今はただ、ここで

「ローラ」
 そう私のことを呼ぶのは、大好きな大好きな私の彼女だ。
 そんな彼女が少し緊張した声色で、でも甘い声で頬を上気させながら私を呼んでいる。ふかふかのベッドの上、私達を照らすのはベッドサイドの弱い光だけだ。向かい合って、その鼓動が分かるくらいに抱きしめて、どちらからともなく唇を重ね合わせた。

「今年の仕事が全部終わったら、一緒に行きたい所があるの。その、泊まりなんだけど、いい?」
 先日のクリスマスステージが終わった後、S4城に向かうゆめを引き止めてそう誘った。ゆめは一瞬、驚いたような顔をしたけれど、嬉しそうに笑って「いいよ」って言ってくれた。
 私達が付き合い始めたのはちょうど去年の夏頃。ゆめのことが大好きで、ゆめも私を好きだと言ってくれて、仕事の合間に逢瀬を重ねた。それがいつの間にかお互いの仕事も忙しくなって、S4と幹部という立場もあって、ヴィーナスアークの来航もあってバタバタしている間に、すっかり恋人らしい雰囲気が薄れていた。
―というのが、ゆめと私に距離ができた、もっともらしい理由。
 けれど本当のところはもっと別にあると私は思っている。
 私はゆめが好きだ。その気持ちは精神的にもそうだけど、肉体的にもそうだ。
 ゆめと手を繋ぐとき、その柔らかい手のひらに自分の指が触れただけで全身が甘い予感に支配されてしまう。キスなんて軽く唇に触れるだけのものでも気がおかしくなりそうになる。
 そんな状態になった私は、普段よりもずっと判断力も洞察力も落ちて、ただゆめを求める「女」になって、ついついコトを性急に進めてしまっていた。
 そしてとうとうちょうど1年前の冬。最後までゆめに触れ続けようとする私の手を、ゆめがやんわりと差し止めた。
「ローラ、今日はもうここまでにしよう?もう遅いし、寝よう?」
 それがゆめの優しさだってことは分かっていた。私の手を包み込んだ彼女の手のひらからちゃんとそれが伝わってきたから。
 だからゆめの言葉に不満なんてあるわけない。頭では分かっていた。なのに私の中の欲望は相変わらずそのカラダを求めたままで、燻ったままどこにもいけなかったからどうしようもなくって。
 ゆめと距離を置くこと、それくらいしか思いつかなかった。
 頻繁に逢瀬を求めることもなく、でもあくまで付き合っているという親密さはそのままに、ギリギリのラインで一緒にいることを選んだ。

 もちろんただただそんな状態を1年も続けていれば、いずれ欲望が溢れ出してしまっていただろう。
 でも私には、真昼という「練習相手」がいた。
 夜空先輩と付き合っている真昼は、そういう意味では私の先輩で、色々と相談に乗ってもらっていた。最初はただのお悩み相談室のような感じだったのに、いつしか「練習」として身体を重ねることになった。
 正直、「練習」の効果は絶大だったと思う。
 相手の様子をちゃんと見て、ふたりで気持ちよくなること、そのために必要なムードやしぐさ、言葉。真昼のおかげで随分そういうことを考えるようになったから。
 真昼は手厳しくてダメだしばかりだったけど、先日やっと「そろそろいいんじゃない?」って言ってもらえた。つまり私の練習は終わったってこと。
 タイミングもちょうどよかった。仕事的にも少し落ち着いた年末年始のオフと重なる頃だった。

 もう一度ゆめと一番近くで触れ合うこと。
 何度夢に見たか分からない。でも私はもうあの頃の私とは違う。
 お互いシャワーを浴びた身体は十分に火照っていて、バスローブをゆっくりと脱がせば、ゆめの滑らかな肌が顕わになった。
 優しく抱きしめて、身体中にキスを落として、焦らしながらゆっくりと触れていく。
「今日のローラ、優しくて、なんかすっごくドキドキするかも」
 顔を赤らめながら、えへへと笑うゆめの瞳はしっとりと潤んでいるようで愛しくて堪らなくなる。それでも性急にするわけではなく、少しだけさっきよりも深いキスをした。
 唾液を絡めながらゆめの口内を存分に味わう。舌の裏や側面をつついてから歯列を丁寧になぞっていく。上顎にねっとりと舌を這わせれば、ゆめの身体がビクっと跳ねたのが分かった。
 そのままキスを続けると喉の奥から小さいけれど甘い声が漏れてくるようになる。
 キスが甘酸っぱいだとかレモンの味だとか、それは大抵比喩的な表現であって明確に味がついているわけではないことくらい分かってる。だけどゆめとのキスはどこか甘い。
 お菓子のような、というのが一番近いだろうか。例えばそう、いちごのショートケーキのような甘さがあると思う。ケーキ屋さんの子だからなのかな?なんて。

 真昼とは全然違うんだな。
 真昼とのキスはもっと大人っぽい香りで、エキゾチックっていうのかな、花のような匂いを纏っているから。夜空先輩からもらった香水をつけてるって言ってたっけ。
 唇だって、ゆめはふっくらとしているけど真昼はもう少し薄くて、仕事が終わったばかりだとグロスで艶めいていることもある。

 ゆめの胸に触れる。最初は周りからゆっくりと、徐々に中心に指を近づけていく。小さなピンク色の突起に息を吹きかけると、それだけでたまらないとばかりにゆめが声を上げた。
 私で感じてくれている。それが本当に嬉しくて、いとおしくて、幸せだ。
 真昼だと同じことをしても余裕たっぷりで、これくらいじゃ全然動じてない感じだから、余計にそう思うのかな。
 突起を口に含んだだけで高い声を上げてゆめは軽く達してしまったみたい。
 私は更にゆめの下腹部に手を伸ばして、すっかり湿り気を帯びてしまっているところに触れる。
「ローラ、ローラぁ・・・・」
 ゆめがうわ言みたいに私の名前を呼び始めた。嬉しいな。可愛いな。私のゆめ。
 ゆめの、まだ誰も触れたことがない奥の方まで、指を進めていく。入り口は随分とぬるついていて私の中指をすぐに受け入れるけど、それより奥はきゅうきゅうと狭くて締め付けてくる。
 1年前の私が辿り着けなかった場所、あの時に強引に進もうとした場所を、今はゆっくりと優しく開いていく。
 初めてってやっぱりこんな感じなんだ。
 そういえば私が初めて真昼にしてもらった時も、いざ指を挿れるってなったらすごく痛かったし、そう、確かこんな風に舐めてもらいながらゆっくり様子を見てくれて、そおっとしてくれたんだよね。
 逆に私が初めて真昼にしたときは、既に真昼が経験済みだったから、こんなに気を遣うこともなくするりと私を受け入れてくれて、それで「乱暴にしないでよ」って怒られちゃったんだっけ。
「ローラ、すき・・・」
 不意にゆめがそう言った。顔を上げると、ゆめの瞳はまっすぐに私を見つめている。

 あれ?私、今まで何考えてた?
 ゆめに触れるたびに頭の片隅をちらつく真昼の姿。
 私の初めて。そう、「私と真昼の初めて」のこと。さっきから考えていたのはそんなことばかりだった。
 そこで私はようやく気付いたんだ。
 私の身体が真昼に馴染みすぎているということに。私の欲望が、既に真昼を抜きには考えられなくなっていることに。

 ゆめは私を見つめている。初めての怖さとか快感とか色んなものを湛えた瞳で、それでも私のことだけを信じているというように、私だけをじっと。

 私の指先はその後も問題なくじっくりと閉ざされていた場所を開いていった。私はゆめにまたキスをして、やがて彼女が絶頂を迎えて、その身体を優しく抱きしめて、それが終わる。
 ゆめはぐったりとして私の腕の中で荒い呼吸を整えている。
 こんなにも理想的な、夢にまで見た状況だっていうのに、どうして私はこんな気持ちになっているんだろう。
 ゆめのことが好き。それはこれまでだって、今この瞬間だって変わらない想いなのに、こんなにゆめのことが愛しいのに、どうして。
 私の身体は、欲望は、まっすぐにゆめのことだけを欲しているというわけではないのだなんて。

「ローラ、わたし、すっごくね、その、きもちよくって、すっごく素敵だった・・・ねえローラ・・・ローラ?どうしたの?」
 ゆめが怪訝そうに私の顔を覗き込んだ瞬間、ゆめの柔らかい頬っぺたの上に透明な雫が一粒落ちた。私は泣いていた。
「ねえローラどうしちゃったの?・・・えっと、ごめんね私ばっかりしてもらっちゃって。ねえローラ、・・・ローラ?」
 涙は次々と零れ落ちてゆめの肌を濡らしていく。こんな幸せな瞬間なのに、それはどうしたって止めることが出来なくて、私はゆめの胸の中で声も出さずに泣いていた。

 それから程なくして私達は別れた。
 ゆめに理由は一切言っていない。言える訳がなかった。まっすぐなゆめの眼差しに耐えられなくなった、なんて。
 もちろんゆめは最初全然納得がいかないという様子で、「やっとローラと本当に恋人として付き合っていけるって嬉しかったのに」っていっぱい言ってくれたけど、そんな風に言ってくれるからこそ、こんな私と付き合い続けてもらう訳にはいかないなって思った。
 私が頑なだったから、ゆめもやがて何も言わなくなって、私達は”最高のライバル”に戻った。

 ちょうどそれと同じ頃から真昼はすっかり夜空先輩にべったりという感じになった。元々帰国の回数は多かった夜空先輩だけど、帰国日に合わせて日本での仕事もまた少しずつこなすようになったとかで余計にこちらでの滞在が増えたらしい。
 だから「練習」することだって、ほとんどなくなった。そりゃあ恋人と一緒にいるようになれば、当たり前だよね。私と真昼はお互いにただの練習相手。私が真昼に何か言えるような立場じゃないってことは十分分かってる。分かってるんだよ。
 
 表面上、これまでと何一つ代わり映えしない状態に戻っただけなんだ。なのに私は行き場をなくして、どうしたらいいのか分からない。
 お伽話のように、愛してさえいれば上手くいく、というわけではない。こんなにもまだゆめのことが好きだけど、それでも傍にはいられなくて、真昼と身体を重ねた記憶だって大切で。心と身体が求めるものがバラバラになって、私は私が分からなくなる。

 夜のランニングを終えて、誰もいない中庭でただただ突っ立って、私はため息をついた。夜の空は一面にぼんやり雲が立ち込めていて、星も見えなかった。
「どうした、桜庭ローラ」
 温かい手がポンと私の頭に乗せられる。
「アンナ先生?」
 後ろに視線を移すと、先生がいつものように二カッと笑っていた。
「また何か悩み事か?」
「・・・先生は、どこにも行けなくなっちゃったなって思った時、どうしますか?」
 ついそんな言葉が口をついて出た。突然の漠然としすぎている質問。私、急に何言ってるんだろう。
 すみません先生、今のナシでって言おうとしたら、先生はちゃんと答えを考えてくれている様子で、程なくして言葉が返ってきた。
「そこに座ってみる、かな」
「え?」
 ちょっと意外な返答だったから驚いた。その目は星のない夜空をじっと眺めている。
「目標が決まってて行き方が分からなくなったっていうんなら、方法なんて細かく考えなくてもゴーイングマイウェイだ!って言うところだけどさ、桜庭は今はそういう状態でもないだろう?」
「・・・分かりますか?」
夜の空から今度は私へ、先生の視線が移動する。
「目標がなくなって行き場を失った、それも今の桜庭ならアイカツの中でそんな悩みを抱えることもなくなってるだろうから、もっとプライベートな話かなとも思うんだけど」
「何でそんなに分かっちゃうんですか・・・私ってそんなに分かりやすいですか?」
 ズバリ言い当てられてしまって、何だか胸の中に不安が立ち込めてくる。まさか仕事の関係者とか学園のみんなにもバレバレってことなのかな。
「いや、その、それはただアタシが桜庭のことをずっと見てたからっていうか・・・その、教師として生徒のことはよく見ているからそう思うだけであって・・・」
 私が不安そうにしていると、先生はちょっとあたふたした。何かちょっと可愛いかもしれない、なんて思ったことは黙っておこう。
 だけどコホンと咳払いを一つすると、また真面目な頼れる『先生』の顔になった。こういうところはさすがだな。
「だから、ええっとさっきも言ったんだけど、どこにも行けないって思うなら、行かなくてもいいんじゃないかってこと。一休みして、そこに座ってみる。そうすると目線が変わって別のものが見えてくることだってあるし、ひたすらに走っていた時とは違う風を感じられることもある。今桜庭に必要なのは、そういうことなんじゃないのか?」
 先生の手がまた、私の頭に置かれて優しくなでてくれる。その言葉も、手のひらの温度も今の私を包み込んで溶かしてくれるようだった。
 私はゆめと過ごした最後のあの夜以来、初めて泣いた。
「辛い時は我慢しなくていい・・・それに、最近桜庭、雰囲気が変わって少し大人っぽくなったって、評判だって上がってきてるみたいだからな。全部の経験がアイカツに活きるから」
「はい・・・っ」

 今はただ、一休みしてもいいのかもしれない。頼っていいよって言ってくれるひとに背中を預けて、座っていてもいいのかもしれない。
 そして、永遠に続くようにさえ思えるこの胸の痛みが、いつかなくなったら、ゆめとまた笑って一緒にいられるようになったらいいな。
 今日この夜の空に立ち込めている雲だってずっとそれが続くわけなんてない。絶対に晴れて、また星空が見られるようになるのだから。

 だから、いつか、きっと。

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