冷やし中華
土曜の昼。
四草は下の中華料理屋でバイトのヘルプに入っていて、人出が足らんからてオレも出るように言われているけど、それも夕方から。
夏の土曜の昼は、ここまで暑くなかったら天国やねんけど、とため息を着きたいような気温で、扇風機はおチビの隣にある。
中華料理てもんは、煮炊きどころか時々は煮えた油も調理に使っている。下の料理屋に客が入って来ると、当たり前やけど、客が入り始めた途端に、部屋ん中がどんどん暑くなってくる。
下ではガンガンにクーラー掛けてはおるけど、扇風機だけのこっちの室内の気温は、屋根に近い分だけ否応もなく上がっていくわけで、正直しんどい。
オヤジがホンマにあれはいややで、て言うてた夏場の稽古どころと違う。
……宿題したい子どもがおってええような環境とちゃうで。
子どもはTシャツに短パン。オレは同系色のハーフパンツでちゃぶ台に座って、店屋物のチラシを眺めていたけど、今は食べたいもんがないな、というのが結論や。
店屋物て言っても、ピザに、丼もんの店に、後は寿司。冬はこれでいいねんけど、夏はなあ……。
寿司かて、運んでる間に悪なる可能性がちょっとでもあるなら、子どものこと考えて止めといた方がええし。
そしたら家でうどんかそうめんでも茹でるか、外に食べに行くかの二択やけど、外なら外で10時くらいに外に出てしもて、どっかぶらぶらしてから駅ビルに入ってるレストランで食べる、みたいなベルトコンベア式の流れの方がええていうか。
昔は選択肢がなくてほんま、おかんが連れてってくれるお気に入りの洋食屋で、やたら暑いのに春先や秋みたいにオムライス食って、一番旨いのが最初に出て来る冷やしたジャガイモのコンソメスープとかやったから、こんなんいやや、てごねたら、いつものかき氷の店寄って、イチゴ味食べて。その辺の店ののぼり旗でアイスクリームやらかき氷がありますとか書いてある店も今ほどようけなかった代わりに、長いこと待たされることもなかった。
そういえば、夏休みに出かけていつもの店が臨時休業で仕舞ってたら、初めてのとこはいくらかかるか分からへんし、て戻ってきてそうめんと、おかんと一緒に丸めて作った白玉あずき食べたりしてたなあ。
あれも、草原兄さん来てからはただのそうめんばっかで、白玉がなくなった代わりに、レタスとかプチトマトとか買ってきたヤツで、サラダを付けたりして。オレもレタス千切って手伝いとかたまにしてたけど、おかんは、夏場は毎日なんやかんやとバタバタしてて、今のオレみたいに気軽に甘いもん食べに行く暇もなかったし、ほんまはサラダより白玉のが良かったな、て思てた気いするわ。
甘いもんか……、どうせ外に出るなら食べ盛りの子どもがおるんやし、帰りに西瓜のひとつでも買ってから帰ったらええんやろか。そのまままるごと一個買うてもそのままでは冷蔵庫に入りきらんし、日暮亭寄って、喜代美ちゃんに切ってもらって皆で分けて薄っぺらい西瓜食べて、足りんくらいがちょうどええていうか。
そういえば、こっちのおチビはいつまで経っても真っ白やなあ。オチコちゃんは時々プールに泳ぎに行ってるて言うし、四草は割と、出してる腕とかはそれなりに日焼けしてんのに。
選ぶ気もないチラシを前にして、どこへ行くかも決めかねてぼんやり見入っていると、仕事をサボりに来た四草が、「昼飯どうするんですか、」と言っていきなり顔を出してきた。
白い制服は、油跳ねても身体に掛からんようにか、分厚い生地で出来てて、夏場はほんま暑そうに見える。
正直、額から汗出してるとこ見るとなんやこいつも汗かくんやな、みたいな気持ちになって……。
いや、昼から何考えてんねんオレは。
「なんでもええなら、うどんでも茹でますか。隣行ってきますけど、」とこっちの台詞を取ってもうた。
いつもならオレの部屋を犠牲にして、麺を茹でるだけ茹でて、冷ましてからこっちに持って来ることにしてる。
どのみち暑いことには違いがないんやけど、そうでもせんと食べる時はただでさえ暑い部屋の中が灼熱地獄や。
「まあ待てや、たまにはおチビの食べたいもんでも聞いたらいいやろ。せっかくの土曜日やし、今日は、外行きたいとかないんか?」
「そういうたら、僕いっぺん、冷やし中華て食べてみたいねんけど。」
「えっ……食ったことなかったんか?」というと、子どもはこっちを見上げてうん、と頷いた。
「たまに、オチコのとこの喜代美おばちゃんに冷やし中華の日にしよか、て言われたこともあったんやけど、あの頃僕、キュウリが苦手やったから。あれ、中華麺使てるのに、下のお店でもやってへんよね。」
「何年か前に賄いで出たことならあるけどな。」と四草が足を止めて言った。
(えっ、お前このままサボって他所の中華料理屋に連れてく? オレそうめんでええねんけど。)
(僕かて、外に出るならいつもの駅前の立ち食いのざるうどんでいいですけど、それにしたって、ここから出て行くには一旦店通らなあかんですよ。)
目で会話してから、どないしよ、とおチビを見たら、冷やし中華がええなあ、という期待の目で見られている気がする。
どうも四草のヤツもそれが居心地が悪いみたいで「………卵にハムとキュウリならありますし、隣にある調味料を使ってそれっぽいタレなら作れんこともないですけど、麺だけは下からちょろまかしてくるか買い物行ってこんとあかんでしょうね。」と言った。
(おい、シノブ、お前『ちょろまかす』が先に来るの、親としてどないやねん。せめて賄いに作ってこっち持って来るとか、言葉選べ。)
(……こっちは下戻らんとあかんので、草若兄さん、さっさと結論出してください。)
「あんなあ、そうめんの冷やし中華風ではあかんか?」
「それやったら、まだ冷やしうどんにした方がそれっぽいのと違いますか?」と四草が口を出してきた。
ああもう、ややこしなあ。
「あんなあ、冷やし中華、今やなくてもええよ。今日はおそうめんで、今日の夕方買い物してきて、明日のお昼とかでも。」
「明日になったら朝飯で卵とハムなくなってしまうかも分からんで。キュウリも、カッパみたいなのが一人おるからな。」と言って四草は子どものほっぺたをぎゅうと両手で押したった。
「そうかて、夏のキュウリ美味しいやん~。」と言って子どもはバタバタと手を動かしている。
おチビも、ここに来た頃はそないに炒め物に入れてる美味しない野菜、みたいな分類にしてて、生のキュウリなんかよう食べへんかったんに、喜代美ちゃんとこで、いっぺん味噌つけたキュウリ食べてから、美味しい、と言って自分から食べるようになってしもた。
そらまあ、キュウリは水分多いし、夏場は食べたら身体冷えるからええのやけどな。
「そんなら、キュウリと卵とハム、夕方買い出しに行くで、今日はそうめんにするか?」
「お湯沸かして来ます。」
「オレも、手伝いに行ってくるわ。」
なんやそういえば、片栗粉と間違えて買ってきた白玉粉があったような気がするし、正月の餅に使った黄な粉か小豆残ってたらどうにかならへんか、と言って四草について隣の部屋に行くと、ドア閉めた途端に四草が振り返って、そのまま扉に背中押し付けられた。
なんやなんや。
お前、そうめんの湯沸かすんとちゃうんか、と思てる間に、隣の部屋ではおチビがテレビ入れた音がして、なんちゃら鑑定団の音楽が入ってる間にチューされた。
勝手に舌まで入ってくる。追い出したいのに、舌先を吸われてどうもならんようになってしまった。部屋が暑すぎるせいか、頭がぼうっとしていて舌先がぬるく感じてしまう。
あ、ドアホ、どこ触ってんねん。
ハーフパンツの中に入って来た指が、ゆっくり丁寧に動いているように思えるのも、暑さのせいかもしれへんな。
いつも通りのくったりした状態だったのに、あっという間にその気になってしまう。目を瞑ると四草の汗の匂いが鼻先に感じられて、指が何度も上下するにつれて濡れてねばついた音が聞こえて来た。堪えたら長引いてまうな、と頭のどこかでは分かっているのに、コイツには早いと思われたくなくて射精を堪えてしまう。
「出してええですよ。」とドアホの弟弟子は言った。眦がじわりとにじむ水で濡れる。
お前の手は、こんなんに使わんと、鍋に水入れたり茗荷千切りにしたりしてるはずやろ。
沸騰しそうな頭で考えられることは他になくて、ひとし、と名前を呼ばれて、抵抗する気持ちが弾けてしまう。
「………ぅ、あ。しぃ。」
あかんて、出る。
おい、緩いの履いてるの見てたらなんや手が出てしもて、て顔か、それ?
お前、その顔全然反省してへんやろ。……ていうか、オレもどんだけ早いんじゃ。
白玉作ろうかと思ってこっち来ただけやぞ。もう、昼飯の前やて言うのに泣きたなってきた。
声を落として「何見てるねん。……そんなもん、さっさとティッシュで拭ってまえ。」と言うと、四草は手を伸ばしてティッシュの箱をこちらに押し付けてから、流しでさっと手を洗って、背中を丸めてアレをちり紙で拭い始めたオレの手から、押し付けたばかりの箱をひったくるようにして、続きをした。
触るな、アホ、というと笑って「玉ねぎでも切っといたことにしますか?」と言った。
涙の浮かんでた目の端を湿った指で拭われる。
「……あんなあ。するならするで、そない言わんかい。」と冷蔵庫の前に立って中にあるキュウリとハムの残量を確かめた。
あると思っていた茗荷はすっかりなくなっていて、今日のそうめんの薬味は万能ねぎか生姜のすりおろしかというところか。
「してええですか、て聞いたら、兄さん隣の部屋に逃げてまうでしょう。」と言いながら、四草はようやく大きなステンレスの鍋を持って中に水を注ぎ入れた。
水も、すっかりぬるくなってしもてるんやろな。
「……そんなん、おチビに聞かれたら困るし、当たり前や。隣に誰もおらへんなら、ちょっとくらいならええとか言うかもしれへんけどな。」
「次からは我慢します。多分。」
「多分、かいな。」
「なんぼ暑くても、子どもの前でも、そんなカッコしてんと、普段からもうちょっと厚いTシャツ選んで着てください。」とそない言われて、オレも無言で四草の足を蹴った。
powered by 小説執筆ツール「notes」
54 回読まれています