縦皺


布団の中が妙に温くて目が覚めた。
「……またか。」
まあ、いつもやったら出すもん出したらその後は妙に寝つきのいい男が自分の布団を飛び出して腹にくっついてて、逆に今までなんで起きへんとおられたのかていう話でもある。
人の寝つきをどうこう言う前のところで、僕自身、前よりは眠りが深くなっているらしい。
身じろぎをすると身じろぎで返されるが起きる気配はないようだった。
「……腹減った。」
隣の布団で寝てたんとちゃうんですか、とは言わずにいると、その分を腹に溜め込んだため息が出る。

金のためとはいえ女と寝るのが面倒だと思っていたのは、朝まで居座って飯を作るなりして、ゆくゆくは同棲に持ち込もうという気配が相手にあることが「分かってしまう」からだった。
この人と僕なら、どれだけ睦んだところで子が出来るはずもないというのが、こうして手を出す理由のひとつではあった。
万一にも子が出来たらその時点で男と一緒にいる権利があるというのも、女からしたら当たり前の話ではあるのだろうから。僕が責任を取りたくないと思うのと、世間的にも、生まれてくる子のためにも責任を取る必要があるというのとは全く別の話であって、母親の来し方を見ている以上、そうなった場合に責任を取らないという選択肢は、端から僕にはないのだった。
若狭と草々兄さんの例の夫婦落語会の顛末を後になって聞いてからは、落ち着くところに落ち着くべきタイミングというのは、やはりあるのやろうと思うようにはなった。
それにしても、若狭が帰郷していなかったらその幼馴染ふたりの話はどないになってたやろうとは思う。自覚しているのかいないのか、あいつは本気になったら火の玉みたいな女で、一度自分がそう思ったら我を通すために周りを巻き込んでいく力がある。
まあ師匠や草々兄さんみたいな頑固な男を動かしただけでも分かろうというわけで、あの師匠と弟子はほんまにそういうところが――あの妹弟子に弱いところも含めて――本当に良く似ているのだった。
「………お前、なんでオレの焼き鯖食うてんのや、オレの焼き鯖やぞ。」
「朝飯前になんの夢見てるんですか。」
この人が、なんであれだけの男の血を引いていて、こんなあかんたれの拗ねた子どもに育ってしまったのかと思うが、結局は家の外に一度は出ていかなあかんということなのだろうと思う。
結局のところ、家と言うのは単に住まいだった場所のことではなくて概念のことで、この人が実家を離れてどこで暮らしたとしても、親は師匠として繋がっているし、あの頃も、家を思い出させる顔に会いはしないかと実家の前に出来たばかりの飲み屋に頻繁に出入りしているような有様だった。
要するに小学生のように気になる相手の周りをウロチョロして、その時間が自分にとってどんな意味を持つかは考えていないのである。
僕を生んだあの母親には、小さい頃から敬うような点は全くなかったが、他人から気にかけて貰いたいと思うだけの時間はほんまに勿体ない、同じ時間なら自分を磨くのに使わな損や、という考えだけは、人生に必要だと思わざるを得ない。初めて言われたころからずっと心の中に残っていて、結局は今も、僕の習慣にもなっているように思う。
後はまあ、極限まで腹が減ったらそこから先にはまず食べるのが一番やという考えもそうやな、と思って起き上がろうとすると、布団の中に入ってきた子どものような男が今度は頭突きをしてきた。
わざとかと思って視線を下げると、ぐぐぐぐ、といういびきとも鼻声ともつかない音が胸元から聞こえて来る。
どうやらまだ寝ぼけているらしい。

兄さん、そろそろ起きてください。

口に出そうとしたところで、額に浮かんだ縦皺が見えた。
若狭の父親が、丁度こういう感じやったな。田舎の頑固親父という概念がそのまま人の形を取ったような造形の人やった。
寝てるときくらい、いらんプライドは捨ててただ寝てたらええのに、そのくらいのことがなんで出来へんのやろな。

手を伸ばそうとしたところで、ぎゅうぎゅうに抱き着かれているのが分かった。
外はもう明るくて、子どもが登下校してる声が聞こえて来る。
……ほんまにこんなとこで何してんのやろな、僕もあんたも。

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