恋水鏡

ストパニ 玉青×千代です。
静馬×渚砂前提。同じ人を好きで同じように失恋した二人の邂逅です。



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 ーー昔々、山の奥深くに桜の木が1本ありました。
 桜は森にたったひとりで、いつも泣いてばかりいました。
 そんなある日、桜の前に1人の少女が現れます。少女は桜の世話をし、励まし続けました。
 やがて春になり、桜は木にいっぱいの花をつけました。
 ありがとう。ありがとう。桜は少女に何度もお礼を言いました。
 しかし少女はそんな桜に別れを告げます。愛するひとと暮らすために遠くの里へ行くのです。
 桜はとても寂しいと思いましたが、少女には何も言いませんでした。
"自分はここから動けないのだからせめて美しく咲こう"
 そう思って、ただただ花開いたのです。
 どうかこの先、少女に幸あれと願いながら去っていく彼女の後ろ姿を見送りましたーー

 パタン。
 最後のペ-ジを読み終えた玉青はゆっくりと本を閉じた。この前図書館で何気なく手にとった本。とてもとても、美しい物語だと思った。
 しかし、玉青にはどうしても納得できない部分が一つだけあった。
 ーー自分ではない者と結ばれる少女の幸せを祈る
 物語の桜はそれを簡単にやってのけたが、自分には
きっとできないだろう、と思った。
 そう、自分なら。
"いかないで" "私だけの側にいて"
 そう言って引き止める。力づくでも。
 そしてもし、それが敵わなかったら。かなしくてかなしくて、泣いて夜を過すのだろう。
 いや、それは仮定の話なんかではない。
 実際に泣いて夜を過した日は、ある。
 それは渚砂が静馬を引き止めに空港へ行ったあの日。渚砂と静馬の心が本当に強く結ばれた日の、その夜だった。
 本当に幸せそうな2人を目の当たりにして、表面上は笑っていたけれど。その夜は渚砂が寝静まってから、気付かれないように泣いた。泣き明かした。
『2人を祝福し、更に強く咲き誇る』
 今の玉青にはそう思えるだけの強さが、ない。そんなことなど絶対に出来ない、そう思ってしまう。
 しかし、それでいいのだろうか。そんな風に悲しみに暮れたままどうやって生きていくのだ?
 そんなことを考えているとふいに声がした。
「玉青ちゃん?どうしたの?」
 急に名前を呼ばれ玉青は飛び上がった。
「きゃあ!……って渚砂ちゃん!?」
 考えごとをしている間にさっきまで国語の宿題の作文と格闘していた渚砂が後ろに立っていたのだった。
ちょうど考えていた人物がそこにいて何だか後ろめたいような気持ちになる。
「えっと、びっくりさせてごめんね。何してたの?」
「ちょっと、本を読んでいて……」

「へぇ~、どんなお話なの?見せて見せて。」
 渚砂は玉青の手元を覗き込むとひょいっと本をとってペ-ジをめくった。そしてみるみるうちに顔を曇らせる。
「う"ぅ、字がいっぱい……こんなの渚砂、1ペ-ジも読まずに寝ちゃうよぉ~。」
 眉間にシワを寄せて唸る渚砂につい笑みが漏れる。
そうだ。渚砂は渚砂なのだ。何もかもが変わってしまったわけではない。少し遠くなってしまったように感じるだけ……。
 玉青はそう思って、しかし次の瞬間、凍りついた。
「この前だって静馬お姉さまが面白い本を勧めてくれたんだけど、全然読めなくって。結局最後はお姉さまに結末を教えてもらったんだ-。」
「……そ、そう。」
 曖昧に相槌を打つ。
 ーー花園静馬。
 その人は確実に渚砂の心の中にいて。
 気にしないでおこうと思うのに、自分が入り込める場所なんてないとそう思い知らされる。
 前と同じように話していても、静馬のことを話す顔を見ていると分かる。
 嬉しそうに緩む顔。玉青にそういう表情が向けられることはあまりない。あくまで渚砂の中で玉青は"大切な友人"の線を越えることがないからだ。
 もやもやとした気持ちが胸の中をグルグルと回る。玉青は堪らなくなってこう口走っていた。
「そ、そうだ!この本、図書館で借りたんだけれどもう返さなくちゃいけないんだわ。大変、図書委員の方に言われる前に行かないと。ごめんなさい、ちょっと行ってくるわね。」
 そう言って、渚砂から本を受け取り、足早に部屋を出た。
 後ろから「じゃあ、渚砂お昼寝してまってるね-」という声が聞こえたが、振り返らなかった

 廊下を走るような速さで歩く。
 本は貸し出し期限までまだかなりあるはずだった。急いで部屋を出る必要なんてない。
 自分でも分かっていた。これは、逃げだ。さっきのような渚砂の表情を見る度、苦しくて、苦しくて玉青は逃げた。その顔を見ないようにした。そうする以外、この苦しさを鎮める方法を知らなかったから。
 レ-スが縁取るスカ-トの裾が乱れるのも気にせずに、ただただ彼女から遠ざかった。

 廊下の角を曲がろうとしたそのときだった。
 どんっ!!!
「「きゃあ!」」
 二つの声が重なる。出会い頭に誰かとぶつかってしまったらしい。
「ごめんなさい。怪我はなくって?」
 急いで立ち上がり、相手に手を差し伸べる。
「いえ、こちらこそ。私もよく前を見ていなかったので……わっ!!涼水様!?」
 手を取って立ち上がった少女は、それが玉青なのだと気付くと真っ赤になって慌てて離れた。よく見るとそれは同じクラスの子だった。いつも「お昼ご一緒しませんか!!」などと玉青の方へやってくる。
 玉青も学園の中では人気のある存在だ。色々と慕ってくる子も結構いる。その中でも彼女は積極的な方だった。
 しかし、玉青はその気持ちに応える気はない。
「それじゃ。」
 とその場を立ち去ろうとすると彼女は「待って下さい」と振るえる声で引き止めた。
「あ、あのっ、一緒にお茶なんてどうですかっ?今日はお天気がいいですし、さっきテラス席の方を見たんですけど運良く空いていて……」
「ごめんなさい。」
 振り返らずに彼女の言葉をさえぎる。
 好きでもない相手ーーそれが自分に好意を向ける者なら尚更、こちらが偽りの優しさを向けるべきではない。
「これから図書館へ行くの。この本を返さなくてはいけないから……本当に、ごめんなさいね。それじゃ、ごきげんよう。」
 スッと彼女を横切る。
「あ……、ごきげん、よう」
 彼女は俯いたまましばらくそこから動かなかった。

 いちご舎の入り口まで来て、さっきのことを思い返す。
「ずっと断っているのに、まだ諦めないのね……」
 こういうことは結構あった。
 今のような同級生だけでなく、上級生や下級生にも。渚砂が来る前は気まぐれでそれに応えたりしていた。静馬にだって昔誘われたことがある。
 けれど渚砂に出会って、渚砂を好きなのだと自覚してからは、どんな誘いにも応じなくなった。
 恋を知ったから。
 甘くて嬉しくて、でも辛くて苦しくて悲しい、恋を。
 渚砂を好きになるまで、恋することがこんなに辛いものだなんて思いもしなかった。それなのに、自分が恋愛対象にできない人物に優しくしたりもできなかった。
 自分に向けられる熱い眼差し知りながら、まるで見えていないとでも言うようにそれをすり抜ける。偽りの好意を見せることがかわいそうだから、なんて建前。
 好きになれないものはなれない。それでも自分が相手からは嫌われることのないように、最低限の距離を保って平等に接する。本気で自分に向かって来る娘たちに本気で応えたことなんて、一度だってなかった。
 我ながら、ずるくて嫌な奴だと思う。
 渚砂はとても純粋な子だ。
 静馬だって一見して遊び人のように見えるけれど、その心は自由奔放で限りなく澄んでいて、子どものような純粋さがある人なのだとよく知っている。だから、そんな渚砂が静馬を選ぶのも当然のことだったのかもしれない。
 ーー桜の木のように強くなんて、なれないと、はっきりとそう思った。
 ふと、傍らに抱えていた本に目を落とす。この本がこんな気持ちにさせるのか。すべての元凶はこの本。
暗い気持ちがあらぬ方向へと歪んで、理不尽な怒りへと変わる。
「そうよ。渚砂ちゃんにもさっきの子にも言ったじゃない。本当に図書館へ行って、返してしまえばいいんだわ!!」
 思考が一つの方向に定まった。
 無茶苦茶に歩いていた進路を図書館の方に向ける。
そのままいちご舎から出ると、まるで古い城のようなその建物へと歩き出した。

 重い扉をゆっくりと開ける。静まり返ったその空間に足を踏み入れると、カツカツと靴の音がやけに大きく響いた。見るとカウンタ-に見覚えのある小さな影があった。
「千代ちゃん……?」
 貸し出しカ-ドの整理のようなことをしていた千代は、あれ?というようにこちらを見る。
「玉青お姉さま!どうされたんですか?あ、貸し出しならこちらです。」
 そう言って貸出カ-ドを一枚渡す。
「いえ、これを返しにきたの。」
 パタンとカウンタ-に本を置いた。すると千代がぱあっと顔を輝かせる。
「これ……!千代も読んだことがあります!」
「そう、なの?」
「とっても、とってもステキなお話ですよね!!
お気に入りだったのでお勧め書籍のところへ先週置いておいたんです。まさかこんなに早く借りて下さる方がいるなんて思わなかったから……。」
 そういえば玉青はお勧め書籍コ-ナ-でこの本を見つけたのだった。置いたのは千代だったのか。
「確かに、ステキなお話だったけれど……」
 自分の弱さを見せ付けられ、色々と考え込まされてしまった。そんな本を、自分に導いたのは彼女だったのだ。
「玉青お姉さま?」
 俯いた玉青を心配そうに覗き込む。その瞳を見て、そういえばと思った。千代も渚砂ことが好きだったのではないだろうか。
 そうだ。
 そんな千代はこの本を読んでどう思ったのだろう。自分と同じような気持ちになりはしなかったのか。
そもそも、そんな気持ちなるのであれば人に勧めるようなことはしないだろう。
それならば、なぜ……?
「ねぇ、千代ちゃん。お仕事が終わったら一緒にお散歩でもしない?」

 少し陽も傾きだしたところで、ようやく千代の仕事も終わった。2人は乙女園の方に向かって歩く。
「休日までなんて大変ね。」
 少し続いた沈黙を玉青が破った。
「ええ。普段なら土日は司書の先生がきて下さるんですけど、今日は風邪で来られなくて。だから私が引き受けたんです。大変だけど、図書館にいるのはとても楽しいので。」
 千代は少し照れたような顔をして答えた。それを横目に見ながら、本題に入る。
「……あの本のことなんだけど。」
「え?」
「あの桜のこと、千代ちゃんはどう思った?」
 千代は突然問われて少し驚いたようだったが、ふわっと笑った。
「とても強くて、私もあんな風になりたいと思いました。愛する人が自分の側にいなくてもその幸せを願っていけるような人間に……」
 そう言った姿が、あの桜と重なる。
 なんて、強い。こんなに小さい千代でも、もう苦しみを乗り越えているのかもしれなかった。
「私は、そう思えなかったの。そんな風になりたいなんて、思えなかった。」
「お姉さま……?」
「悔しくて。渚砂ちゃんをあの方に盗られたと思うと悔しくて。でも、まだ2人の中がぎくしゃくしていた頃はもしかしたらって思えたのよ。いいえ。そう信じていた。でも、あの日。渚砂ちゃんが静馬様を追いかけに空港へ行ったあの日から、渚砂ちゃんはしっかりとあの方の気持ちを受け止めて応えるようになった。
本当にもう、望みはないんだって知らされたのよ……。」
 歩みを止め、側のベンチにうずくまる。
「でも私は、弱かったから。あの桜のお話を読んだとき、千代ちゃんのように強く前向きに考えることが出来なかった。どうにか隠そうとしていた自分の弱さが浮き彫りになって、怖くなって……。渚砂ちゃんから逃げて、向けられた他の好意からも逃げて、こんな所にいる……私は駄目な人間だわ。花を開かせずに枯れていくような……。」
「いいんですよ。弱くても。」
 ふっと千代が玉青を抱きしめた。
 回された小さな腕があたたかくて、何故だか安心した。
「悲しいことを何もかも跳ね返せる強い人間なんていません。弱くて、いいんですよ。千代だってあの夜は泣いちゃいました。あんなに強く結ばれた2人を見たら、誰だって……。そんな時にあの本を見つけたんです。千代も初めて読んだときは自分の弱さが嫌でした。」
 千代は目を伏せて、自嘲気味に、つぶやくように言う。少しだけ間を置いて、今度はハッキリとした声で「でも」と続けた。
「でも、時間が経つにつれて何だかそんな自分がバカバカしくなってきて。それでこの前、改めてあの本を読み返してみたんです。そしたらとてもステキなお話だと思えるようになって。全部がどうでもよくなって、お勧めコ-ナ-にも置く勇気が出た……千代が強いんじゃないんです。ただ時間が、時間が解決してくれただけのことなんです。」
 そう言うと、千代はにっこりと笑って玉青を見た。
「千代……ちゃん……。」
「だから、玉青お姉さまだってきっと同じなんです。
時が経てばきっときっと弱い自分にさよならできます!……だから、もう泣かないで下さい。」
 そう言われて玉青は初めて自分が泣いていることに気が付いた。慌てて拭おうとすると、千代がハンカチを差し出す。
「こんな所、誰かに見られてたら大変ですね。
千代が玉青お姉さまを泣かせてしまったみたい。」
 いたずらっぽく千代が笑った。玉青も思わず笑ってしまう。何だかとても晴れやかな気分だった。
 内にしまっていた自分を全てさらけ出したからだろうか。以前の玉青なら誰かに、それも下級生にこんなことは言えなかったはずだった。
 でも、千代の言葉はすんなりと玉青の中に入ってきて頑なだった心を溶かしていった。自分で言ったと思えないような本当の気持ちでさえさらけ出していた。自然に感謝の言葉が出る。
「ありがとう、千代ちゃん。」
 そう言って千代の切りそろえられた前髪を書き上げ、白い額にチュっと。触れるだけのキスをした。
「たたた玉青お姉さまっっ!!!!」
 千代は真っ赤になって両手をバタバタさせる。
「他の人には言えないようなこと、千代ちゃんだけに話したんだから。私、家族の前以外で泣いたの初めてなのよ?私を泣かせた責任、ちゃんととってよね。」
 ようやく玉青にいつもの表情が戻る。
「え、ええっと、それはその……っっ!?!?」
「ふふふ、よろしくね。」
 玉青は千代をそのまま抱きしめると上を見上げた。透き通った青い空にはやっぱり雲なんて一つもない。
 胸の内で思う。
 時間、じゃなくてあなたが振り払ってくれたのだと。それも、たったひとことで。
 ーー弱くても、いいんですよ
 いつか本当に渚砂と静馬を祝福できる時がくるかもしれない。玉青はもう、そんな未来を描けそうな気がしていた。

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