咲き誇る花たち
ユンジュは目を覚ました。死んだと思ったのに。あのスーツを着た男は案外甘いのだろうか。それともユンジュを殺す意味がないのか。それはそれで癪に障る。俺の車が!と叫んでいたから怒りのままに殺されるかと思ったけど。なんにせよ依頼は失敗だ。ユンジュは身を起こす。至近距離で銃を撃たれたからか耳の調子が良くない。けれど命があるだけマシだ。生きているならどうとでもなる。報酬は惜しいが死んだら金は使えない。幸い車も動くようだし、ひとまずここを離れることにする。
オンニ、と自分を呼ぶまだ幼さの残る少女を思い浮かべる。あれは勝者の器だ。できたら死なないでいてほしい、なんて。詮無いことを思った。
数日後、ユンジュは街中のカフェでコーヒーを飲みながら新聞をめくる。スマートフォンやタブレットでもいいけれどそんな気分だった。紙面にはホギョン財団の理事長も、その長男も死んだこと。その跡継ぎには唯一残された娘のガヨンが決まったことが掲載されている。それをとっくりと眺めて、ユンジュはコーヒーを飲んだ。死ななくてよかった、彼女も自分も。
あのふてぶてしいスーツ姿の殺し屋がそう簡単に死ぬとは思えない。長男と相打ちになったかそれともあの坊主頭の男を連れて逃げたか。いまやどうでもいいことだ。なにか食事も一緒に頼めばよかったかな、と新聞を置くとそのテーブルに影がかかる。
「オンニ」
もう会うことはないだろうな、と思う気持ちともしかしたら、という気持ちがあった。正解は後者だったらしい。ユンジュは静かに顔を上げる。こちらを見下ろすガヨンがいた。ほんの数日前に会ったばかりなのに、少し大人になったような気がする。
「何しに来たの、ガヨン」
「迎えに来たの」
「私を?仕事は失敗したわ」
「結果オーライよ。事は上手く転がったし」
「そうね、おめでとう」
ガヨンはテーブルの向かいに座ろうとはしない。ユンジュからの祝福にガヨンはにっこりと笑顔を見せる。綺麗な子だ。
「でも私もうひとつ欲しいものがあるの」
「なに?」
聞いてほしそうだからユンジュは聞いてみる。今やそこまで苦労せずとも欲しい物は手に入れられる少女の欲しがるもの。
「オンニ」
「は?」
「オンニ、私について。母じゃなくて私に」
ユンジュはしばし沈黙した。世の中にはユンジュよりも優秀で、使えて、強く、美しい人材はあふれるほどいる。ガヨンはそれらの中から好きなものを選べる立場だ。
「……高いわよ」
「うん」
ユンジュの言葉にガヨンは嬉しそうに頷いた。それをかわいいと思ってしまうのだからユンジュにそもそも選択肢はなかったのかもしれない。それに、彼女の兄から彼女についたのは彼女が気に入ったからというのもあるのだから。雇い主はかわいいほうがいい。
「一生かけて払うから、ずっとそばにいてね」
ガヨンの傷ひとつない手が差し出される。ユンジュはその手を取って甲を上に向けさせた。
きょとんとしたガヨンを見てユンジュはそのなめらかな肌に唇を落とす。契約は成立した。
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