若兄さんがちゃんと歯ァ磨いてるか横で見といたらんとあかんからな。」
「おい、四草、」
「横から手ぇ出したら、子どもの成長に良くないですよ。」
「いつまで経っても成長せえへんヤツに言われとうないわ。」
したら行きましょう、と手を引っ張ると、「……後で草若ちゃんが手伝うたるから、な。」と往生際の悪い兄弟子がデカい声を出した。
肉じゃがが煮えるくらい風呂に籠る予定ですけど、とは、……まあ今は言わん方がええな。

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