日常風景

 うちの学校、というか、私のいるクラスには転入生が多い。担任の鳥海先生も驚いていたくらいには。四月から立て続けに三人も入ってくればそれはそうなのである。そんなに偏ることなんてある? と思っていたが、実際そうなっているのだから仕方がない。私は後ろの方の席だから、教室全体をぼんやりと見つめることができて結構気に入っている。転入生である彼らは基本的に前の方の机にいるので、おのずと目に入る。
 四月に転入してきた彼は、ちょっとミステリアスで話しかけづらい雰囲気を漂わせていたが、その周りに岳羽さんや伊織君が存在していることでひどく目立つ人だった。時折生徒会長も彼を訪ねてくるのだから尚更。よくよく聞いてみれば、彼らは揃って寮生だということだったのでそのあたりの関係なのだろう。いつだったか忘れたけれど、彼らと共に笑っていた姿をみて、おお、と思ったことを覚えている。すっとした鼻筋に整った頬のライン。どちらかというと中性的な顔立ちをしていて、長めの前髪から時折見える闇色の右目が更にミステリアスな雰囲気を助長している。ともすればモデルにもなれそうなほどに綺麗なつくりの彼が、あまりにも楽しそうに笑っていたからだ。岳羽さんの隣に立つ姿は、うわぁお似合いだ、と思わざるを得ないくらいには整っていた。
 かと思えば、授業中にうとうとと舟をこいでいる時もあるし、不意打ちで当てられた伊織君にこっそりと正解を教えてあげたりもしていて、勉強もできるのだという姿を見せつけられる。強い。外見もいいうえに頭もよくて、体育の授業でも飛びぬけて運動神経が良かった。人間ってこんなに完全な生き物として存在することができるんだ? と憧れとか妬みとかそういう感情を全てすっ飛ばした先、ただそこに存在しているという事実に呆気にとられるしかなかった。それくらい、彼は凄かった。陳腐な言葉でしかまとめられない自分の語彙力が憎い。
 次にこのクラスに現れたのは金髪碧眼美少女。アイギスさん。その姿はとにかく涼やかで美しく、立ち姿はモデルみたいに姿勢がいい。もちろん手の置きどころも含めて絵になっていた。風になびく金髪は太陽の光を含んできらきらと眩しくて、時折興味深そうに辺りを見渡す鮮やかな青い目は底が見えないほどのスカイブルー。
 違和感があるとすれば喋り方だけれども、噂によるとどうやら帰国子女らしい。それなら仕方ないのかもしれない。英語から日本語へ変換したみたいな喋り方をするけれど、その言葉の選び方自体がどこか機械的だなと思ったことを覚えている。けれど日が経つにつれてその言葉選びがどんどん柔らかくなり、仮面のような無表情さが少しずつ剥がれ落ちていって、ふんわりと笑った顔がとても可愛くて綺麗だった。同性の自分でも見惚れるほどには。
「……ほんとなんだろう、このクラス」
「なぁに、また変な事言って」
「変じゃないよ。このクラスの顔面偏差値、あの三人のおかげで爆上がりじゃん」
「あー…、まぁ、そうね」
 話半分で相槌を打つ隣の席の同級生、もとい幼馴染は小さな刷毛でポリッシュを掬い取り、丁寧に小指に塗布していた。ふう、と指先に息を吹きかける。細長く綺麗な形に整えられた爪は、可愛らしい桜色に染まっている。満足そうに頷く彼女に相変わらず器用だなぁ、なんて思いつつ、私はテーブルの上に肘をつき掌の上に顎を乗せた。またひとつ溜息が零れ落ちる。
「なんであんなに綺麗なのかなあ。生まれ持ってかな…?」
「天は人に二物も三物も与えることがあるんだよ。多分神様の贔屓」
「う~ん世知辛い。羨ましい限りなんだけど」
 そんなクラスに十一月に現れたのは、またしても帰国子女だという、泣き黒子と黄色いマフラーが印象的な彼、望月綾時君だった。すらりとした長身、オールバックに整えた黒髪が大人びた雰囲気を漂わせているが、表情はいつも穏やかでよく笑っている。その目は吸い込まれそうな空の色で、アクアマリンを彷彿とさせる透明度。目を合わせることを怖いと思わないのか、初めての人間に対してもしっかりと視線を合わせてくる。そうしてにこっと笑うのだから、物怖じしないとても人懐っこいひとなのだと思っている。伊織君や友近とも仲が良くて―――男子はなんであんなにもすぐに仲良くなれるのだろうか。不思議だ―――よく一緒に歩いていると思えば、いろんな学年の女の子にも声を掛けて回っていて、彼女持ちの男子には警戒されているのを知っている。そんなに気軽に女の子に声を掛けていると勘違いされるぞ、と伊織君に注意されていたが、彼はきょとんとした顔をしてお友達になりたいだけなんだけど、と言っていた。その姿はまるで小学校に入りたての一年生みたいな…そう、友達百人できるかな、みたいな、そんな純真さだった。声を掛けられて舞い上がっている女子以外は、望月君には下心が見えなくて逆にすごい、という評価で持ちきりだった。
 ということで、うちのクラスには美男美女が勢ぞろいしている。本当にどういうことなんだろうとは思うが、実際こうなっているのだから不思議な事もあるものなんだなあ、と思うことにしている。別の学年やクラスからの見学者が未だに絶えないのが恐ろしい話である。これ、学年が上がったらまた新入生が見学に来るんだろうなぁ。
 隣でマニキュアを塗り終わった幼馴染はようやくすべての爪が乾いたのか、満足そうな顔でその仕上がりを確認している。この幼馴染は別の学校に彼氏がいて、しかもお互いにべた惚れなのだ。お互い以外には眼中にない、自他ともに認めるバカップルなので、このクラスの美形軍団には全く興味がない。彼氏持ちなのだからいいことでもあるが。
「別にね、彼氏になってほしいとかそういうのじゃないんだよ」
「ふぅん?」
「目の保養だから」
「目の保養」
「アイドルを見ている感じ」
「向こう側の人たち、ってことね」
「そうそう」
 うんうんと頷く。別に彼らの輪の中に入って喋りたいとか、個人的に仲良くなりたいとか、そういうやつじゃない。自分という個を認識してほしいとは思っていないのだ。自分はこのクラスの中のひとりであり背景のひとつ、それでいい。ファンサなどは特に必要ではない。特に代わり映えのしない学園生活の中の、ひっそりとした楽しみの一つ。
 彼らが学園内の教師を含む様々な人たちから色んな意味で注目されているのを知っていて、私はこう思うのだ。彼らに関わりたいわけではない。ただの日常生活の視界内に、華を添えてくれ―――と。
「女子高生の言う台詞じゃないんだよな~」
「そんなことないよ。そういう人もいるんだよ。私みたいにさ」
「まぁそういうコトにしといたげるよ」
「なぁんでそんな上から目線?」
「あはは」
 軽口を叩きつつ面白そうにけらけらと笑う幼馴染は、爪先の乾燥具合をもう一度丁寧にチェックしてからネイルをポーチにしまい込み、代わりに取り出したリップを唇に塗った。ほんのりと色づくだけのそれなのに、彼女の唇に乗るとぱっと鮮やかに見えるのだからメイクは不思議だ。いつもすごいなぁと見惚れてしまう。元々彼女の顔も美人と呼ばれるタイプなので、なおさらなのだろうけども。
「人には人の好みってね。んじゃ、デート行ってくる!」
「それ慰めなの? 何? まぁいいや、いってらっしゃい、気をつけて」
 またね、と手を振る。にこにこと上機嫌で鞄を片手に教室を出ていく幼馴染を見送り、私は再び頬杖をついた。視線の先には噂の彼らの姿がある。今日は吹奏楽部もないし、習い事もないし、急いで帰る用事もない。もちろん学校に残る理由も特にないのだけれど、ひんやりと寒くなってきた外に出るのが少しだけ億劫でずるずると教室に居座っている。
 そういえば彼らは修学旅行で同じ班だったっけ。友近―――彼は中学校からの知り合いで、なんだかんだでそこそこ仲のいい異性の友人だった―――と伊織君と、あの目立つ転校生二人組が四人で顔を突き合わせ京都の地図を確認していたのを思い出す。いやぁ、あれは本当に目立っていた。修学旅行前の打ち合わせの時も思ったが、実際旅行先でうちの班と行先が被った時にちらりと見かけた彼らは特に目立っていた。望月君の長身が目立つ原因のひとつだったが、何よりも彼との距離感がえらく近いなと思ったことを覚えている。どこにいくにも雛鳥のごとく彼の後ろをぴったりとくっついて移動していたので。現に今もそうだ。アイギスさんに睨まれながらも(どうしてあんなに望月君の事を警戒しているのかはわからないが)望月君は彼の隣をしっかりと陣取っていた。なんだろうなぁ、あれ。年頃の男子高校生の距離感か? と見るたびに思うのだが、どうやら彼らの中では違和感がないらしい。でも、前に至近距離にあった伊織君の顔をてのひらで押しやり近い、と少し渋い顔をしていたのを見たことがあったので首を傾げるしかなかった。あの時はパーソナルスペースが広いひとなんだと思っていたのだが。
 望月君が彼の制服の肘のあたりを指先でつまんでちょいちょいと引っ張っている。それに気付いた彼が、なに? と首を少しだけ傾げながら斜め上を見た。ふ、と彼らの顔が近付いて―――ひっそりと耳打ちをしているようだった。ほんの少しだけ目を見開いた彼が、次の瞬間ふわりと柔らかく笑う。それにつられて望月君も嬉しそうにぱっと笑った。
 …なんだあれ。びっくりした。こんな公衆の面前でキスでもするのかと思わず勘違いしてしまった。それくらいの距離と雰囲気と仕草でこちらの心臓のほうがばくばくと跳ねている。男子高校生にあるまじき距離感ではないだろうか。本当に心臓がすごくうるさい。見てはいけないものを見てしまった。隣でやんやと騒いでいる伊織君とそれをスルーしているアイギスさん、岳羽さんはどうやらその一瞬に気付いていないようだった。自分ひとりだけがあの密やかな空気にあてられてしまったようで、どうにも落ち着かない。
「………かえろ…」
 あのひっそりとした、二人きりの静かな瞬間。時が時なら絵画になっていてもおかしくないのではなかろうか。本当にびっくりした。もそもそとマフラーを巻いてから立ち上がる。ノートと教科書の詰まった重い鞄を持ち上げ、いつもどおり教室を出た。


 帰りのモノレールはいつもより少しだけ空いている。教室でだらだらと時間を潰していたおかげで、下校ラッシュの時間からずれたのだ。しかしこれ以上遅くなると、今度は一日の労働を終えた社会人の方々の帰宅ラッシュに巻き込まれることになる。
 ふぅ、と空いた席に滑り込んで一息つく。楽しかった修学旅行はあっという間に終わってしまったし、これから楽しみな行事はあまり残っていない。高校二年生ももうすぐ終わってしまう。
「はぁ…」
 あとは高校三年に向けて、もとい大学受験に向けての勉強が始まるのかと思うと憂鬱だ。忘れるわけにはいかないが、ずっと考えるには少しだけ重い悩みのひとつ。
 そんなことを考えながらぼうっとモノレールの発車を待っていれば、ちらほらと同じ制服を着た学生たちが乗り込んできた。それぞれに鞄や携帯、参考書などを持ちながら空いた場所へと収まっていく。
 私も来年の今頃には受験戦争かぁ。必死に勉強してるんだろうなぁ、と他人事のように思う。時が流れるのは本当に早い。一応勉強しているんですよ、という体で参考書を取り出した。ぺらりと一枚ページをめくる。苦手な英単語が至る所で踊っていた。
「ねぇねぇ、君の部屋に遊びに行ってもいい?」
「いいけど…別に面白いものとかないよ。順平の部屋みたいにゲームもないし」
「なくてもいいよ。君と喋りたいだけだし」
「それでいいのか…?」
 ぼーっとしていて気付かなかったが、なにやら割と近くで聞きなれた声がする。彼らよりだいぶ先に学校を出てきたはずなのに、同じ電車の同じ車両になるとは。これは男女のコンパスの違いなのだろうか。
 モノレールという密室の中、二人の声が聞こえる方向をちらりと見る。二人は車両の端のほうに立っていて、先程学校で見た時のような距離感のまま会話を続けていた。どうみても男子高校生同士の距離感ではないと思うのだが、私の感覚がおかしいのだろうか。
「あ、途中のコンビニでお菓子買ってこ?」
「ん」
「ついでにお茶も買う」
「わかった」
 かたんことん、とモノレールの揺れる音がする。視界の中の彼はいつものようにヘッドホンを首に提げたまま望月君と喋っている。返事と共にこくりと頷く仕草がどうにも幼く見えてしまった。
 うーん、目の保養だ。うちのクラスの人たちは本当に造形も綺麗だが、仕草もどことなく違って見える。育ちの違いなのかもしれないけれど、岳羽さんだってとても礼儀正しいし、伊織君だっていつもはおちゃらけてはいるけれど、きちんと他人への気配りができる人だ。
 ぼんやりと考えながら視界の端にちらちらと彼らを捉えていれば、巌戸台駅へ着くというアナウンスが流れた。しまった。降りそびれた。自分が降車する駅は巌戸台の一つ前だ。馬鹿みたいにぼんやりしてしまったなぁと反省しつつ、結局一ページも進まなかった参考書を閉じた。モノレールが折り返すのを待つしかなくて、滑り込んでいく駅の中を観察する。私はあまり巌戸台へ来ることがないから、どこも見慣れない景色だ。到着を告げるアナウンスとともに扉が開き、うちのクラスの美形軍団筆頭二人が揃って降りていくのを見送った。うわ、扉をくぐる時に少しだけ屈んだわ望月君。背が高い。
 空気の抜けるような音がして、再びモノレールの扉が閉まる。それと同時に、巌戸台のホームにいた彼がふっとこちらを振り返った。ばちりと視線が合う。ひぇ、とこぼれそうになった声を息と一緒に飲み込む。あの少しだけ青の混じったような夜色の瞳が、私をしっかりと認識している。彼のそのほっそりとした、けれど男性的な手がひらりと振られて衝撃を受けた。
 えっ、あっ、彼は、そんなことを、するひとだったんだ。というか、自分のことを同じクラスの人間なのだと認識していたのだと気付くとびっくりする。あんなに綺麗な造形の異性にそんなことをされたら、心臓がひっくり返りそうになるのもやむなしだと思う。不整脈かと思わざるを得ないくらいに心臓が跳ね回っていて、魔性ってああいうのを指すのだろうなぁ、だなんて現実逃避していれば、モノレールはゆっくりと、静かに走り出していた。
「………こわ」
 流れていく景色の中でちらりと見えたのは、彼の隣で笑っていた転校生、望月君もこちらを認識してぶんぶんと手を振っている姿だった。あのすらりとした容姿とは裏腹な、子供っぽい仕草だと思う。ただ、それが可愛い、と称されるものだということはとてもよく分かった。格好良くて面白いんだけど、どっちかというと可愛いの比率が高いんだよね、とどこかの女子が喋っていたことを思い出して盛大に同意する。確かに、大型犬のような懐っこさだ。
「………いや、怖ぁ…」
 本当にうちのクラスの転校生たちはどうなっているのだろうか。仲良きことは美しきかな。そういうことにしておこう、と彼らに関する思考を打ち切る。いいものが見れた、とだけ思っておこう。
 がたんとモノレールが揺れた。ぎゅっと鞄を抱きしめて、私は降り過ごしてしまった駅まで目を瞑ることにした。

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