野となれ山となれ


「平兵衛さん。水や。」
窓辺に置いた九官鳥の籠の戸を持ち上げて世話をしている男の白い背中を眺めていると、口が尖って来る。
マメなやっちゃな、とは思う。
そもそも、オレと暮らすより、あの九官鳥とのひとりと一羽暮らしの方が長いのだから、押しかけて来たオレの方が遠慮するべきとこやろな、とは思う。
こないに納得したらええとこなんは重々承知のうえで、気に食わないもんは気に食わんのじゃい、と子どものオレが暴れている。
お湯で濡らしたタオルで、べたべただった身体もすっかり拭いてしまった。こっちはもうさっさと寝たいのに、このアホのせいで、電気も消せん。
はよ寝たいのや、オレは。
寝たいのに、さっきまで散々人の上に乗っかって腰振ってたくせに、終わった途端にこれか、浮気とちゃうんか、という気持ちが湧いてきて、口に出来ない分だけ、不機嫌が募る。
その上、尻はずきずき痛むし、身体も重い。
摘まんで吸われて引っかかれたあちこちがまだヒリヒリするし、口は腫れぼったいし。ごろんと布団で大の字になることも出来へん。
目を瞑ったら後は寝るだけとは言っても、セックスに使った後の布団で寝るのはなんやあかん気がして、こないして身体を重ねた後はいつも、使わなかった方の布団に二人の男がぎゅう詰めになる。冬はまあまあぬくいけど、きゅうくつで、掛け布団もふたつ重ねて使うから妙に重い。
布団にくるまって「おい、四草、いつまで待たせんねん。電気消されへんやろが。」と声を出すと、思った通りいつも以上に掠れていた。
振り返った男は、こちらが動揺してるとこに気付いたのか、口元を緩ませていた。
「先に寝ててください。」
このドアホ。
オレかて、疲れた、もう寝よ、とは思てるけど。
お前がオレの足でけつまづいたら後が面倒やから、こうして待ったってんのに。
声を出そうとしたら、やっぱり喉が妙な調子で、それでも水を飲みに立つ気力もない。
アクエリのペットボトル買って来て、布団のとこに置いといたらよかった。
次からそないしよ、と心の中で思ってたら、四草はいつもは流しに戻してる水差しを手に持って、うまい事オレの身体を避けて流しに戻って、自分のコップで水を飲んでいる。
クソ。
オレより年が上のくせにお前はなんでそないに元気なんや。
恨めしそうな視線を感じたのか、四草は「飲みますか?」と言って空になったカップを持ち上げた。
「おん。」
仰向けになった身体を一度うつ伏せにして、膝と腕の力でなんとかごそごそと身体を起こすと、その間に待っていた四草が、水を入れたコップを持って来ていた。
……これ、お前の飲んでたカップやないか?
まあええか、これだけあれこれしてて、今更、間接ちゅーくらいのこと。
水を飲みたい気持ちの方が勝っているので、気にしてないような顔をしてコップを傾けた。
水道水は不味いが、これだけ喉が渇いてしまうと、冷たいだけでも甘露に近い。
「もう一杯。」と言うと、四草が文句も言わずにおかわりを出してきた。
それも飲んでしまうと、カップを流しに戻した四草が「もう寝ますか?」と聞いて来た。
オレの台詞を取るな。


使い終わったカップを洗って伏せてしまうと、四草がやっと布団に潜り込んで来た。
「電気、消すで。」と明かりを豆球だけにしてしまうと、布団に入った男がちょっとだけ近くに寄って来る。
目を閉じると、さっきの光景がまた瞼の裏にちらちらしだした。
九官鳥に寄り添う、男の姿。
一人と一匹の絵は、どちらが欠けても完成しないことをオレは知っている。
「……お前、オレがおらんようになるより、カラスがおらんようになる方が堪えるんちゃうか。」
寝る前に、文句のひとつも言ったろうと思って口に出た言葉は、でっかい妬心の塊みたいなボヤキで。
やっぱ今のナシ、と言いたくなったけど、口を開けば、ふわあ、と先にあくびが出た。
しゃあないな。
そもそも眠いんやオレは。
「なんですか、それ。」
四草の声には、かすかな怒気が感じられる。
「忘れてええで。寝言みたいなもんやし。」
ちょっと言ってみただけや、というのも言い訳くさいな。
「……比べるようなもんとちゃうでしょう。」
なるほどな。
お前の中で、オレと『平兵衛さん』は比べもんにはならんくらい九官鳥の方が大事と、そない言うんか。
まあそやろな。
しゃべらんかて、こいつと家族やってたのはあっちの方が長いんや。
寝しなに血圧上げると、上手い事寝れんようになるで、と人には無責任に言いたいような気持ちで目を瞑る。
なんか自分の子どもみたいな言い分が今更に恥ずかしくなって、仰向けになった身体を動かして、四草に背中を向ける。
布団の中で丸くなると、四草も寝返りを打ってるような気配がする。
寝よ寝よ、と思ってぎゅっと目を瞑ると、ぺとっと腹の方に手が伸びて来た。
オレの身体を隅々まで拭いてる間に、冷たくなってしまった指先。
「……ひゃ、」
驚いて声を上げそうになって口を閉じる。
「なにすんねん、いきなり!」
お前さっきまでその手で平兵衛撫でてたやろが。
触るなら触るで、ちゃんと洗わんかい。
「おい、四草、」振り返って文句を言おうとしたら、耳元で「次は、ちゃんと迎えに行きますから。小浜で待っとってください。」と小さな声が聞こえて来る。
「……はあ?」
何で小浜やねん、と身体の向きを変えた途端に四草の手が伸びて来て、仰向けの体勢で布団の上に縫い留められる。
四草はあっという間に両腕の中にオレを囲ってしまって、数十分前と同じ体勢になっている。
暗がりの中、真っ直ぐに見つめられて、よせばいいのにギュッと目を瞑ってしまった。
あっという間に顔が近づいてきて、噛みつくようなキスをされて。着たばかりのパジャマのボタンがまた外されて。
おまえ何しとんねん。
もう寝るとこやねんぞ。
今日はもう入れへんからな。
どれも言えずに、オレは布団のシーツを掴んだ。
後はもう、なるようになれ、や。

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