ばかなおとこ(たち)
クリント・バートンは巣を作る。誰がいて誰がいないか。見慣れないやつが入り込んでいないか。部屋の隅から隅までを見渡すのは高所がいい。これも仕事の一環としてクリントは高所を陣取ることを許されている。定位置にいくつかの私物があるのはご愛敬。職場は快適であるに越したことはない。
そして今日もクリントは高い位置から全てを見下ろしている。眼下にいるのはかのトニー・スターク。彼の家族と楽しそうに話しながらまるでオーケストラの指揮をとるように手を動かす。指先を動かすたびに光が踊ってパネルに何かの結果が出て、それを見てトニーはまた手を動かし、J.A.R.V.I.S.になにかを話す。クリントがパネルを見ても何が起こっているのかはよくわからないが、トニーの口元が楽しそうに上がっているのはわかる。それを見て自分の口元が緩むのがわかって、思わずクリントは手で覆った。
「見えてるぞ」
カメラを通して見ているトニーがクリントに向かって話しかける。クリントはいつものように口元を結んで自分用に設置されているポールを伝って階下に降りた。
「お前の目じゃないだろ」
クリントの言葉にトニーはおかしそうに笑う。
「この子たち全てが僕の目だよ」
この子たち、と言う彼の言葉には温度がある。クリントはそれに肩を竦めて答えた。
一日の最高気温がゆうに三十℃を超えるのも珍しくなくなった時期、クリントはある変化に気づく。冷たい空気は下に流れる。必然クリントが巣にしている場所は気温が高くなりがちだ。慣れたもので夏場はほどほどに不愉快でそれがいつものこと。だというのに今日は妙に涼しい。こんなことをするのは一人しかいない。あいつめ。
「余計なことするな」
後日トニー・スタークの研究所に足を運んだクリントは彼と顔をあわせて開口一番にそう言った。トニーは一瞬面食らった顔をするが「なんのことやら」ととぼけて見せる。その飄々とした態度についむっとなる。エージェントたるもの感情を制御するすべは十分に身についている。それなのにこの男を前にするとクリントの感情の揺れは著しい。
「なんだキスして欲しいのか?」
トニー・スタークがそんなことを言うのでクリントはその大きな目をきらきらさせた顔を手のひらで雑にべちんと叩いた。速度も強さもない手のひらにトニーが笑う。振動が伝わってくすぐったい。
おかしな話だ。出会ったばかりの頃、クリントはこの男を微塵も信用していなかった。軽薄で天才で不真面目。技術だけは世界一。そんなベールをめくってみればそこにいたのはただの子どもっぽい不器用な男だと、気づいてしまったのはいつだったろうか。クリントの弓を見て無邪気に「すごいな!」とはしゃぐ笑顔を見たときだろうか。
トニーの顔を覆う手は彼にたやすくとらえられた。そのまま指を絡めるようにして、クリントは引き寄せられるのに抵抗しない。
「僕はキスしたいんだけど、どう?」
尋ねているようで彼はもうクリントの答えを知っている。形だけの疑問形だ。めんどくさいやつ。でもクリント・バートンはトニー・スタークにそれをゆるす。弓を射る大切な手をとらえることも、唇で触れることも、ささやかなキスも。
「いちいち聞くな馬鹿」
クリントの返事にトニーは器用に眉を上げる。わざとらしくて、ほんの少しかわいげがある。
「この天才に向かって馬鹿なんて言うやつは……割といるけど……許してるのは君くらいだ」
そしてこの男もまたクリントにゆるしている。ゆるしてゆるされて、妙に心地いい。近づいてきた唇を受け入れる。こいつまた昼食をドーナツで済ませたな。甘い。
けれどこの男はけっこうクリント以外にも許している。ガードが堅いようで一度懐に入れてしまえば甘いところがある。
――本当に俺だけにして見ろ、この馬鹿。
そんなこと口にはしないけれど。きっとクリントがそういえば顔をくしゃくしゃにして喜んで、それから少しだけ困った顔をする。世界に必要とされればそれに応えようとしてしまう男。稀代の天才。クリントの愛すべき馬鹿。
「トニー」
「ん?」
「俺の巣、ちょっと寒い」
「調整しとくよ」
僕のかわいい恋人が風邪を引いたら大変だ、なんて言うからクリントはトニーの唇を甘く噛んでやった。
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