男子高校生の日常

「……先客かよ。」
チッと舌打ちする音が聞こえて来て、譲介は目を覚ました。
屋上には鍵がないと出られないが、狭い通気口のような小窓を開け、その中に身体を通して侵入することは出来る。雨の日は食堂へ移動するが、晴れた日に昼食を食べるとき、譲介はいつもここへ来ることにしていた。
涼しい風が通り、仮眠を取るには最適だ。
「誰。」
「真田。」隣の席だろ、と返って来て、譲介はああ、と思う。そういえば見覚えがあった。
医者の家の子、という噂の真田徹郎は、成績が良く、常に二十番台あたりをふらふらしているところに名前があった。周りにはいつも誰かしらの人がいて、譲介は、自分とは違う人種だ、と遠巻きに眺めていた。
隣、いいか。
日差しを遮る影を、譲介が占領している。
君は明るいところで食べれば、という言葉がぱっと思い浮かんだが、その自虐気味な字面は気に入らない。
起き掛けに何か言うのも億劫で、譲介は真田の声を無視した。
黙っていると、よっしゃ、と言って真田は譲介の隣に腰を下ろし、がさがさとビニール袋の音を立て始めた。
薄眼を開けて伺うとコロッケパンとチョココロネ、もうひとつ、それから牛乳。
あさひ学園から小遣いが貰えるわけではない譲介にとって、親から金を渡されて常に購買で何かを買える、というのは、常に他人の持つ特権だった。
真田は、譲介が見ている前で、コロッケパンに齧りついた。
それにしても、美味そうに食べるやつだ。
「あ、今日、いつもの焼きそばパン売り切れだったんだよな。購買のおばちゃんがいうには、受験があって授業が早めに終わる三年とかが先に行って買っちまってるみたい。」
「僕はパンは買わない。」
羨みの視線を向けていると思われるのも癪なので、譲介はもう一度目を閉じようとした。
「お前も食う?……残りカレーパンだけだけど。」
「……。」
自分に腹が立ったが、好物を差し出された譲介はむくりと起き上がった。
背に腹は代えられない。
「食えないのに買ったのか?」
「旨そうで買ったけど、そういえば次体育だった。走る前に食いすぎるとタイム出ないし。そういえば、和久井は足早いよな。なんか秘訣でもあんの?」
「さあね。」
決まった時間に起きて、決まった時間に寝る。
あさひ学園での生活は、基本的にはリズムに乱れがない。
それでも、帰りたくなくて図書館に入り浸ったこともあり、その一時期に、貪るように陸上競技の副読本を読んだ。
走るために、ただ頭を真っ白にして身体を動かすよりも先に、動かすためのメカニズムを学ぶ。
それに沿った色々なテクニックで、正しく身体を動かすようにすれば、誰でも少しはタイムが伸びる。
それを説明するのが億劫だったが、とりあえずカレーパンの礼をしなければと思って真田に説明した。
口を動かしながら、カレーパンをもぐもぐと食べる。
旨いな、と思う。
「また来ていいか?」と真田は聞いた。
「別に、僕の場所じゃない。」
「んじゃ、次から牛乳ふたつ買って来るわ。」と言って、ぐずぐずするでもなく、真田は鼻歌を歌いながら屋上を出て行った。「何しに来たんだ、あいつ……?」


「譲介、……また寝てんのか? お前、春だからってそれは寝すぎだろ。」
「徹郎。お前、ほんとにうるさいな。」
母親がいるみたいだ、と譲介が言うと、ああそうかよ、と軽口をいなして譲介の隣に座る。
二年になって、徹郎とはまた同じクラスになった。
実力はないでもないくせ、中の上の成績の譲介と同じクラスになりたいとごねて、担任から勧められていた理数特進クラスを選ばなかったのだ。
そのことを聞いたのと同じくらい、腹立たしいような、嬉しいような気持ちで、代わり映えのしない顔を見るのもあと二年か、と譲介は思う。進学クラスに入ったものの、学園の経営は思わしくない。
大学に行けるとは思っていなかったが、とりあえず勉強だけはしていた。
「牛乳。」と手を伸ばすと、ほらよ、と徹郎がパックの牛乳を差し出す。
譲介と徹郎の関係は、家庭教師をしている方がされている方に報酬を払う、というシステムになっている。
簡単だが複雑で複雑だが簡単なシステム。
「晴れたな。」
「うん。」
カレーパンなかったわ、というので、徹郎が譲介にパンを選ばせる。
クリームパンがあって、手が伸びる。
「お前最近それ好きだよな。」
好きになったらそればっかりで単純なんだよ、と徹郎が言う。
「だからお前と一緒にいるんだろ。」と譲介が言うと、徹郎は「……はあ?」と言って、そっぽを向いた。
頬が赤くなった。
こんな昼日中から、言うようなことじゃなかったか、と譲介は思うが、こんなに明るくなければ、言えなかったとも思う。
まあ、いいだろう。
いなくなる前に好きなことを言っておけば、多分後悔せずに済む。
譲介は甘いクリームパンを頬張り、青い空を見上げた。

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