うさぎの日

「ジェームス」
 いつも通りのなんてことない音でオ・デヨンがキル・スヒョンを呼ぶ。ソファに座っていたスヒョンが顔を向けるのと同時に何かを頭につけられる。微妙に締め付けてくるこの感触。これはいったい。スヒョンの頭に「何か」をつけた犯人はもちろんデヨンで、何かをつけたスヒョンを見て楽しそうにしていた。
「今日バニーの日なんだって」
 言いながらデヨンは一度スヒョンの頭から何かを取り外す。彼の手にあるのはうさぎの耳を模した飾りがついたカチューシャだった。なるほどそれであの締め付け感。オーソドックスなぴんと立ったうさぎの耳。つけた感じそれほど重くはなかった。
「これもいいけどお前は垂れ耳も似合いそう」
 デヨンはテーブルに置いた紙袋からもう一つカチューシャを取り出す。
「僕が?」
 というかどこで買ってきたんですか。
 ちなみにスヒョンは今まで自分にうさぎの耳が似合うなどと思ったことはないし言われたこともない。
「これ?100均。あそこなんでもあるよな」
「どんな顔して買ってきたんですか」
 じと、とスヒョンは目を据わらせてデヨンを見る。彼はスヒョンの視線を受けて「お前の好きなこの顔」と笑った。間違ったことは言ってないのでスヒョンはなにも言えない。あと絶対にスヒョンよりデヨンの方がうさぎの耳は似合う。
「どっちにしようかな」
 もうデヨンの中ではスヒョンがうさぎの耳をつけるのは決定事項らしい。この人はたまに突拍子もないことをする。でもそうやって振り回されたりする時間がスヒョンは嫌いじゃない。
「ジェームス、どっちがいい?」
 そしてよっぽどのことでなければデヨンのすることをスヒョンが拒否しないとわかって甘えるように戯れてくるのも。
「どっちでもいいです」
「じゃあこっちだ」
 デヨンは先ほどとは別のものをスヒョンの頭につけた。今度は垂れ耳の方だ。
「痛くないか?」
「はい」
 普段頭に何かをつけることがないから違和感はあるが痛くはない。顔の横にあるうさぎ耳に触れてみればふわふわしていた。こういう耳のうさぎはロップイヤーといっただろうか。
「うん、かわいい」
 デヨンがこの世界の甘さを集めたような目でスヒョンを見る。
「なんでこっちにしたんですか」
 うさぎの耳が立っていても垂れていてもスヒョンにとっては特に変わりないが、デヨンがこちらを選んだのに理由はあるのだろうか。
「垂れ耳は甘えん坊な性格なんだってか」
 甘えん坊。スヒョンが評されるときにはおよそ使われることのない言葉だ。
「……僕って甘えん坊ですか」
「俺にだけな」
 それならまあ、わかる。甘えるのがへたくそなキル・スヒョンを甘えさせてくれる人だから。デヨンはスヒョンの頬を両手で挟んでその感触を楽しんで、かわいい、と顔を綻ばせる。かわいいのはどっちだか。
「うさぎはさみしいと弱るのでずっと一緒にいてくれないとダメですよ」
「知ってる。ジェームスはさみしがりだもんな」
 ずっと、家族を失ってから、スヒョンは一人で大丈夫だったのだ。大丈夫じゃないといけなかった。他人の無理解に悲しんでいる暇が惜しかった。だから大丈夫だったのに。
「……こっちはあなたがつけてください」
「いいよ」
 いつのまにかさみしいのが嫌になった。ひとりはさみしいと思うようになった。そう思うことが悪いことでも何でもないのだと、思えるようになった。
「どう?」
 デヨンが立ち耳うさぎのカチューシャをつけて首をかしげる。文句なしにかわいい。
「写真撮っていいですか」
「だめ」
 写真に残したかったのにデヨンに即座に断られた。不満が表情に出たスヒョンを見てデヨンは「お前が見たいときにつけてやるからさ」とほほ笑む。
 甘やかされている。でもそれが心地いい。
「俺、こういう趣味はなかったんだけどな」
 立ち耳うさぎのカチューシャをつけたデヨンはスヒョンの付けている垂れ耳を触る。もっと近づきたくてスヒョンはデヨンを己の膝上に乗せた。慣れたもので彼は驚きもせずもはや定位置と言っていいスヒョンの膝に腰を降ろす。
「そうなんですか」
「そうなんですよ。これも今日たまたま見かけてお前に似合いそうだと思ったらつい買っちゃった」
「買っちゃいましたか」
「買っちゃいました。思った通りかわいいさすが俺」
 流れるように自画自賛をしてデヨンはやっぱり甘さを煮詰めたような目を向けてくる。
「……僕のことかわいいです?」
 スヒョンのつけている垂れ耳を触るデヨンの手に、己の手を重ねる。キル・スヒョンをこの上なく甘やかす優しい手。
「うん」
「じゃあキスしてください」
「いいよ」
 とん、とデヨンが触れるようなキスをスヒョンの唇に贈る。
「毎日これつけようかな」
「ええ?」
 デヨンがおかしそうに少し笑う。だって。
「これつけてる僕、かわいいんでしょう」
 馬鹿みたいだけれど、デヨンにかわいいと思われるならそれくらいしたっていいとスヒョンは思うのだ。もちろん実行もできる。
「はは、つけてなくてもかわいいよ」
 デヨンはスヒョンの頭からカチューシャを外す。そして彼自身の言葉を証明するように優しくスヒョンの頬に唇で触れた。
「こっちも」
「はいはい」
 物足りない、と訴えれば唇にも触れてくれるのでスヒョンはデヨンの背に手を回した。

「ところでこれつけてエプロンつけた俺とかどう?」
 デヨンの言葉にスヒョンの脳裏にはうさ耳エプロン姿の彼が思い浮かぶ。
「その、……エプロンの下って」
 いつだったかオ・デヨンはタンクトップにハーフパンツ、の上にエプロンをつけ、そのエプロンが彼の着ているものをうまい具合に隠していたものだからすわ裸エプロンかと思い込みうろたえたことがある。それが思い出されたのだ。
「それはお前次第だな」
 どっちがいい?とデヨンがスヒョンの耳元でささやく。思い切り甘え倒してどっちもはありだろうか、とスヒョンは頭を悩ませた。
「思いついた」
 そして答えが出せないままでいるスヒョンをよそにデヨンは何かを思いついたようだ。
「なんですか」
 好奇心半分怖さ半分。こういう時のオ・デヨンはわりととんでもないことを言い出す傾向にある。
「これにジェームスのシャツが正解な気がする」
「えっ」
 それってつまりオ・デヨンがうさ耳をつけて彼シャツをするということで。
「ズボン履くかどうかはお前に任せる」
「オ・デヨンさん僕の心臓を止めようチャレンジしてます?」
 結構致死量のときめきを与えられている。
「逆。どきどきさせようとしてんの」
 ふふ、と楽しげに笑ったデヨンがまた唇を寄せてくるので。
 ああ本当にこの人には一生かなわない、とキル・スヒョンは何度目かの完全敗北宣言をしたのだった。


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