星をつかまえた夜に

夜の公園でひょんなことから星を見るきらあこ。
2022年の芸カに出られなくてエア芸カで書いたssです。


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「ちょっと寄っていこうよ」
 きららは言って、黄色い車止めの間をすり抜けて、吸い込まれるみたいに入っていった。ちょっとお待ちなさいなと言いながらあこも後を追う。そこは二人が暮らす家の近所の公園で、昼間なら子どもたちが賑やかに遊んでいる場所だ。しかし、すっかり夜も深くなった今はどこにも人影はなく、街灯の白い光が公園全体をのっぺりと浮かび上がらせていた。
「なんかいつもとは景色が違って見えて面白いねぇ」
 きららは楽しそうに笑い声を上げて、今日さっきまで練習していた振り付けで踊った。長く伸びたきららの影は、持ち主にぴたりとくっつきながら地面の上を動き回る。あこも一緒になって同じステップを踏んだ。明るいレッスン室で何度も踊った振り付けなのに、確かにここではどこか違って見えてくるから不思議だ。
 一曲踊り終えると、きららはぶらんこに乗りたいと言って駆け出して行った。それで少し揺られてみたと思ったら、今度は鉄棒の方に行って、くるんと上手に逆上がりをしてみせた。
「まったく、調子がいいんですから」
 言いながらも、公園を二人で占拠しているようなこの状況は、なんだかいけないことをしているようで、あこは少しワクワクもしていた。
「わたくしだって逆上がりくらいできますわ」
 言葉通りにあこも綺麗に一回転を決めてみせる。きららはおお~! と歓声を上げてパチパチと拍手した。
「あこちゃんも上手い~! それとぱんつ見えてたよ」
「にゃっ!? どこ見てるんですのよっ!」
「そんなワンピースで逆上がりするあこちゃんが悪いんじゃん」
「うるさいですわよっ! なんであなたは今日に限ってデニムなんですの!」
「へへ~ん! これなら足抜きまわりだって出来ちゃうもんね。よいしょっと」
 きららは鉄棒にぶら下がると、地面を軽やかに蹴り、腕と腕の間に膝を入れて器用に回転した。あこちゃんもこれやる? なんてニヤニヤしながら聞いてきたので、やるわけありませんでしょうとそっぽを向いてやった。
 不意に風が吹いてきて、木々をざわめかせた。二人の前髪が同じ方向に揺れる。春の夜はじわりと冷たかったけれど、体を動かしていた二人にとっては心地のいい風だった。
「小さい頃、公園で一番好きだったの、まわるジャングルジムだったなぁ。でも最近は見かけないよね」
「そうですわね、動く遊具は危険な事故につながる場合もあるみたいですし、どんどん撤去されていってますわね」
 ここは大きなマンションも近くにあり、それなりに広い公園ではあるが、回転ジャングルジムはどこにも見当たらなかい。きららはしょんぼりしたように小さくため息をついた。
「中に入ってくるくる回るの、すっごく楽しかったけどな。あこちゃんはさ、小さい頃公園で一番好きな遊具って何だった?」
「そうですわね……」
 公園を端から端まで見渡してみる。目に入ったのは、抜群の存在感を放つそれだった。公園の中でも一番背が高くて、子どもたちから絶大な人気を誇る遊具だ。あこはその、赤と青と黄の三色でカラーリングされたのを指さした。
「すべり台ですわね。小さい頃は大好きで、公園に行ったらずっとすべっていましたわ」
「そうなんだ~。楽しいもんねえ。じゃあすべってみる?」
「ええっ!? 今ですの?」
 そう言いながらも、どこか声は弾んでいて、きららに手を引かれて素直にそちらの方へ向かう。
 小さな階段に足をかけて一段一段上っていく。階段の両脇の手すりは思ったよりも細くて、子どもの手でもしっかり握れるようなサイズになっているのだなと気が付く。そう思っていたらすぐに頂上までついてしまった。
「なんか案外小さいんですのね、すべり台って」
「たしかに! 小さい頃はすっごく高くて、上るの大変だった気がする」
 それに首肯して頂上から辺りを見渡した。幼い頃は地面も随分遠くに見えていたように思う。登ったらまず高さを確認して、ここまで自分の足できたんだぞと誇らしくなったりしたものだ。すべり台というのは頑張って登れば絶対に楽しく滑り降りることができる遊具だ。努力の先に素敵なことが待っている。だからこそ自分はすべり台が好きだったのかもしれないと、ぼんやりと思った。
「えいっ!」
 きららが急に両手を上にかざして、ぎゅっと拳を握った。
「なにやってるんですの」
 怪訝な顔でそちらを向くと、きららは思い出したのだと言う。
「小さい頃はね、こうやってすべり台のてっぺんまでのぼってくると、空が近くなったみたいに思えて、こうやっておひさまを捕まえた~ってやってたの」
 きららは天に向かって突き出した手をもう一度開いて、またぎゅっと閉じた。よく晴れた日、こぼれ落ちてきたキラキラの太陽の光を握りしめる幼いきららが容易に想像できて、あこはくすりと笑った。
「あなたらしいですわね。わたくし、そんなこと思いつきもしませんでしたわ」
「えっへん! 真似してもいいんだよ?」
「何言ってるんですのよ。っていうか今は夜だから出来ないでしょう」
 見上げても太陽はどこにもない。しかしその代わりに夜空は雲一つなく、街の明かりでかなり見える数は限られるとはいえ、春の星が瞬いていた。
 きららは伸ばしていた腕を力なく下ろした。綺麗な星空に似つかわしくなく、どこか寂しそうに笑う。
「なんか空、遠くなっちゃったみたい。昔はさ、お月さまの上で寝そべったり、雲に乗って遠くに行ったりなんてことが、頑張れば出来ると思ってたの。すべり台の上までくれば手のひらはあったかくて、おひさまにだって触れてるじゃんって。だからもっと大人になってすごくすごく高いところまでのぼれるようになったら、きっとお月さまや雲にも乗れるかもしれないって思ってた」
 きららの丸い瞳には夜の深い紺色が映っている。星明りは小さく儚い。彼女の頬を煌々と照らしているのは街灯のLEDのいやにまばゆい白だ。
 確かにそうかもしれないとあこも思った。あの頃よりうんと成長して、自分の足でどこにでもいけて、好きなお菓子だって自分で買える。色んなことを学んで、宇宙には重力がないことや月までの距離が38万4,400kmもあることだって知っている。だからこそ、小さい頃のように月の上で寝そべりたいなんて思うことは出来なくなってしまった。あの頃と同じ瞳で空を眺めることは出来ないのかもしれない。
「こうやってね、手を伸ばしても、星には触れないの」
 言いながらきららは再び夜空に向かって手を突き出して、えいっ、えいっと小さな輝きを手中に収めようとするけれど、拳はただ空を切るだけだ。それでもきららは手を振り上げ続けた。一歩、二歩、足を進めながら、時に背伸びやジャンプをして星の輝きを捕まえようとする。
 出来るわけがないと分かっていながら、そんなことを続ける姿は滑稽だろうか? いや、そんな彼女の姿は寧ろ――……
「ひゃあ!?」
 その瞬間、きららは大きく体のバランスを崩した。すべり台の頂上など大したスペースがあるわけではない。きららの足はスロープ部分にかかり、派手に尻もちをついてズルリと下降した。
「ちょっときらら!?」
 あこは慌ててきららの着ているパーカーのフード部分を掴んだが、そのままきららに引きずられて一緒に下まで転げ落ちた。
「わぁぁああああ!!」
「うにゃぁあああ!!」
 きららの背中にあこのおでこが激突し、滑り落ちた勢いもあって、そのままもみくちゃになって砂場にダイブした。
「ちょっと、あこちゃん痛いよ」
 砂まみれになりながら、きららがさっき激突された背中を自分でさする。
「そもそもあなたが足元をちゃんと確認してなかったからじゃありませんの!」
 そう勢いよく言い返したら、舞い上がった砂ぼこりを吸い込んでしまってむせた。奥歯を噛み締めると、ざりと音がする。
「星が」
 きららがつぶやく。そちらを見れば、彼女は仰向けになって両手を広げていた。
「星が、さっきよりもよけいに遠くなっちゃった」
 あこも同じように大の字になって空を見上げる。星々は何光年も向こうにあるのだから、こちらが数メートル違ったくらいで大した変わりはないのだろうが、確かに少し星影は小さく遠のいた気がした。
 指先がじんわり温かいと思ったら、きららのそれと触れ合っていた。冷たい夜風やしんと冷えた砂を背中に感じていても、この温度があれば心もとなくはならない。あこの愛しい煌めき。
 ああ、そうかと思った。
「いつか掴める気がしますわ、星を」
「え?」
 きららは目をぱちくりさせてあこを見た。
「わたくしたち、ふたりでなら」
 そう付け加えると、きららはきょとんとしたけれど、すぐにふんわりとほほ笑んだ。
「そうだね。出来るよね、きっと。きららとあこちゃんなら」
 どんなに途方もないことでも、隣に大好きなパートナーがいれば、いつかたどりつける。そう思える相手だからこそ、ずっと一緒にいると決めたのだ。きっとふたりでなら、月に寝そべることも雲に乗って遠出することもできるだろう。そう思って何が悪い?
 あこは星空に手を突き出して握りしめた。それを見てきららも同じようにする。握った拳同士をこつんと突き合せた。
 そのまましばらく、遠い空の向こうをふたりでじっと見つめていた。遠く、何億光年も先の方を。

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