かりんと
シノブが作ったお揚げと葱と薄いかまぼこを乗せたいつものうどんでお昼を済ませて、ぼんやりテレビを見てると、ファンタのCMに出て来た女の子が目を惹いた。
このポニーテールの女の子、最近流行りのドラマに出てきてなんや人気急上昇中やてヒトシが言ってたなあ。
「この子、最近よくテレビに出て来るけど可愛いわねえ、元気いっぱいで。」
「そうですね。」
木で鼻を括るようないつもの返事でも、返ってくるとそれなりに安心する。
普段のシノブは、用事がなければ僕に話し掛けて来んといてください、という態度を崩さない。
最近のヒトシみたいに、始終不機嫌を崩さない、扱いにくい子と言うのとも違う。
まあ、その駄々っ子のヒトシかて、仏さんみたいに気の長い兄弟子の草原には弱いんやけど、その草原からシノブのことを嫌うてるて言うんやから、私にはもうお手上げ。この子、ほんま初対面の師匠に、どんな態度取ったんやろ。
今日かて、ほんまならシノブが鞄持ちで、あの子らが落語会の手伝いの予定やったのに、草原も草々も小草若も皆して鞄持ちに志願したもんで、結局草原・草々とふたりの兄弟子が師匠の鞄持ちして、今日は小草若がシノブの引率で落語会の手伝いをすることになった。
小草若は帰って稽古するし、と言ったきりお昼も食べずにふらっと狭いアパートに帰ってしもたらしくて、一人で戻って来たシノブは、貰ってきたポチ袋の中身で、いつものより50円高いうどんと、味無しのお揚げさんを買うてきてくれた。
電車賃を浮かせたいので歩いて帰って来たというけど、電車で居合わせた客がヘビースモーカーやったんやろかと思うほどに煙草の匂いをさせてて、流石に師匠の算段の平兵衛を聞いて惚れ込んだ子だけあるわ、と笑ってしまう。
今日のデザートはあの九官鳥に食べさせた残りの林檎。
あの九官鳥を飼うことを始めてからは、シノブの態度も少しは柔らこうなったけど、師匠にすらこのとっつきにくさを隠さない態度、どうにかならへんかなあ。
最初はこんなおばちゃんに付き合うて、昼ドラ見るていう日常が嫌なんかと思ってたけど、そうやないみたいやし。
「何ですか?」
ほら今も。どうかしましたか、て言わんと、余所やと叱られてしまうで。
慣れてこうなら、元々こういう子なんやろうか。
不思議やなあ。草原も草々も、師匠には饒舌やし、余所の師匠方かて(大事なとこで噛んでまう以外は)勉強熱心で礼儀正しいし、羨ましいですなあ、と言うてくるくらいの子やけど、普段は初めての人相手には話下手やし。ヒトシは……まああの子はあの子で、目上の人には礼儀を教えたつもりではおるけど、シノブに対してはなんや当たりがきついし。
この世界に飛び込んで来る子て、普段はコミュニケーションに困ってるくらいの方が長続きするんやろか?
かりんと食べようか、と言うと食べます、とシノブは言う。
私にとっては、二十歳過ぎても世間話が苦手で、まだまだ食欲旺盛な子やなあ、という印象があるけど、思春期だった草々と小草若とも根っこのところが違うような気がする。
「シノブ、こういう元気いっぱいの子よりもっと大人しい子の方が好みなん?」
「好み、て。僕は特にそういうのはないですけど。」
へえ~、珍しい。
シノブが自分のことしゃべってる。
「そんなら、今好きな子はいてへんの?」
黒糖蜂蜜のかりんと、美味しいなあ。
「まあ、そうです。相手が僕のこの顔見て好きや、て言うて来ることならありますけど、逆はないですね。」
「そうなんや?」
シノブがそのへんにおるような男の子やったら、なんやしょってるなあ、て思たかもしれへんけど、この顔ではね。
抗えない女の子はぎょうさんおるやろうなあ。
「これまでも、これからも似たようなもんやと思います。……せやから、」
「せやから?」
「今まで会うた女の中て話なら、今のところはおかみさんが一番です。」
あらまあ。師匠、ここにいてへんの残念やねえ。
こんなオバハン誰が口説くかいな、て言うてたのに。
「暫定一位てこと?」
「まあ、……そうなりますね。」
「そうなんや。……林檎食べる?」
私があと二十若かったら、今のところはかあ、て残念に思ったかもしれへんけど、この年になったらもう十分ていうか。
「それ僕が買うて来た林檎ですけど。」とシノブはいつもみたいにふてたように言った。
「もしシノブがこの先好きな子が出来たら、」
「出来ません。」と言いながら、シノブもかりんとをぽりぽり食べてる。
「人生、何があるか分からへんよ? 私も親の言いなりに見合いして結婚なんか絶対したくない~、て思ってて、若い頃は誰かと一緒になるとか思ってへんかったし。」
「……師匠と会って人生が変わった?」とシノブが眉を上げた。
「そうねえ。」
師匠と会うて、式を挙げようか、て言われて、苗字が代わって、なんや結婚前の私は消えてもうたような気がして、そのことに始終腹が立って、いらいらして、師匠とたくさん喧嘩した。ヒトシが生まれてから、また人生が大きく変わったけど、結婚前と後の変化よりは小さい気がした。
何より、あの子がかわいかったから。
いい思い出と、楽しい思い出と忘れたい思い出が、今はもう全部均されてしもて、全部同じくらい。
「若い頃の師匠て、」
うん?
「……どんな感じやったんですか?」
言うたら私が師匠に恨まれそうなエピソードが十個くらいぱっと思い浮かんだけど、弟子入り許されたばかりの子にはちょ~っと厳しいかな~。かと言って、無難な思い出なら話さん方がええかも。
草原の話の枕みたいに、師匠との話を面白おかしくまとめられることが出来たら別やけど。
「仁志との年の差でなんとなく分かると思うけど、私が会うた頃の師匠て、もうそんな若くはなかったから、今とはあんまり変わらないわねえ。今より元気やったし、落語が上手くなりたいて思ってたし、お酒が好きやった。……最初はちょっと苦手やったな。」
好きやと思ってるのが私だけやと思ってたし、とか言えへんわなあ。
「どんなところが?」
「さあ~、今はもう忘れてしもた。思い出したら、今度話すわ。シノブも、自分はこの人やと思ったら離したらあかんよ。自分の丼に入ったきつねさん、その人に分けてあげたらええわ。」
「……せやから、今はいませんて。」
ハイ、お昼休憩終わり、と言うと、「このかりんとう美味いですね。スーパーでは売ってへんヤツ。」とシノブは言った。
「どっかの師匠からの手土産やったのよね~。通信販売で買おうかなあ。」
「パッケージ取っとくかメモしておくとええですよ。」
「シノブが覚えてたらええわ。」
「……メモ取ってくださいよ。」と言いながら、シノブは片手にペンを持っている。
ほんまにいい子やね。
今度草原たちに話したげよ。
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