煙に巻く

 星奏館旧館、『Crazy:B』の居室。今となっては必要のなくなったこの部屋の二段ベッドにて、HiMERUは小さくなって丸まっていた。MDMが終わってからというもの、それぞれに新館の寮室を割り振られた『Crazy:B』の面々は(玲明寮の桜河を覗き)ぱったりと旧館を利用しなくなった。まあ、元々ALKALOIDの彼らのような仲良しこよしの共同生活になんて向かない自分達は、体の良い荷物置き場くらいにしか使っていなかったのだが。
「……」
 HiMERUがここで眠る羽目になったのは、夜が更けるまで七種副所長の雑務に付き合わされたからに他ならない。「同級のよしみで何卒! 親友を助けると思って! お願いしますよHiMERU氏〜?」と事務所の外にまで響く大声で縋られてしまったら、さしものHiMERUも振り解けなかったのである。まったく、誰が親友だ。そんなものになった覚えはない。
 部屋が新館に移ったからといって、HiMERUの生活は変わらない。いつもの賃貸に帰って、ゆっくり湯船に浸かり、選び抜いた基礎化粧品で肌の手入れを抜かりなく行って、気に入りのパジャマに袖を通し、ふかふかのベッドで眠る。すっかり身に着いたルーティン。
(……眠れない)
 HiMERUは居心地の悪さにもぞりと寝返りを打った。旧館のベッドの布団は硬くて嫌いだ。身体が資本のアイドルをこんな場所で寝させるなんてどうかしている。この場所に対する文句なら百個でも二百個でも出てきそうだ。とはいえ、新館での共同生活に馴染むつもりも更々ない。やはり自分で選んだものだけで構成された自分の部屋が良い。
 ――カチャ、キイ、バタン。
 不意に扉が開いて閉まる一連の物音を聞きつけてHiMERUは身を固くした。咄嗟に頭まで被った布団の中でスマートフォンの画面を確認すると、今は午前四時。まだ夜も明けていない。こんな時間にこんな場所に、人がいるはずなんてないのに。
「ヒエ⁉ め、るめるかァ〜脅かすなよォ」
「――、天城?」
 意を決して布団から起き上がり、端末のライトを向けた先に浮かび上がったのは、自分のところのユニットリーダーの姿だった。互いに予想だにしない形の邂逅に暫し呆然とする。少し落ち着いて天城の手元を見やれば、彼はコンビニの白い袋を提げていた。さほど興味も無いのだけれど、一応礼儀として尋ねてやる。
「何をしているのですか、こんな時間に」
「そりゃァこっちの台詞っしょ」
「HiMERUは、見ての通り休息を取っていたのです。訳あって」
「……あ、そ。俺っちはァ〜パチで勝ったから祝杯上げてたら飲みすぎちまってェ、しばらく公園のベンチで寝てたっぽくて今帰ってきたとこ」
「うわ、クズ」
「ぎゃはは、ちげえねェ!」
 心なしか少し足元の覚束無い天城はフローリングにどさりと座り込んでビニール袋をがさがさと漁った。出てきたのは缶ビールに、缶チューハイに、ワンカップ。それから。
「――煙草」
「あ〜、わりィメルメル、他の奴らには黙っといて。寮で吸ってンのバレたらお叱り受けちまう」
 お叱り程度で済むならまだいい方だろう。頭の堅そうな眼鏡の寮監に見つかりでもしたら、説教三時間コースなのではないか。
 ――違う、そうじゃなくて。HiMERUが気になったのはそんなことではない。巧妙に話を逸らされたような気がして、逆にそれが確信へ至る手掛かりとなった。
「嘘をつきましたね、天城」
「へ?」
 カシュ、缶ビールのプルタブを開ける音と天城の間抜けな声が重なった。泡が溢れたようで「うわっとと」とか言いながら慌てて缶に口をつけるところを横目で見やる。図星を突かれて焦ったな。
「煙草なんて普段は吸わないでしょう、あなたは。常習しているなら自前のライターくらいあるはずでしょうに、コンビニの袋の中に今しがた買ったばかりのライターがある。HiMERUにはお見通しなのです。下手くそな嘘はやめたらどうです? ……何かあったのでしょう?」
 言って、黙って答えを待つ。天城は少しの間むくれたような顔をしていた。出まかせを吐いて格好までつけたのに、言い当てられて悔しいのだろう。「何かあったのか」なんて聞かなくてもHiMERUにはわかる、この男はあのMDMで舞台に舞い戻ってきてからも変わらず、汚れ役を一手に引き受けることをやめようとしない。今夜も恐らく何かの根回しに奔走して、歳下のメンバーを守るために自分が頭を下げて、疲弊して帰ってきたのだろう。そんなくたびれた姿を隠すように、人目を避けるようにして彷徨って辿り着いたのがこの仮宿だったのだ。まさかHiMERUがいるとは夢にも思わなかっただろうけれど。
「……わお、さっすが名探偵。弱みを握れて満足かよ?」
「そんな無粋な真似はしませんよ。HiMERUは、空気の読める人間なのです」
「ふうん、そォ……ま、ありがとネ」
 天城はやけくそのようにぐいっと缶を煽った。ふらふらと立ち上がって窓辺に近づき煙草に火をつける。細く開けたガラスの隙間から天へと昇ってゆく白い煙が、この男のちょっとしたルール違反くらい隠してやれないもんかな、などと考えた。
「メルメルさァ」
 ふうと紫煙を吐き出した天城が振り返ってこちらを見ていた。
「なんで俺っちの嘘、見抜けたワケ?」
 意図の読みづらい薄い笑みを浮かべた男の問い掛けにHiMERUは――『俺』は、ほんの少し答えに迷って。
「……あなたが、大切だから、ですかね」
 仕返しの嘘を、夜明け前のまだひんやりとした空気に溶かすように、そうっと舌に乗せたのだった。





(ワンライお題『夜明け前/嘘つき』)

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