豆花
「皆、領収書とかレシートとか出してくれんし、日暮亭とか自分のの名前で貰ってくるのは忘れてるしで、もう~~~。毎年、毎年確定申告来るたびに、草々兄さんなんで常打ち小屋なんか作ろうと思ってしもたんやろ、あの時なんで後先考えずに後押ししてしもたんやろ、ってホント後悔ばっかりで。」
そ、そこまで? ……とまあそない思ったところで、今更どうしようもない。
目の前の喜代美ちゃんの顔がホンマにくたびれてるので、お疲れさん、と声を掛けると、調理場からやって来た給仕がメインを運んで来た。
でかい器に盛られてやってきた地味なスイーツとそれをごてごてに彩る黄色が眩しい。
初夏の手前の昼下がり。
落語家なんか、サラリーマンと比べたらこの先の年金なんかはあってないようなもんやし、働けるうちに働く方がええよなあ、とは思うけど、このところはずっと働き詰めの喜代美ちゃんを連れ出して、今日は豆花の会というやつや。
草原兄さんも一緒に来るはずやったけど、今日はなんや落語講座が休みのはずやったのに、この間の土砂降りで休みになった回の代わりにっていうので結局来れんようになった。四草は日暮亭で昼席の仕事、草々は柳宝師匠のとこに噺の稽古というので、オレと喜代美ちゃんのふたりきりや。
パフェ食べるよりは太らんらしいんです、と言われて連れられて来た店は、まとめて買ったらいい値段のする中国茶やら台湾茶が手ごろな値段で飲めるとこで、草々とこの新しい弟子のガールフレンドが最近贔屓にしてる店らしい。
今日の喜代美ちゃんはずっと前に買ってなかなか着る機会がなかったという赤い格子地の着物で、合わせたわけとちゃうけど、同系色の着物を着たオレは引き立て役。
いや~、こんな可愛らしい子とデートやで、デート。
落語家になってほんま良かったわな。
「わあ、なんか凄いですね。豆花でしたっけ。……あんみつとちょっと違うもん入ってるとそれだけで新鮮ですねえ。」
いや、ちょっと違うもんて……喜代美ちゃんの方、黄色いマンゴーでごてごてになってて中に何が入ってるか見えないくらいやん。
「あんみつとは違うけどマンゴーパフェやったらそのくらい乗ってるで。」と思わずツッコミを入れてしまう。
まあオレもテレビで見るくらいで実際パフェとかほとんど食べたことないんやけどな。
「ほんまですねえ……。豆腐の他にタピオカにあんこにお芋さん、これがピーナツ。」
「ベーシックなやつも、豆腐だけとちゃうねんな。」
「こんな風に茹でたピーナツって、私初めてかもしれません。」
美味しそうですねえ、と喜代美ちゃんは言って写真を撮った。
その様子を見ながら、オレは残り少ない烏龍ミルクティーを啜った。ここにタピオカも入れられますけど、と言われたけど、豆花の中に入ってるだけで十分や。
最近になって、アイドルのなんちゃらいう子が関西限定のラジオ番組で上方落語を良く聞くという話をしてて、かつての上方三国志――今ではあの面憎い尊建の人気もすっかり下火になって、テレビで見ることもなくなってきたけど――の話題が出たとかで、草々にも単発の仕事がちらほらと舞い込んで来てる。
関西近県で頻繁に高座に上がるとなると、毎回都合付けて聞きに行くちゅう物好きなファンも中にはいるもので、それなら枕のネタがあんまり被るのもあかんやろということになって、喜代美ちゃんが時々こうして仕事の合間に外を出歩いて、稽古で忙しい草々の代わりにネタを拾ってくるようになった、ってわけや。
喜代美ちゃんは、オチコを幼稚園に預けてる間に、普段からのおかみさん業に加えて、朝席、昼席のもぎりやら客の対応やら、日暮亭の運営スタッフの舵取りもある。オチコのおかあちゃんとしての仕事に、その草々専用のゴーストライターみたいなのも加えたら、阿修羅像みたいな四面の兼業で休みもせずに忙しく働いてる。
最近では小草々に任せられるとこも多くなってるし、なんや落語家の内弟子修行のこと、ちゃんとドラマで見て――そんなドラマ、聞いたことないけどどこの世界にあったんや――予習してきたとかいうけったいなのもいて、新しい弟子はうちである程度家事仕込まれて来たとか、まあ言うけどな、ついこの間まで全くのよそのうちで育って来た人間預かって一緒に暮らすいうのは、ほんま並大抵のこっちゃないで。
おかんとあの草原兄さんでさえ、なんや最初の頃は色々あったもんな。
オレが草原兄さんの買い物にひっついてって、好きなお菓子好きなだけ買って貰ってたとか、そういう小さいこともなんやでっかい喧嘩の種になってたし。
今日はちょっと息抜きしたらええわ。
「そういえば、昔は一時期、落花生の大袋をうちに持ち込んで、ようみんなでぽりぽり食ってたなあ。」
「ほんまですねえ。」と喜代美ちゃんは言って、ぱっと顔を上げた。
「草若兄さん、ほんまにプレーンので良かったんですか? 私の方のマンゴーとかいります?」
「そんならちょっと貰うわ。」と食べる前の器をくっつけてスプーンを動かす。
ストップて言ってや、と言うと、ほんの二切れでストップがかかってしまった。
いや、これってオレの方が遠慮ない、て話なんか?
「オレのもどれか好きなの取ってってええで。」というと、それなら、ちょっとだけ、と言ってお芋さんをさらって行った。
いもたこなんきん、て昔から良く言うけど、あれはほんまなんやな……?
いただきます、とふたりで言って食べ始める。
ひとくち食べると、シロップの掛かった豆腐はそんなに味も付いてないみたいだった。
「喜代美ちゃん、これ豆腐はほんまの豆腐なんか?」
「杏仁豆腐みたいなのかと思ってたんですけど。そうみたいですね。あんこを上に乗せて食べたらちょうどええのかも。」
「かき氷の氷自体に味が付いてないみたいなもんか、」
「そうですねえ。でも美味しい。」
いや~~~~~~~~~、草々のアホは残念ですなあ。
マンゴーも美味しいですねえ、というその笑う顔、おばちゃんの年になってもあの頃とちょっとも変わらんなあ、可愛い。
お、ピーナツて茹でて剥いたやつ、こういう味になんのか。
乾いたやつとはまた違う味すんねやな。
四草のヤツも連れてきたったら、あいつどないな顔すんのやろ。
「そういえば草若兄さんて、四草兄さんとこういうとこ来ならんのですか。」
「……いや~、おちびと一緒ならともかく、あいつとこんなとこ来てもしゃあないやろ、金のかかるもんを楽しく食べるヤツとちゃうし、あいつ、ほんまに意地汚いというか、きつねうどんとただで食わせてもらうもん以外で美味しいて顔、したことないもんな。」
こないだタピオカ並ぶのにも付き合わせたけど、三十分並ぶのに、まあ不機嫌ちゅうか、と言うと、ほんまですねえ、と言いかけた喜代美ちゃんが目を丸くした。
「草若兄さん、あのブームの時にタピオカに並んだんですか?」
どこで、と聞かれたら、喜代美ちゃんから聞いたとこや、と言った。持ち帰りも出来るけど、どうせなら座って食べたいし。
「はあ、私もそのお店、奈津子さんから美味しかった、て聞いただけで自分で行ったことないんですよね。」
「そらまあ、前からこういうとこにあるのも知ってたけど、並ばんと食べれへんてなると、食べたなるやないか。」
「愛ですねえ。」と喜代美ちゃんはしみじみと言った。
「そうやなあ……て何が? オレはそらタピオカ好きやけど、愛、って言うほどとちゃうで。」
「いや、愛ですやな。並ばんと食べられんようなタピオカに『あの』四草兄さんが、三十分も付き合うてくれたて話ですよね?」
いやいやいやいや。
そんなええもんとちゃうて。
「……あいつ、腕時計で測って三十分過ぎたら隣の喫茶店で寝てます、て言うたんやで。」
「相手が草若兄さんやなかったら、四草兄さんもそのまま帰ってると思いますけど。」
「う……。」
否定は出来んけど、それが愛やと言われても、なんや座りが悪いというか。
「オレと崇徳院の稽古すんのサボりたいから付き合ってくれた気ぃもするし。」というと、草若兄さん、往生際悪いですよ、と突っ込まれてしまった。
「なんか最近そないなこと、他にないんですか。」
「そないなことて、」
「四草兄さんのビックラブを感じるようなことですよ。」
「………いや、そんなんないて。」
「絶対何かあります、て。他の人にはようせんことで、草若兄さんにだけしてはる、特別なこと。」
「喜代美ちゃん、」
「はい?」
「豆花、早く食べんと、ぬるくなってまうで。マンゴーは冷たい方がええんとちゃうか?」
そうでした、と言って、お互いに目の前の豆花を黙々と食べ始めた。
うん、旨いな。
みつ豆も好きやけど、豆花の方が、ひやっとすんのが長持ちしてる感じする。
「そういえば、あいつこないだ引き出しに大事なもん仕舞ってる、ておちびが言うから、取り出したらあの扇子やったことあったけど。」
「……あの扇子?」
「喜代美ちゃん、草々と結婚したての頃に喧嘩した後、小浜で夫婦落語会してたやろ。あの年の四草の誕生日のこと、覚えてるか?」
「それって、随分昔の話とちゃいますか?」
「あの後、四草の誕生日に金かき集めてプレゼントする予定だった酒、オヤジがすっかり飲んでしまったさかい、オレと草原兄さんで、扇にサイン書いてこれでも持っとき、て四草にやったんや。……なんや大事にして、お守りみたいにして高座に持って行くていうから、昔のお母さんとの写真かと思って、からかおうと思って引き出し開けたら、あんなん入ってるし。」
四草がオレに投げつけた、骨の折れた扇子は、紙が貼られてまた蘇った。
「そうだったんですね。」
「あれなあ、オレがあんとき三秒で書いたサインやで。草原兄さんも、ちょっと字よれたけどしゃあないな、とか言ってたし。……大事にするならするで、もっとええもんなんぼでもあるやろ!」
……熱入り過ぎて、うっかり大きな声になってもうた。
周りの話声がすっと小さくなってる気がする。
「あの、草若兄さん、」
「うん?」
「惚気やったら、帰って四草兄さんに直接聞かせたげてください。」
「惚気?」
いや、惚気とちゃうがな。あいつほんま、分かりづらいねん。
「今度四草兄さんと一緒にここに来て、その生ピーナツふたりで食べたらええやないですか。」
えっ、喜代美ちゃんはエスパー?
……のはずないか。
オレってそんな分かり易いか……?
「ここの豆花は、草若兄さんの奢りてことでいいですよね?」
「喜代美ちゃ~ん。」
そんな殺生な。
アドバイス料です、と言って笑う喜代美ちゃんの顔を見てたら、おちびにこれからお金掛かるんやから折半でええやろ、とは言い辛い。
しょうがない、ここはオレが出したるから、また話聞いてな?
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