いい加減わかってよ

※プロット:かなやさん





 二月某日。食後のカフェタイムのピークを通り越した静かなシナモンの店内に、来客を告げるベルが響く。
「いらっしゃいま、あ」
「お~っす。丁度良かった。ちょい、おめェらこっち」
 バイト中のニキ、空いた時間をいつもの如くお冷でやり過ごそうとしていたこはく、そこへ遅れて合流した燐音。示し合わせずとも当たり前のように揃っていくユニットメンバー達に、こはくはこっそり笑った。
「燐音はん、お疲れさん。あとは――」
 HiMERUはんだけやな、言い掛けて口を噤む。燐音の大きな背中の後ろに、ひょこひょこと揺れる水色が見えたからだ。ついでに(こっちの方が重要なのだが)一対の松葉杖と、ギプスが嵌った右足も。
「HiMERUくん⁉」
 先に声を上げたのはニキだった。流石は歴戦のアルバイターと言うべきか、仕事中の彼はよく気が回る。びっくりして言葉を失うこはくの横を素早くすり抜け、さっと椅子を引いて移動するのも億劫そうなHiMERUを手伝っていた。当の本人は「助かります、椎名」なんて言いながらしょぼくれた犬みたいな顔をして見せた。
「で、メルちゃんその足はどぉしちゃったんですか~」
「……。はあ」
 追及されることを分かっていたのだろうHiMERUは、恨めしげに燐音を睨み上げてから観念したようにひとつ息を吐き、事のあらましを話し出した。

 ゆうべのこと、HiMERUはとあるバラエティ番組の収録に臨んでいた。事務所を横断して人選されたその内容は近々に控えている一大イベント・バレンタインデーに絡めたもので、HiMERU以外にも見知ったメンバーが集められていた。例えばスタプロからは『Trickstar』の衣更真緒、リズリンからは『UNDEAD』の羽風薫、ニューディからは『Knights』の朱桜司といった具合に、わかりやすくそういう売り方が得意な連中。他にも数名のアイドルが参加していたが、はっきり言えば先に名前を挙げた彼らに埋もれてしまうような、印象の薄い奴ばかりだった。
 撮影が中盤に差し掛かった頃、プロデューサーに呼ばれたHiMERUは急いで雛壇を降りそちらへ向かおうとした。アクシデントが起きたのはその時だ。
「っ、い……っ⁉」
 衆人環視の前で、それはもう盛大にずっこけた。足首が変な風に曲がったのがすぐにわかった。スタジオ内は俄かに騒々しくなり、何人ものスタッフが機材を放り出して集まってきた。
「ちょっ……HiMERUくん、大丈夫?」
「――すみません、滑ってしまいまして」
 羽風の手を貸りて立ち上がったHiMERUは、それでも撮影を中断するほどではないと判断した。そうして何とか仕事をやり遂げ、その後病院へ連れて行かれ、「全治二週間の捻挫」と診断された。以上。報告終わり。

「終わり、じゃねェっしょ⁉ も~メルメルのおバカ! おっちょこちょい! なんっですぐ抜けて病院行かなかったワケ⁉ ほんっと何考えてンのこのバカちんがァ!」
「……」
「つうか捻ったあと歩いたっしょ? なァ~ヒメルンルンそこんとこどうなんですか〜?」
「歩……きましたね、はい」
「メルちゃんマジそういうとこ。なんでンな無茶すっかなァ、悪化するに決まってっしょ。そんなこともわかんねェおバカさんだったかァ?」
「――仕事に、穴は開けません、ので」
「そういう問題じゃねェっての、このおたんこなす! 電話のひとつでもくれりゃあ」
「反省してます」
 ねちねちと重ねられる小言を遮り、きっぱりとした口調でそう言い切った。燐音をはじめとした三人は訝るように顔を覗き込む。
「ホントか~?」
「ほんとに悪いと思ってるっすか、HiMERUくん。僕の目見て言える?」
「はい。すみません、もうご心配をお掛けするようなことはしません」
 淀みなく発された謝罪の言葉に年長ふたりは顔を見合わせた。対して驚きも怒りも通り越して呆れ果てている様子の末っ子が
「そんならええわ。この期に及んで〝HiMERUは正しいことをしたのです~〟っち言いよったらしばき倒そ思とったとこじゃ」
 などと物騒なことを言い放った。まあでも、燐音も概ね同じ気持ちだ。
「そや、二週間は絶対安静なんやろ? そん足じゃろくに動かれへんし、不便やない?」
 こはくがもっともな疑問を口にする。確かに。じゃあこうしよう。
「まァそこは心配すンなよ、俺っちが住み込みでお世話してやっから」
「は⁉ そんなことHiMERUは」
「頼まれなくても今決めましたァ~。おめェは燐音くんの優しさに甘えれば良いっしょ」
 不服そうな顔をするHiMERU、「ここは大人しく従うっす」「貸し一やなあ燐音はん」と勝手に納得する他メンバー。三対一でHiMERUの劣勢。
「――わかりましたよ」
 三人の視線に根負けし、渋々、本当に渋々首を縦に振ったのだった。



 松葉杖ではタクシーの乗り降りもひと苦労だ、ただしひとりならである。今日は燐音が気を利かせてスライドドアの広々とした車種をチョイスしてくれたお陰で、ストレスを感じずに自宅マンションまで移動することが出来た。
「燐音くん様々っしょ?」
「はいはいありがとうございます」
 その渋面からは頼んでませんけど、という本音が透けるようだ。リビングのソファに横向きに座り、満足に動かせない右足をアームレストの上によいしょと乗っけると、HiMERUはそこらにあったクッションを足の下や背中の後ろにぎゅうぎゅう詰め込んでようやくしっくりくる場所を見つけたらしい。黙ってスマホを弄り始めた。ニキが持たせてくれた作り置きのおかずを冷蔵庫に詰め込み終わった燐音は、どこに座ろうかしばし迷って、ソファのそばの床に腰を落ち着けた。
「……」
「……」
 なんだこの空気は。確かにここへ来る途中の車内で「うちに来るのは構わないが静かにしていろ」みたいなことを言いはしたが、実際に黙られると気味が悪い。普段無駄にうるさい奴だから尚更だ。HiMERUは沈黙に耐えかね、TVをつけようとテーブルの上のリモコンに手を伸ばした。
「……、……っ」
 届かない。右足を動かさないよう注意しながら懸命に指先を伸ばすものの、リモコンはまだその先にある。と、ひょいとそれが取り上げられ、燐音がTVの電源を入れた。途端室内に明るい音楽が満ちる――新発売の炭酸ドリンクとタイアップした『2wink』の新曲は、HiMERUのくさくさした心情とは正反対にスタジオを盛り上げる。
「言えばいーのに」
「ちっ……。ありがとうございます」
 舌打ちを添えてやれば何が可笑しいのか、燐音は口を開けて笑った。
「アッハ、一応心配してやるけど、メルメルダイジョ~ブ? 痛くねェの?」
「う~ん、はい、そんなに痛くはないです、けど」
「ほんとかよ? 随分動くの億劫そうだけど」
「なんか……どくどくして、足にもうひとつ心臓が出来たみたいで」
「ぎゃはは、ンだそれ。そんな感想聞いてるわけじゃねェンだよな俺っち」
「――ええ、はい。ギプスを巻かれているので寒くはないのですが、指先だけ冷えて変な感じですね」
「……食リポの仕事来たら苦労しそうだなおめェは」
 話を聞く限り大したことはなさそうだ。燐音は脱力してソファに寄り掛かった。
 診断書も見た。折れていないのは不幸中の幸いで、ただの捻挫だ。医者の言う通り二週間しっかり養生すれば治るだろう。バレンタインの販促はそういうのが得意な奴らに任せているから、今はユニット単位での仕事も多くない。無理をすることはないし、これまで『HiMERU』のために無理を重ねてきたであろう彼には、こうして何もせずゆっくり休む時間があって然るべきだとも考えた。
 夕食はニキがタッパーにたっぷり詰めてくれた豚の角煮を温めて食べた。HiMERU宅の冷蔵庫には食材と呼べるものがほとんど無かったが、帰り道にコンビニでインスタント味噌汁とごぼうサラダを買っておいたお陰で、寂しい食卓にならずに済んだ。明日あたりニキに副菜もリクエストしようと燐音は心に決めた。

 さて、食事が済んだら次は風呂だ。手伝う気満々の燐音に、HiMERUは風呂にまでついて来られるのかと顔を青くした。そんなことまで馬鹿丁寧にお世話されるのは絶対に嫌だった。
「じ、自分で出来るのです」
「バッカおめェギプス濡らせねェっしょ。どうすンだよ」
「び、ビニール袋をかけて……足を上げてお湯に浸かれば、」
「浸かるまでに転んだりぶつけたりすンだろ」
「――ひとりでも、ゆっくりやれば出来ます」
「足首二倍くらいに腫らしといてよく言うぜ。わかった、拒否すンなら風呂上がりのアイスはナシだ」
「⁉ 嫌です」
 というか何故それを。入浴後のアイスを毎晩の楽しみにしていることはユニットメンバーの誰にも話していない。男の顔を見れば勝ち誇ったような笑みを浮かべていて、HiMERUは思わず拳を握り締めた。
「あんたカマかけやがったな!」
「何のことだか。ほぉら大人しくしてろ」
「え、わっ」
 急な浮遊感に慌てて燐音の首に腕を回す。軽々と横抱きにされて運ばれていることに気付き、今度は顔が赤くなるのを感じた。女性にするように丁重に扱われるのはひどく情けない気がする。しかも相手は天城燐音だし。
「死にたい……」
 腕で顔を覆って呻けば彼はまた笑った。
 上はTシャツ下は下着姿になった燐音はHiMERUが服を脱ぐのを手伝い、シャンプーをHiMERUに任せて身体を洗うのを手伝い、HiMERUを持ち上げて浴槽にそうっと浸してからバスルームを出て行った。程なくしてすっぽんぽんになった彼が戻って来て、さっと身を清めてざぶんとお湯に飛び込んできた。高身長の男ふたり分の体積を受け、ベルガモットの香りの黄色いお湯がざあざあ溢れる。そんなことはお構いなしに、HiMERUを背後から抱き締めた大型犬のような男はすんと鼻を鳴らした。いわく、「交代で風呂入るとひとりにさせちまうから」とか「俺っちが風呂行ってる間に動かれちゃ堪ンねェ」とか。もっともらしい言い訳を並べながらもちゃっかりキスを仕掛けてきたあたり、理由はそれだけじゃないだろうと思ったけれど。それでも悪い気はしなかったから、何も言わずに濡れた唇を受け入れた。

「じゃ、オヤスミ。俺っちあっちにいるからなんかあったら呼んで」
「えっちょ、待ってください」
 当たり前のようにHiMERUをベッドに寝かせた燐音がまた当たり前のようにリビングに行こうとするのを、手首を掴んで引き留める。「なんだァメルちゃん、添い寝してほしーの?」なんて嘯くにやけた顔がムカつく。
「――あなたが、ベッドで寝てください」
 言えば何言ってんだこいつとでも言いたげな目で見られる。HiMERUは尚も言い募った。
「今回のことはHiMERUの失態です。その世話を焼く羽目になったあなたを、ソファで寝かせるわけにはいきませんので」
「へェ? そんな殊勝なこと言えたンだ?」
 燐音はさも可笑しそうに肩を揺らしながらベッドのそばにしゃがみ込んだ。ずり落ちた毛布をHiMERUの肩口まで引き上げ、すっぽり覆ってくれる。あたたかい。
「お気持ちだけもらっとく。怪我人をソファで寝かせる方が問題っしょ?」
 兄の顔をしてぽんぽんと毛布を叩いた彼は、今度こそ背を向けて離れて行ってしまう。あ、と思った時にはもう声が出ていた。
「燐音」
 振り返った碧い目を見ずに言いたかった。
「ん?」
「やっぱり、一緒に、寝て」
 最後の方は少々掠れてしまったかもしれない。けれど燐音はちゃんと言葉を受け取って、HiMERUが自分でも気付いていないような小さな後悔や無力感も拾って、いつものふてぶてしい笑みのオブラートでくるんでそばに留まってくれた。
「どした~? 痛くて寝れない?」
「そんなこと、ないです」
「ほんと? なら良いけど」
 男ふたりで収まるには狭いベッド。でも今はすぐ近くで聞こえる低い声と、自分のよりも幾らか高い体温が心地好い。大きな掌に髪を梳かれているうち、あれほど居心地が悪かったのが嘘のように、HiMERUはすうと寝入ってしまった。



 それから一週間。燐音の『ほぼ家政夫生活』もだいぶ板についてきた頃だった。事務所の休憩スペースで昼食を広げていたところに、珍しく茨が居合わせた。
「ああ、天城氏……お疲れさまであります」
「お疲れ~ってあんた顔色悪ィな、土みてェな色してるっしょ」
「ええ……フフ……三徹目ですからね。自分、今は人間よりも死体に近いのかもしれませんな。ゾンビメガネであります、あっはっは」
 そんなことを言いながら大豆バーを齧る自分のところの副所長が些か心配になる。齧ったそばからぼろぼろと食べ零していく様は、あの隙のない『Eden』の参謀と同一人物とは思えない。この状態で書類仕事なんかやってミスとかしないのだろうか。俺っちなら絶対無理、と燐音は内心でごちた。
「ああそうだ、HiMERU氏の怪我のことですけど」
「……ん?」
「証拠のVを入手しましたので……あれ、これ天城氏に言ったらまずいんでしたっけ」
「は? どういうことだ」
 証拠? 俺に言えない?
 まったく身に覚えのない話だが嫌な感じだ。燐音はがたんと音を立てて椅子から立ち上がり、向かいの茨との距離をぐっと詰めた。レンズの奥の大きな瞳が所在なさげに泳ぐ。目を合わせないということは、つまりそういうことだ。
「あれは『事故』じゃなかったのかよ、なァおい」
「あ~……」
 ごめんなさいHiMERU氏、とひと言呟いてから、茨は今回の『事件』の真相を語り始めた。



 例によってHiMERUのマンションに帰った燐音は、事実を確かめるべく早々に話を切り出した。
やられたンだってなァ、名探偵?」
「……あのポンコツ副所長……」
 聡い彼にはこれだけで伝わる。気まずそうに言い淀む表情に全てを察する。
 あの日。
 HiMERUが怪我をした日、共演したアイドルの中に『HiMERU』に対し個人的な恨みを持つ人間がいたというのが、茨の見解だ。本人は「滑った」と言った。事務所の人間を使って調査したところ、HiMERUの席から雛壇を降りる際使用するステップにシリコンスプレーが塗布されているのを確認したそうだ。人為的なものであることは明らか。あとは『誰がやったのか』が論点になるのだが、仕掛けられた当人には目星がついていた。
「――HiMERUが転んだ時、共演者もスタッフも皆、慌てて駆け寄ってきましたが。あの時ひとりだけ、立ち上がりもしなかった者がいたのですよ」
 こんな大ごとになるとは思わなかったのでしょうね、と鼻で笑う。
「彼、真っ青でしたよ。ちょっと転ばせてやろうくらいのつもりだったのでしょうけれど……中途半端にやるからこんなことになるのです。寝首を掻きたいのなら殺す気でやらないと」
「そういう話でもねェっしょ……」
 鋭い光を湛える瞳にたじろいでいる場合ではない。そんなことよりもHiMERU自身のことだ。
「なんですぐ言わなかった」
「現場を止めるわけにはいかないからです。天城、あなただってそうするはずです。プロならば」
「……ああ、そうだな。けど俺っちが言ってンのはそのあとだ、おめェが狙われたなら俺っち達にとっても他人事じゃねェだろ。相談するべきだったンじゃねェの」
「――いいえ、他人事ですよ。今回のことと『Crazy:B』は無関係なのですから」
 突き放すようなひやりとした声に燐音が表情を固くする。HiMERUは努めて抑揚を抑えた口調で続けた。
「彼は――、玲明学園の資料で見掛けたことがあります。『Crazy:B』に何かされたとかではなく、あくまで『HiMERU』に対しての恨み辛みや妬み嫉み……そういったごく個人的な動機に違いない。これは彼とHiMERUの問題です、あなた達は関わってはいけないのですよ。飛んで火に入る夏の虫になりたいのですか?」
 だから副所長にだけ報告したのです、と目線を交わさないまま言う。
「理由が何であれ『HiMERU』に手を出した罪は重い……それも神聖な現場で。二度とHiMERUや――HiMERUの周りのアイドルに何かしようなんて思わないよう、当面謹慎処分になってもらいました。報復も兼ねて、学園在籍中からの素行不良の数々もきっちりファイリングしてP機関に報告済みです。もう表舞台には戻れないでしょうね」
「げえ〜……」
 話を聞くだけでげっそりしてしまう。犯人くんも恐ろしい奴を敵に回したもんだ、気の毒に。
「あ〜、じゃなくて!」
「――まだ何か?」
 ダイニングチェアに座ったHiMERUは手に持っていた台本を置いて顔を上げた。テーブルにはまだあたたかいコーヒー。自分で飲み物を用意するくらいは、難なく出来るようになったらしい。苛立った様子で燐音を睨む彼はすぐにでも本読みに戻りたそうにしているが、そうはいかない。話はまだ終わっていない。
「あのなァ、そいつがどうなったかなんてこの際どうでも良いンだよ、俺っちは。いやどうでも良くはねェけど、そこはやり手の副所長に任せときゃ安心だろ。じゃなくてさ、関わるなとかおまえ……まだそんなこと言うつもりかよ。バッカじゃねェの」
「馬鹿とは心外なのですよ」
「い〜や、バカだね」
 燐音は怒っていた。いっそ泣きたくもあった。身内を疵物にしたクソ野郎は許せない、当然だ。けれどそれよりもHiMERUに対して、言いようのない憤りが胃の腑の奥底で渦を巻いていた。
「おまえが俺らを大事に思ってることはわかってるよ。巻き込みたくねェって、守りてェって思ってくれてンのも。けどそんなん俺らだって同じっしょ」
 HiMERUはぐっと唇を引き結んで、押し黙った。
「守りてェなら頼れよ。おまえがすり減ることで傷付く奴らだっている、わからねェとは言わせねェ」
「……」
 情に訴えるのは狡い手段だと知っている。だがこいつにはこれが一番効く。ウチのしたたかな末っ子がよく使う技だ。
 根気強く返事を待っていると、彼の薄い唇が僅かに震えた。
「……ンだよ、まだ文句あンの」
「いえ……しかし、そこまでご迷惑をおかけするわけには」
 自分のことは自分で何とかしますし、HiMERUが買った恨みをあなた達にまで背負わせるのは、ちょっと。違うと思うのです。
 小さな声でぽつぽつと、俯いたまま言葉を落としていく。迷子の子供のように彷徨った金色が不安そうに燐音を捉えた。ああ、ようやく目が合った。
「なァ、いつ誰が迷惑っつった?」
 正面の椅子を隣へ運び、そこへ腰を下ろす。顔の横に垂れて影をつくる髪を丁寧に掬って耳に掛けてやった。
 何でもひとりで、あるいはふたりで成し遂げてきたのだろうこの子供は、他人に甘えるのがとにかく下手くそだ。助けを求めるのに理由なんか要らないのに。燐音がこうしてHiMERUの面倒を見ているのも、まあ下心がないと言えば嘘になるが、それ以前に心配だからだ。不器用で誰かに寄り掛かることに臆病な彼が。都会に出てきてからはニキに寄り掛かってここまで来たから、今度は自分が誰かの添え木になってやれるような気がしたのだ。
「よォし決めました〜メルメルがそういう態度ならァ、俺っちにも考えがあります〜」
「は……?」
 急にちゃらけた喋り方に戻った燐音を、不審なものでも見るみたいにHiMERUが見上げる。隙だらけのその肩をぎゅうと抱き寄せた。
「おめェが俺っちに頼ることを覚えるまで、こうして離さねェから覚悟しろ」
「ちょっ⁉ やめてくださ……やめろ!」
「や〜だ♡」
「このっ……!」
 燐音の腕はちょっとやそっと力を込めたくらいでは振り解けない。HiMERUはすぐに息を切らしてギブアップすることとなる。
「ぎゃははは、俺っちの愛を思い知れってンだ」
 自分達は恋人でも何でもないから、真面目腐っては言えない言葉だけれど。本当は「愛しているから心配なんだ」と言ってしまえれば楽になれるのだけれど、今の燐音にはこれが精一杯。「愛ねえ……」と話半分に聞き流すHiMERUに安堵しつつ、抱き締める腕の力を強くした。



 翌日、シナモン。
「はあ、まあ……そらHiMERUはんが悪いわ」
「っすね〜。なはは、僕もフォロー出来ないっす」
「ど、どうしてですか! 桜河と椎名はHiMERUの味方だと思っていたのに……!」
 燐音に促され『事件』の一部始終をこはくとニキに打ち明けたものの、HiMERUは孤立して撃沈していた。
 せいぜい懲りればいいのだ。勿論ふたりもリーダーと同じくらいHiMERUを心配して気に掛けて、大切に思っている。大切にさせろ、と思う。だから今回は、自分を蔑ろにした彼に非があると決め付けさせていただく。悪いけど。懲りて、反省するといい。そうニキは〝お兄ちゃんとして〟考える。
 相変わらずそばを離れない燐音を雑に押し退ける仕草は慣れたもの。絵面は暑苦しいが、ここまでしないとこの朴念仁には伝わらないどころか、これでも足りないくらいなのだ。きっと。
「まああれで案外、満更でもなさそうなんすよね」
「――どっちが?」
「……どっちも、っすかねぇ」
 母親みたいな面をして言ってのけたニキに首を傾げ、HiMERUはフォークに刺したパンケーキをひと口、口に運んだ。
 賢いくせに妙なところで抜けている、ニキにとっては可愛い可愛い弟分。今回のことが良い薬になるのではと少し期待したけれど、この反応を見る限りやっぱり、馬鹿につける薬はないのかもしれない。

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