アイスより甘い
長年推していたアイドルが人気女優との結婚をSNSで発表してから早いもので一ヶ月が経った。
相手は顔が可愛い上に人気女優、しかも同時に妊娠の報告もありショックが大きすぎた。前回のコンサート時にはすでにそういう事をしていたのだと気付いてしまったから。
推しが幸せなら自分も幸せ?私はそうは思わない。
ファンなら推しの幸せを願え?そんなの知らない。
持っていた推し活グッズもフリマのアプリに出品してやった。
SNS上で担当を降りると宣言もしてやった、ざまぁみろ。
スマホのカバーや推し色だった髪色も変えて心機一転、新しいバイトを始めた。
最寄駅に隣接する大型ショッピングモールに入るアイスクリーム屋さん。
私の経験上、飲食店やスーパーは理不尽なクレーマーと遭遇する率が高いが、ケーキ屋さんや花屋さんはメンタル的に安定している人が多いのか理不尽なクレームが少ない。それに冬は暇になるし楽だろうと思ったのだ。
しかし私の読みは一部外れた。クリスマス限定キャンペーンやお正月に家族で楽しめるキャンペーン、それが終わればバレンタイン。意外と年中忙しい。
最愛の推しを失った私には有り難い忙しさだったのだが、目の前でカップルにイチャつかれた時は本当にストレスだった。
いちいち彼氏に自分の注文を耳打ちして言わせる女、私が何食べたいか当ててみてーと彼氏に意味不明なクイズを出す女。
あぁ、イライラする。
今だってそうだ。彼氏早く当てろよ。間違えてばっかで愛が足りないんじゃない?
全然羨ましくなんてないから。
「いらっしゃいませぇ、アレルギーはございませんかぁ?」
訳の分からないクイズに付き合ったイライラを引きずり、視線を下げたままショーケースの前に移動し、聞いておきながらどうせアレルギーなんて無いだろうと適当に期間限定フレーバーをテイストスプーンに掬い目の前の客に差し出した。
すると、そこにはめちゃくちゃ高身長のどちゃくそイケメンが居た。まだら模様のもこもこ帽子を被り、目元に影を落としてはいるがスッとした一重瞼に鼻筋のはっきりとした百点満点のイケメン。
いきなりの整った顔面に呆気に取られているとそのイケメンが優しく透き通るような声で言った。
「それは、チョコですか?」
「え…?あ、はい!期間限定のワールドクラスチョコレートですっ」
なんとか説明出来た、噛みそうになった。
私はその整った顔面に視線をロックオンしたままスプーンを差し出した手が震えないようにするだけで必死だった。
「…食えるか?ゾロ屋」
そう言いながら小さい顔を後ろに向けたイケメンの背後から、ひょっこりと瑞々しい緑が現れる。
ちりんと揺れる金色のピアスを携えた彼もこれまたイケメンだった。
羨ましい程くっきりと深い平行二重のライン、それを強調するかのような長いまつ毛。
もこもこ帽子のイケメンの背が高過ぎて見えなかったが、もう一人の彼も十分背が高い。
「トラ男が食っていいぞ?」
「いや、おれは何を頼むか決まってるからいい」
「でもチョコはなぁ……」
ぞろやと呼ばれた緑髪の彼が置いてけぼりの私の手から優しくピンク色のスプーンを受け取り、とらおと呼ばれたもこもこ帽子の彼に差し出す。
それは誰がどう見ても「あーん」のポーズ。
いつもなら視線を逸らし視界から排除するのだが、今私の視線はにこにこと微笑むぞろや君の表情と、とらお君の口元を一瞬も見逃すまいと忙しなく彷徨う。彼は躊躇う事なく差し出された一口分のアイスをパクリと食べる。
なるほど、これは普段からあーんしてますね。
「ん……これ白い部分もチョコだな」
「ホワイトチョコって書いてあったな」
顔面の整った男子二人、見てるだけで健康になれる気がする。そう思いつつスプーンを受け取る為黒い回収容器をなんとか差し出そうとしたその時だった。
ぞろや君が使用済みスプーンにほんのり残ったアイスをパクリと食べたのだ。
間接キッス!?
それは一度とらお君の口に入ったものでは…!?
思わず声を出しそうになったがなんとか押し留める。偉いぞ私。
見てはいけない彼らの秘め事を見てしまった気分になり視線をさっと逸らすと、彼らの次に並ぶ女子高生二人組が口元を両手で覆い悶えているのと目が合った。分かります、私も店員という立場でなければ悶えたい。この気持ち誰かと共有したい…そうだ今は仕事中なのだ。テイストスプーンは申し出がない限り一人一つお渡しするのだが、ぞろや君に渡していない事に気付いてしまった。
「お客様もお味見いかがですか?」
いつもより高めの声、にっこりスマイルでぞろや君にテイストスプーンを勧めてみると鼓膜に心地よく響く低音で「ゴムゴムのフルーツパンチで」とリクエストされ、喜んで準備する。そして彼に差し出すとまた「ありがとう」と目を見てお礼を言われてしまう。
こちらこそありがとうございます!
嬉しそうに紫色のアイスを食べる彼をとらお君は非常に不満げに見つめている事に気付いた。
「これ美味いけど難しいな…果物の味?」
「…それにすんのか?」
「おう、これにする。あとラムレーズン」
「……」
とらお君の表情が曇る。何故だろう。ぞろや君もそれに気付いたのか「なんだよ、その顔」と問いただす。
「別に、なんとなく…そのアイスが嫌なだけだ」
「なんとなくって何だよ、食った事あんのか?」
「ゾロ屋意外の人間とこんな店に来ないし、食った事もない。ただ、こう…脳が勝手にそのアイスの名前に拒否反応を起こす」
「はははっ、何だそれ」
大きい体でモニョモニョと話すとらお君。言葉にしたいが出来ないような。要領を得られないような、自分でも複雑だと言った表情をしている。
「これ、ありがとうございます。注文していいスか?」
「はい!どうぞ!」
私はぞろや君の笑顔に心が浄化されながら条件反射の様に使用部みのスプーンを二本受け取り、オーダーをメモにとる体制をとる。
「レギュラーダブル二つで!カップはAとBでお願いします」
こうやって聞く前に必要な内容を先読みして言ってくれるのは本当に助かる。
今大人気アニメとコラボしたカップが選べるようになっており、中にはこのカップを選ぶだけで時間がかかる場合もあるのだ。
「かしこまりました。まずはAのカップからお味をお伺いします」
Aのカップはこのアニメの主人公がそのトレードマークに手を添え不敵な笑みを浮かべているデザイン。ぞろや君はショーケースに視線を向けながら「さっきのゴムゴムのフルーツパンチと、ラムレーズンで」とオーダーし、続けてとらお君がBのカップでオーダーする。Bのカップは主人公の次に実力もあり人気のキャラが刀を肩に置き可愛らしく笑っている。
「抹茶を二つでお願いします」
「えっ!?同じ味にするのか?」
「あぁ」
「じゃあシングルにするか?おれに合わせなくてもいいんだぞ?」
「抹茶が好きなんだ」
「でも……」
ぞろや君が言うのも分かる。
決して安くはない少し贅沢なアイス。多くの人はせっかくなら違った味を楽しみたいと思うだろう。しかし働いてみて知ったのだが、同じフレーバーを頼まれる方は意外と多い。
「これも美味いぞ?あれは?」と他のフレーバーを勧める彼にそれを伝えようかと悩んでいると、とらお君がふわりと微笑み目の前の柔らかそうな緑髪を優しく梳かしながら言ったのだ。
「丸い抹茶アイスが二つカップに入ってるのを見ると、小さなゾロ屋が沢山いるみたいで可愛いんだ…」
彼らの目の前に居てその表情を直視してしまった私と、同じくその表情が見えたであろう隣に並ぶ女子高生はその場に崩れ落ちそうになる。
とらお君の瞳がアイスなんか比にならない程に甘く蕩けていたから。
目の前に居るぞろや君が心の底から愛おしいんだと瞳と声色だけで思い知らせたのだ。
ぞろや君は両耳から首筋まで真っ赤にしている。そりゃそうだ、イケメンのとろ甘攻撃を間近で直に受けているのだから。
「な…っ、なに言って…っ」
「以上二点でお願いします」
真っ赤でぷるぷると震えている彼の代わりにオーダーを済ませるとらお君。私に向けたその視線は最初に見たキリリと凛々しいものに戻っていた。
「か、かしこまりました。そのままレジまでお進み下さい!」
私は商品を準備する為レジを担当するスタッフにオーダーを口頭で飛ばす。そしてチラリと二人に視線を戻すとぞろや君が頬を赤らめたままに「帰ったら覚えてろよ…」と震える声でとらお君に言っている。
それ、どういう意味ですか?詳しく!そのまま彼らについて行きたいのをグッと我慢し二人のオーダーを作る。特に抹茶のフレーバーは真ん丸になるよう丁寧にディッシャーを使う。しっかりと水で洗い何度もアイスの上を転がす。ぞろや君の丸い後頭部を思いながら見事なまでの真ん丸に仕上がった。
なるほど、これは可愛い。
会計を終えた二人にカウンター越しにアイスを渡す。
「お待たせ致しました!レギュラーダブルお二つです!」
私はそれぞれオーダー通りに二人にカップを渡す。「ありがとうございます」と色は違うがもの凄く良い声で返ってきて耳が幸せになる。
抹茶アイスを受け取ったとらお君はその真ん丸アイスをじっと見つめ、ふわりと微笑んだ。
「ほら、可愛い…綺麗な緑で真ん丸で、ゾロ屋みたいで……」
「お、おい…っ!トラ男!もう喋んな!早く行くぞっ!」
ぞろや君の落ちつていた肌の色が再び赤くなる。ぷりぷりと可愛らしく文句を言いながらとらお君の腕を掴み歩き出す。
「ありがとうございました!またお越しください!」
そう二人に声を掛ければ、照れたような表情のぞろや君と嬉しそうに微笑むとらお君は振り返り会釈してくれる。
また来てくれるだろうか。
また会いたい。
また二人が会話しているのを聞きたい。お互いが大事なんだと全身で伝え合っている彼らを応援したい。
私は他のスタッフに声を掛けられるまで二人の背中を見つめ、初めて誰かの幸せを願った。
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