昼飯



ええ感じの張り紙が出来たなあ。
台所の排水溝もちゃんと掃除するんやで、て何度言っても素直に掃除してくれへんかった子が、先に入門してた兄さんらの破天荒ぶりに嫌気が差して辞めてってからは、もうしばらく新しいお弟子さん取るのいやや~!て思ってたけど、やっぱ新しい子が入って来てくれるの嬉しいなあ。この勘流亭のフォント風も上手やし。
筆頭弟子が小草々くんやった割には草々兄さんのお弟子さんになりたい、言うてうちに通ってくる子て、割合としてまともな子が多いんとちゃうかな。
今の若い子って、ネットで入門のハウトゥー見てからくるから家事出来る出来ないは置いといても、ちゃんとしてるなあ。



「お前、オレの明日からの昼飯どないなるんや。」
「いや……そないなこと言われても……私には何のことやら。」
朝から至近距離で着物姿の兄弟子に詰め寄られる妹の図です。
いや~、これ少女漫画に良くあるシチュエーションやない?
胸のときめきはほんまに微塵もないけど。
私には草々兄さんが、とか一度言ってみたいけど、相手が四草兄さんでは……。
「とぼけても無駄や。あの張り紙、お前やろ。」
あ、やっぱり……。
……あれが見つかってしもたんならしゃあないな、観念せえ、徒然亭四草、ネタは上がってんねんで!……て水曜九時の刑事ドラマの班長さんみたいにズバッと言えたらええんやけど、……難しいなぁ。
ていうか、ここは心を鬼にして、てお咲さんも言ってたし。私も今は四草兄さんの妹弟子というだけでもない、日暮亭のおかみさんやで。
「四草兄さん、ここに来てる若い子にまでたからんといてください。そのための出演料やでぇ。」
「まあ、そらそうやな、て……素直にオレがそない言うと思うか?」と切れ長の目で睨まれると……。
来月の支払い、オチコが作った子ども銀行券でええですか、て言いたくなってしまうやないですか。
まあ、私ももういい年の大人やでえ、そないな風には言いません。
「別に、草原兄さんとか草若兄さんに話を持ち掛ける分まであかんとは言ってませんし。あくまで、この日暮亭の中で、ていうことです。」
とまあこない言って『へへえ~、恐れ入りました、若狭ねえさん!』とひれ伏して聞き分けてくれるような人なら最初からこんな風にはなっていないわけで。
草若兄さんが小草若兄さんだった頃に師匠に入門した人も何人かいてたそうで、後から入って来てた並みいる弟子が、内弟子修行中と終わってからの貧乏に耐え切れずに辞めていった中でひとり残った四草兄さんには、ある意味小浜のおかあちゃん並みの図々しさ、があるんやなあ、とは感じていたけど、まさかどのお客が一番笑うか、あるいは笑わんか、なんてことまで賭け事にして、早朝寄席に来てる勉強中の若い子にきつねうどんを奢らせるやなんて。
あかん……壁ドンなら草若兄さんにしてください、て言いたいけどそれこそ後で何言われるか分からへん……。
……徒然亭若狭、頑張れ!
「そうやで、自重せえ、四草!」
まさか、その声は……。
「「……草原兄さん!」」
気が付いたら今日の出番でもない草若兄さんが、いつもの講義に行く時のポロシャツにジャケットスタイルで仁王立ちしてた。
はあ~今日はまたえらいタイミングで……。
「若狭、まさかお前……。」と四草兄さんの顔がいきなり凶悪になった。
「ちゃいます、ちゃいますって…!」
「妹弟子にそないな顔して詰めよるな、怖がってるやないか。」と言って草原兄さんが横から四草兄さんにチョップした。
ありがとうございます。
今日の草原兄さんが、スーパーマンに見える~。
えらい恰幅のええクラーク=ケントさんやけど。
「最近早朝の寝床寄席、景気がいいことになってるから見に来て欲しい、て言うからそんならオレも見たいわ、て前から言ってたんや。」
「前から?」と言って、四草兄さんがちらっとこちらを見た。
ぶるぶると首を横に振る。
あれ、でももしかしたら私が草原兄さんに言ったんやったっけ?
あかん、昨日の夜食べたもんも思い出せんのに、そんな都合のいいことあるわけない。
まさか草々兄さんの口からそないに聴かはったんやろか……最近、夜席もオレが同じくらい埋めたる、て張り切ってたもんな。
「草原師匠、来てはったん?」
「お、オチコ、元気にしてたか?」
子どもが最近気に入りのキュロットスカートでやってきた。
こっち来るなら宿題済ませておいでて言ったのに……。
「うん! 昨日運動会やったんで! わたし、かけっこ一等賞!」
「あんたなあ、楽屋うろちょろしたらあかんて言うてるやろ。」と耳を引っ張る。
「あ、おかあちゃん、暴力反対!」
「ええやろ、若狭。学校休みの日くらい好きにさせたっても。……早朝寄席、ほんまにびっくりするほど人おったわ。」
「そやろ? あれぜーーーんぶ四草師匠のお客さんなんやで。」にこっと笑う子どもに笑い返して、なるほどなあ、と草原兄さんが言った。
「……まあ四草に自重せえて話にするのも筋が悪いわなあ。」と言われて居心地が悪いような顔になっている。
「僕、朝飯の片付けがあるから先帰りますね。」と踵を返した。
「待て待て四草。勝手に帰ろうとすな。」
草原兄さんがむんず、と襟首をつかむ。
「寝床で久しぶりにうどん食いながら話ししようか。妹弟子が困ってる、て言うんやから、兄弟子は相談に乗ったらんとな~。」
「わたし、うどんやのうてアイスクリームがええな! 草原師匠、お願い!」
アイスクリームってあれは日替わりのデザートやから毎日あるとは限らんのやで……。
「そうやなあ、かけっこ一等賞なら、頑張ったお祝いせんとなあ。」
え、なんで草原兄さんそないに甘いんですか?
四草兄さんも、二人の様子を見て目を剥いている。
いや、兄さんは同じ手でこれまでの彼女に散々ご飯食べさせてもらってたやないですか。
「あんた、虫歯出来るで。」
「ええやろ、後で歯を磨くでえ。」
「ほんなら若狭、オレ先に入ってるからお前は片付けしてから来たらええわ。」
「「今日から、オレがァ、お前の寝床ぉ~~~~~♪」」
先代の草若師匠のお気に入りだった熊五郎さんの十八番の『寝床』を呑気に歌いながら、片手にうちの子、片手に大きくなっても子どもみたいな兄さんの手を引いてE.T.みたいなことになってる草原兄さんの背中を見てると、なんやほっとして、熊五郎さんとお咲さんの顔が見たくなってきた。
「私も片付けたらすぐに行きますから!」と言うと、子どもがこっちも見ずに手を振った。

私も、稽古場におる草々兄さんと、あと草若兄さんにも電話しとこ。

powered by 小説執筆ツール「notes」

50 回読まれています