寝言
乾杯の音頭は草原兄さんが取ることになった。
ビールのコップを一気に開け、ステージに向けられた師匠の遺影の写真立てを見て、感慨深い顔になっている。
「寝床寄席も、今日でもう十周年か。」
こないな日が来るとはなあ、と空になったコップを置いて草原兄さんが涙ぐんでいる隣では、草々兄さんが、若狭にはよ注げとも言わずに頷いている。
「草原兄さん、そら大袈裟でっせ。」という小草若兄さんの声は、妙に冷静だった。
普段通りでないことを示すのは、『底抜けに。』を付けることを忘れていることくらいだ。
「まあまあ、好きなだけ泣かせたり、草原も、小草若のこと心配してたさかいな。」とカウンターで磯七さんが言った。
小草若兄さんは、この二年がなかったかのようにして、いつかのようにトナカイの衣装を着込んでカウンターにいる。
顔は見えないが、きっと泣いてはいないだろう。
「草原兄さん、今日は飲みましょう。」と言って、嬉し泣き寸前のような顔をした草々兄さんが空になったコップにビールを注ぐと「おう。」と受ける草原兄さんの涙は引っ込んでいた。
冷静に見えるが、今夜の草々兄さんはやけに機嫌がいい。
その理由は、ひとつしかなかった。
十年というこの節目の年に小草若兄さんが真面目な顔でトリで出たい、と言うて、あの一昨年の散々だった寝床寄席に対して、ちゃんと巻き返しが出来たからだった。
若い頃に流行ったトムクルーズブームのように小草若ブームもすっかり去ってしまった上に、草々兄さんが終わったら席を出て行って、トリの出番の頃には客席もスカスカになってはいたが、それでも、小草若兄さんも、草々兄さんも、そのことを気にしてはいないようだった。
これが今のオレの実力や、というその言葉に続いて、次の十年を見てろ、と決意を新たにした弟分に、草々兄さんも草原兄さんも、すっかり感じ入っていた。
(『まあ次の二十周年には、順番で言ったら四草兄さんか草原兄さんか、もしかしたら私がトリ勤めてるかもしれへんですよね。』とボケたことを言ったのは若狭だけだ。)
とぼけた話といえば、30代サヨナラ公演とかいう、長いブランクの目くらましのような復帰企画は、結局お流れになるどころか、先に四十になってしまう草々兄さんと若狭を巻き込んでの話となり、豆まきの後で2月のうちにという日程も決まらぬうちに、とにかく会場を押さえてから宣伝しようという話になっていた。それもこれも、草若邸を改装してのリフォーム工事の話が結局、延期になってしまったからだった。
広い大阪で、頼めば一軒くらいは対応できる工務店もあるだろうと高をくくっていたのが大間違いの元で、年明けの三月くらいから始めるには金も足らず人も足らず……どこの工務店も予定が詰まっているということで、あと一年、もう少し他の一門に声を掛けるなりして金策を続けることに落ち着いたからだ。
リフォームの他にも、洒落た内装を考えて貰えそうなとこを選んだ方がええ、というアドバイスが小浜方面……例の女社長に成り上がった若狭の幼馴染からあったらしい。
十二月の年暮れは、師走と言っても落語家は仕事量によっては走るほどでもない、ということの方が多いが、今年は皆、小草若兄さんが戻って来てからの方々への謝罪の挨拶から始まったようなもので、そこからは全力疾走だ。
あちこちに顔つなぎをして、前座でもええからと仕事を貰って、落語会の企画を顔見知りやここらの飲食店に売り込んで、地方の仕事も、交通費が出るなら何でも受けた。草々兄さんなどは、主だった大阪や関西での仕事があり、草原兄さんはカルチャーセンターの講師、若狭はおかみさんとしての仕事をこなしつつの落語会。僕はいつもの落語会の回数を月3回に増やすだけにしたが、小草若兄さんはひとり、日本地図が埋まる勢いだ。詰められるだけの仕事を詰めている。
工事が始まれば、工事の音が響いて寝床にも影響があるだろうけれど、寝床のおかみさんも熊五郎さんも、うちらは大丈夫や、と快諾してくれた。
まあ、秋になってから若狭が実家から大量に持ち込んだ若狭鰈が寝床の新メニューになって、客単価を上げると同時に肴が美味い店ということでどこかのブログに取り上げられて、そこから新規顧客の開拓につながった効果があった……かどうかは僕は知らないが。
そうした井戸端会議のような話をピーチクパーチクと囀る男と暮らしていると、妙な情報通になってしまうのだった。
振返ってみれば、未だに小さいの字が取れてない小草若兄さんとの暮らしがまだ続いているというのが、今年一番の『意外なこと』だったが、この人がほとんど大阪にいない、というのが大きな理由かもしれなかった。
本当に帰って来るのかと思いながら送り出して、帰って来たら帰って来たで、ただ寝かせることが出来ない。
さっさと、除夜の鐘の音でも浴びて、煩悩を吹き消したらいいような気がしてきたが、十二月はまだあと半月が残っている。テレビでは今年ももうあと半月などと言っているが、早く終わって欲しい。
「しかし、初回のチラシなんて、よう取ってありましたね。」と草々兄さんがカウンターでこちらをうかがっている寝床のおかみさんに話を振った。
「初めの頃のだけよ。五年前にキッチンの改装と掃除してる時に片付けてたら奥から出て来たん。二年目になったら、町内でわざわざ宣伝する必要もなくなってしもたけど、最初の頃は、いくつか色の違う紙で試し刷りとか、あちこち貼らしてもらうのにようけ刷って、余りをここの飾りつけに使ってたでしょ。」と言うと、懐かしいなあ、と仏壇屋の菊江さんが言った。
「山あり谷あり、よう続けて来たやないか。」と磯七さんが僕ら全員に言葉を掛けると、「ほんまですねえ。」と若狭が答えた。
「そういえば、今年も、掃除のついでに若狭の誕生日会するんですか?」
「ついでて何ですか、四草兄さん!」
ひどいやないですか、と爆発している妹弟子を肴に飲むのは楽しかった。
「そうやないて。大掃除は全部小草若兄さんと小草々に丸投げしてもろて、僕らがその間に隣で年忘れで飲んでたら、若狭の誕生日に集まる必要もないし、今年はそっちだけで出来るんとちゃうか、て話や。」
こちらの提案に、案の定、夫婦が顔を見合わせている。
「おい、四草! お前なんちゅうこと言うねん。」と後ろから猛反発がやって来るより先に、筆頭弟子の草原兄さんが背筋を伸ばして説教タイムの姿勢になった。
「草原兄さん!」
オレの味方は草原兄さんだけです、と後ろであかんたれのトナカイが鳴いているが、関係ないような顔で草原兄さんは話し続けた。
「今年で最後……ではないにしてもや、小草若と小草々だけに任せといたら、あちこち拭き残しが出るかもわからんで。そうなったら師匠か仏壇前のビリケンさんに俺らが雷落とされてしまうわ。」と言われて、そうですねえ、と草々兄さんが頷いているのに、若狭が「ちょっと、草々兄さん! 小草々くんはちゃんと掃除してくれとんなりますよ!」と食って掛かっている。
その小草々は、明日も岸和田の方で柳宝師匠がトリで出る気楽な若手落語会があるというので、喉をどうにかしないようにと先に内弟子部屋に下がらせている。僕が内弟子をしていた頃とは、すっかり状況が変わっていて、常打ち小屋を優先で考えるとこういう風になっていくものかというところだ。
年月というのは偉大なもので、若狭も、すっかりおかみさんが板について来た。
師匠が見てるなら出てきて欲しいくらいです、とは僕も言わなかった。
「結局、今年も全員で大掃除ですか?」と僕が言うと、草原兄さんは肩を竦めた。
「まあ終わった後の打ち上げの費用くらいは出してもらってもええかもしれんけどな。今は皆で金貯めとる時やからなあ。」
「ええですよ、兄さん。オレが出したっても。」と小草若兄さんは言った。
貯金もろくに残ってないくせに見栄を張っていると思って振り向くと、思った通り、固い顔をしていた。
所作も身体の細さもどこまでもおかみさんに似ている男は、真面目な顔をすると途端に固く見えるところだけが妙に師匠と似通っていた。
「いや、ええわ。お前には師匠が復帰しはった時に散々迷惑掛けたからな。暫くはオレが出すわ。」
「草原兄さん、カルチャーセンターの仕事もずっと続けとんなりますもんね。」
「続ける秘訣があんねん。」
「えっ、そんなんあるんですか?」と若狭が身を乗り出した。
草々兄さんを見ると(お前、もしかして、自分にもカルチャアのセンセが出来るかもと思ってんのとちゃうやろな……)と顔に書いてある。それには僕も完全に同意だった。
「応募開始から早いうちに、事務の人に、受講者の応募状況聞いてな、受講者が少ない時は、次の期間だけサクラになってくれんか、言うて、これまでの生徒さんに声掛けて来てもろとるねん。」
「へえ~、そんなお願いで大丈夫なんですか?」
「これまでの講義で一度もやってない話もまぜて講義するんで、て言うたら、案外来てくれるで。あと、最初のうちに前座話の講義をやって、最後の授業を課外コースにして、希望者には、カルチャーの和室借りて、実地に掛けてもらうとかな。冬や真夏はともかく、秋から始まる講座やと、最後の週は着物着てやるには丁度ええ時期や、てこれが案外好評やねん。」
草原兄さんは、どこから取り出したのか持ちだした扇子で机の箸を叩いた。
「草原兄さん、工夫してはるんですねえ。」
「いやいや、こういうのも全部、オレの仕事を支えてくれとる緑の存在あってこそやで。」
ミドリ~、ミドリ~と吠え出したので、まあええか、ほっとこ、と思うと、磯七さんがお会計、と言い出すのが同時やった。
「そろそろ解散ですかね。」と後ろに座ってひとりで飲んでいる兄弟子に声を掛けると、そうやな、と返事が返って来る。
今日はトリなんやから、師匠が座ってたところにどんと腰を下ろせばいいのに、と思うが、そんな図太い性根があれば雲隠れなどはしないのである。
「若狭、オレが家まで付き添ってくから、草原兄さんの分のタクシー呼んでくれ。この酔いようや、バスではあかんやろ。金は小草若兄さんに出して貰えばええ。」
「おぉい!」と小草若兄さんの吠える声が聞こえて来た。
「しょうがないでしょう。草原兄さんの手持ちの金、このままやと半分タクシーに消えてまうんですから。」
「小草若、オレが出すわ。」と草々兄さんの声。こないして揉めたらこっちがそう来ると思ったから先に話を振ったのに……。
「そんなら割り勘でええか?」と年下の男の固い声が聞こえて来た。
しょうもないプライドは捨てて、今度こそ落語頑張るわ、と言ってはいたけれど、喉元過ぎれば熱さを忘れるというか、落語以外のところでの二番弟子へのコンプレックスはまだまだ健在だった。
「四草兄さん、ええんですか?」と若狭が言った。
「お前は小草々がほんまに寝てるか確かめに行った方がええんとちゃうか。まだこの時間も稽古してたら、お前が師匠に弟子入りした日みたいに湯冷めするで。」
「いや、それは……小草々くんて、私と違て、そこのとこはほんま、要領ええさけ……。」
大丈夫やと思いますけど、と言う若狭に、オレが行くて言うてんのやから、お前はまあ、黙ってハイと言うとけ、と言った。草原兄さんのとこから、節約して電車で帰って来るとなれば、この時間は電車の接続も悪いし、忘年会の頃とあって、質の悪い酔っ払いもようけいてる、とまで言うつもりはなかった。
すっかり三十路で、いわゆる大阪のおばちゃんに差し掛かる年になったというのに、この妹弟子を十代のように扱っているのは僕も兄弟子と同じなのだった。
筆頭弟子に肩を貸して店を出ようとすると、その前にひとこと、と振り返った。
「小草若兄さん、店出る前にそのトナカイの角外した方がええですよ。」
家に着いたときに付けてたら、僕が食ってまいますよ、とは、まあ言わん方がええやろな。
肉が固くて不味そうというか……。
うっさいわい、とこちらの腹の中で考えたことを見透かしたようにして、年下の兄弟子は不機嫌そうな顔でこちらに向け、はよ行け、と手を振った。
布団の外でこないしてみた時に可愛く見えたことなど一切ないのに、なんでこんな関係になってしまったのか、今でもよう分からん。
よっこいしょ、と草原兄さんの重い体を引きずって「すぐに帰ってきます。」と誰にも聞こえないような声で小さく言うと「俺もすぐに帰るでえ。」という草原兄さんの声が聞こえて来て、舌打ちをしたくなった。
十二月の風は冷たく、今年はあと半月を残すのみだ。
年が明けても、工事は始まらないし、仕事も人生も続いていく。
去年はちっとも考えられなかった『来年のこと』に思いを馳せて、やってきたタクシーに草原兄さんの身体を押し込むと「オレも行くわ。」と言って、兄弟子が乗り込んで来た。奥詰めろ、と言われて身体を動かすと、膝の上に草原兄さんの身体が乗りかかって来た。……重い。
「お客さん、どこ行ったらええですか。」と白髪の運転手が聞いてきたので、兄弟子はよどみのない声で住所を口にした。
「……大口叩きよって、やっぱり草原兄さんの家の住所、覚えてへんのやないか。」
「すんません。」
「どうせ帰るとこは同じなんやから、二人で行って、このタクシーで帰って来たらええやろ。」
「それもそうですね。」と言って、口を閉じると、膝の上からは「ミドリ~。」という兄弟子の寝言が聞こえて来て、小草若兄さんが吹き出した。
「夢の中でも同じこと言ってはる。」
「そうですね。」
「オレの寝言はお前の名前になんのかな。」
「そうですね……はい?」
「冗談やって。」
着いたら起こしてくれ、と言って兄弟子は目を瞑った。
しょうもない狸寝入りの気配が伝わって来て。今度こそ僕は大きなため息を吐いた。
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