箱庭に春よ来たれ

 彼女の髪が揺れる。教室の窓から日の光が入り込み、俺の前に座っている彼女を照らす。光を受けるその姿をじっと見つめてしまう。
 ――綺麗だと彼女に伝えたら驚かれるだろうか。
 授業の内容など聞きもしないで、そんなことを考える。そこで、前に友達の田島に「素直なのはお前の良い所だが、ちゃんと考えて言え」と注意されたのを思い出す。
 あれは何で言われたんだっけ……。首をかしげて自分の記憶を掘り起こしていく。
 ああ、そうだ。クラスの女子の横山さんが髪を切ってそれを似合うか聞いてきた時だ。俺はそれに「似合っているよ! 可愛いじゃん」と返した。すると何故か周りの女子が出てきて、「そうでしょ。横ちゃん可愛いでしょ」「二人並んだらお似合いだよね~」と言ってきたのだ。
 状況が読み込めなくて俺の頭は一瞬真っ白になったが、ゆっくり彼女たちの言葉をまとめてようやく把握できた。これは、困った。

「あー……。確かに可愛いけど、ほら、俺にはもったいないよ! それに俺は今はそういうのはいいかなあって」

 それを口にした瞬間、頭の片隅でここには居ない人が浮かぶ。電車の中で、終点の電車の中で降りずに眠ってしまっているスーツ姿の女性に「終点ですよ」と優しく声をかけていたあの人の姿だ。

「そんなの付き合ってみなきゃ分かんなくない? ねえ横ちゃん」
「うん。ねえ、畑中! 私と付き合ってみてよ!」

 上手くかわそうとしたが、どうやらこのからかいはまだ終わらないようだった。
 俺は、隣に居る田島に助けを求める。理解したようで、「お前らこいつ困ってんだろ」と少し冗談交じりに言う。この場を穏便に収めるためだろう。さすがだ田島。後でジュースおごらせてくれ。

「え~。でも、畑中今誰とも付き合ってないよね?」
「それでも、畑中には畑中の考えがあるだろ? それより次の授業は移動だろ。さっさと準備しよーぜ。ほら、横山たちも急げよ」
「田島には聞いてない! 畑中に聞いてるの!」

 さっきまでの声とは違う、わずかに震えた声でそれは耳に届く。
 横山さんが俺を見つめる。そこには彼女の真剣な気持ちが含まれているように思えた。からかいで言っているのかと思ったが、どうやら違ったらしい。これには、ちゃんと俺も真剣に答えなければならない。

「ごめん。横山さんとは付き合えない」
「……なんで」

 俺は、覚悟してそれを声にした。

「好きな人がいるから」

 横山さんの大きな瞳がキラリと光った。そして俯き肩を震わせる。何か声をかけるべきかと思ったが、横山さんは顔を上げてにっこり笑った。

「そっか! なら仕方ないね。頑張ってね!」

 それだけ言って友達を連れて彼女は教室を出て行った。俺の隣に居た田島は「まあ、大丈夫だろ」と俺の肩に優しく手を置いた。

「しかし、お前好きな人がいたのか」
「ああ。俺も最近になって気づいた。気付いたらその子のこと探してるし」
「なるほどな~。まあ、頑張れよ」

 こういう時、「誰だよ?」とか「きっかけは?」とか聞かれてもおかしくなさそうだが、田島は聞いてこない。

「お前、良い奴だな」
「あ? それも今頃気づいたのかよ。去年の無茶ぶりに付き合った田島様の優しさを忘れたか?」
「まさか! あれは本当に楽しかった! それと、お前が良い奴だってのは、再確認したんだよ!」
「いや、そこは……。まあ、畑中だもんなあ。でも、素直なのはお前の良い所だが、ちゃんと考えて言え。……特に女子にはな」

 ガタンとイスの動く音が前からした。そこで現実に意識が戻る。どうやら、彼女が音読に指名されたようだ。俺は教科書に目を落とす。どうも字を読むのが得意でないせいで興味がもてない。
 しかし、そこに彼女の声が乗った瞬間、すっと頭に入ってきたのだ。落ち着いた声で紡がれていくそれはとても心地が良かった。

「はい。そこまででいいわ。ありがとう、花城さん」

 先生の声で彼女、花城さんは音読を止めて座る。もう少し聞いていたかったが仕方ない。俺は彼女の背中を見ながらまたぼんやりとしてしまった。
 授業が終わり、それぞれ次の授業の支度を始める。俺は何とか花城さんと一言でもいいから話がしたかった。せっかく同じクラスになり、しかも前の席に居るんだ。こんなチャンスそうそう巡ってこない気がする。しかし、いきなり話しかけて怖がられたら嫌だ。
 その時、窓から一枚の花びらが入ってきた。それは花城さんの頭に乗った。

「花城さん」

 彼女の名字を呼ぶと、不思議そうな顔をしてこちらを振り向く。
 俺は、自分の頭を指さして怖がらせないように笑う。

「頭に桜の花びら付いてるよ」
「え? あ、本当だ。いつの間に付いたんだろう。教えてくれてありがとう」

 花城さんがふわりと笑った。それがあまりに綺麗で、見とれてしまう。

「畑中君?」
「――ああ、ごめん。何でもない! じゃなくて……」

 ここで話を終わらせたくない俺は必死に頭を回転させた。そこで、彼女の机に文庫本が置いてあるのが見えた。

「花城さんって本が好きなの?」
「うん。と言っても、気になったのたまに読むくらいだけど」
「そっか。あー、俺、普段漫画だけしか読まないからなあ」
「漫画もいいじゃん。私、漫画も好き」
「マジで?! じゃあさ、最近は何読んでる?」

 そこから話は弾み、俺と花城さんは互いの好きなものについて話していたが、授業開始のチャイムがタイムオーバーとでも言うように鳴り響く。チャイムをこれほど嫌なものだと感じたことはない。「じゃあ」と互いに交わして、会話は終了した。
 花城さんは背中を向ける。それでも、その背中が少しだけ近くになったような気がした。
 ……もっと話せるようになれるだろうか。俺は、次に彼女に何を話そうかとにやける口元を手で隠しながら考えた。

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