音声記録:ルール
それから夏季休暇のあいだ俺は蓮丸を呼び出してよく遊んだ。俺には輝かしい未来も支柱となる存在も無いと思っていたけれど、蓮丸千風と会って話したりなにかをしていると取り越し苦労だと感じられた。同時に、それは彼の人生を虫のように食っているのも同然だと思って気分が沈み、この自身の性悪さを自覚してさらに自嘲的な考えの層を厚くたらしめた。それに俺は背徳行為を通して虚無感に襲われると最終的に感情も現状も自分も相手もすべてがどうでもよくなる。彼の時間を奪っているとそんなふうにぜんぶ投げ出したくなると同時にもっと彼のことを知りたいと求めるのがいつもの流れだった。
<アハハ…だめだよ。それじゃよくない。>
俺にとって重要な存在ができたら即ちその先待ち受けている最終地点は離別に他ならない。それなら人と接触する場合、軽く、きわめてやさしく、適度な距離を保つ防衛方法を用いた方がいい。たとえそうしたくても目をハートにしてメンヘラよろしく相手に尽くすなんて自傷行為と変わらない。
ということを知っていながら俺は彼をわざと傷付けるわるい癖を持っていた。たとえば某日蓮丸千風を自宅に連れて行って直ぐ寝床に倒れてじゃれあいをしたあと俺は顔を離して彼の隣で横たわり「そういえばさ、蓮丸くんはいま彼女いるの?」と訊いた。
「…は、え?」
「俺もあっというまにケッコン考える年になッちゃったからそろそろ精力的に活動始めるべきかもなあ」
まるきり嘘である。めんどくさいよそんなの。
「……ああ、てか、いや……」
蓮丸はおもむろに、俺の顔がちゃんと見えるように背を起こして感情を押しつぶした声でこう言う。
「俺に恋人がいたとしてお前とこんな…ことすると思ってるのか?…馬鹿が」
こんなふうに彼が素直に全部言って俺たちの関係を間接的に説明してくれることが嬉しかった!故に意地悪を言いたくなる衝動に駆られる。そのとき俺はどこまでいけるか試したくなってしまい、「俺はいま二股してて…」という最悪な発言を投下し──付き合ってはいないがそういう関係の知り合いは実際いた──彼の様子を伺うことにした。彼はわずかに固まったあと俺から顔をそらして正面を向いて小さく息を吸ったかと思うとため息をついた。目を閉じてうつむいてそのまま動かない。俺の話が事実なら彼は浮気相手という肩書きがつくことになってしまうわけだからしょうがない反応だろうと冷静な分析をする。俺の意識だけ体から抜け出して二人を見下ろしているみたいだった。俺はさらに続ける。
「ばれなきゃいいじゃん」
「………ちがう、そういう問題じゃない、これは……はあ、…倫理的な、人道的な、……最悪だ、お前……ああ、クソ」
俺が蒔いた種だけれど機嫌を悪くしている蓮丸に若干のいじらしさと、突き放される怖さと寂しさが浮上してきてまたあの虚な気配が俺の背後に迫った。それでどうでもよくなったからふさぎこんでいる彼に抱きついて顔をうずめた。嫌いにならないでよ、蓮丸くんがいなきゃ生きていけないよ、いかないでと心の中で唱えた。蓮丸は俺を離そうとして頭を叩いたり腕を掴んだり喚いたりしたけどそのうち大人しくなった。クソ、クソ、クソ、クソ。という声が彼の背中越しに聞こえてくる。
湯倉 新着音声メッセージ:一件
<ルールを決めなきゃだめだよ。彼を傷つけて自分のために消耗して、自己嫌悪してさみしくなってまた彼を求めてって、はは、馬鹿みたいに悪循環してる。クソが。ほんとどうしようもないな。どこかで線引きをするべきなんだ、道を踏み外さないように。もう二度とくるしまないように、傷跡をのこさないように。あの人をうしなわないように、もうひとりでなかないために けんぜんにいきるために まともでいるために>
?
<なんの話だったかな。ああ、そうだ。それで、こんなふうにして夏季休暇は緩やかに終了しきみはもといた地に帰って俺は「また一人残された」……ストップ。いま、またって言ったのか?ウ、ウウ。アアハハハ!笑えるな。生まれて死ぬまで孤独だって思っているのに。人が…勝手に人の隣にいて安心とかいう幻覚作用を起こしているだけなんだ。へえ、ああこれで俺は無事だ。また何食わぬ顔をしてきみと再会して同じことを繰り返すことを望んでいる。うわあ、最悪じゃん!それって、彼をもっと深いところに連れていくための準備期間もとい自分のための儀式なんだ。…ねえ、いつ死ぬの?だからもう何も考えなくていいんだ。なんだ、よかった、ああ、どうにかなると思った。うわあ、ハハハ!……きみが乗る電車が動き出して、その裏から夕日が忌々しく顔を覗かせた。あの光から飛び出る針が俺の目の奥を刺して痛い。こんなことを考えて帰った。心細い帰路、こんなとき、きみがいてくれたらな。めちゃくちゃ寂しいよ。ねえ、だからさ、つまり、さっきから誰と話してるの?これが俺の思考回路だってどうして言える?誰か、誰かが俺の中に居る!………助けて、戻ってきて、た、助けて、たすけて、あははは…
(ノイズ混じりの鋭い破壊音)
>
:終了
powered by 小説執筆ツール「arei」
33 回読まれています