飴ちゃん
これお前にやるわ、と兄弟子が昔どこかで見たようなないような黒いパッケージの飴をポケットから出して来た。
「なんですか、これ。」
さすが、僕が二十代の頃から精神的な成長がさっぱり見られないだけのことはある。「何て、飴やがな。」と誤魔化そうとしているようだが、飴ひとつを手放したら今は、直ぐにも口笛を吹いてそっぽを向きそうな顔になっている。
こんなもん人に押し付けんといてください、と正直に口に出したら出したで結局面倒になることは分かり切っているので、半分溶けてませんか、という事実は口を噤んで言わないことにした。
目の前のテレビには、兄弟子が録画していた某師匠の「らくだ」が流れている。
子どもが見られるような番組を撮りためておくために、録画が出来るビデオデッキを備えて、ついでのような形で演芸番組の録画も始めてみたはいいが、仕事が立て込む時期になると、消化する時間を作るのが難しくなってくる。
ただ録画が貯まっていくばかりではビデオの置き場がないと、子ども番組以外のほとんどの録画を止めてしまい、時折草原兄さんや草々兄さんのコレクションから借りて来るくらいになっていたが、『らくだ』と言えば、テレビで掛かるのはもっぱら東の方の大師匠が多く、そのもの珍しさもあって久しぶりに録画をしたらしい。
関東では真打の持ちネタと言われるほどらしい。
それに比べたら、関西では時折掛ける人もいないではないが、地名すら、今ではもう残ってないような場所とあって、あちこちと説明が入るのが面倒なのか、半年に一度でも、どこかの落語会で聞ければいいところというところだった。
僕も多少は楽しみにしていたのである。
その上、常にも増して泥酔した登場人物が多いこの話、こっちが集中して聞いてへんとあっという間に先に行ってしまう。いくら自分が先に見てるからといって、演芸番組を見ているときくらい静かにしてたらどうや、と言わんばかりの気持ちになっていると、兄弟子は、僕の膝の上にどっかりと頭を乗せて落語を見始めた。
「お前これ、靴下ちゃんと洗えや。」
正直、そこまで言って、なんでそこからどかへんのか聞いてええですか、と言いたいような気はするが、今急にどかれたところで、視線の先を塞ぐことにもなりかねない。
分かりましたと言うて黙っているしかないのである。
仕方がないので、画面に集中すると、今度は口の中で転がしている飴が気になって来る。
歯に染みる甘さではなくてどちらかといえば柔らかい甘さであるが、それでも甘すぎるような気がする。
膝の上の兄弟子は、煮しめみたいなもん、酒のあてに食いたいようなもんか、と言っている。
「兄さん。」
「……なんや?」
「どっから貰ろて来たんですか、こんなもん。」
「こんなもん、て何や。」
「飴玉です。」とこちらが返事をすると、ああ、と兄弟子は気のない返事をした。
「日暮亭の事務所。」
また若狭に会うて来たんですか、と言うのも癪なので、相槌を打たずにそのまま飴を舐め続けると、兄弟子もまた、今日あったことを話し続ける。
「オチコちゃんが草若ちゃんにコレあげる、て言うてたくさんくれたんや。草々よりオレのが好きやて。」
「そうですか。」
万々歳やないですか、二十年待って嫁にもろたらどうです、とか。
十年前の僕ならそういう軽口にも出来たわけだが、今となってはそれも難しい。
一体何を考えてそんなこと僕の前で言おうと思ったのか、聞いてええですか、と口に出せない腹の中に、飴の甘さがじわじわと沁みて来た。
「カンカン踊りて、……らくだもフグで死んでまうし、これなんや、地獄八景とネタ被ってへんか?」
「それだけ、作った時代にどこででも流行ってたて話と違いますか?」
知ってて見てたんとちゃうんか。
まあ、この人のことだから、これだけの大ネタを一人で見ているのに飽きて、途中で放り出したのかもしれなかった。
そんなことあんのか、と言うので、底抜けみたいなもんです、と適当に返事をする。
このところ伸びて来た前髪を引っ張ると、ふうん、と兄弟子は気のない返事をして、らくだに見入っている。
見入ってるのが『ふり』かそうでないのかは、そのうち分かるだろう。
酒が入って来たら、そろそろ話も終わるころだ。
それまでは大師匠のらくだをこのまま聞いて、待ってたらええか。
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