下校時間の攻防(狛日/本)
※希望ヶ峰で平和な学園生活を送る二人の話
見上げた先に広がる雲が、日向の心を重くした。
鼻先を掠める空気も湿り気を帯びている。天気予報によれば、今日は夜まで快晴のはずだが空は一面灰色だ。教室に戻ったところで置き傘はない。日向はため息をはいた。
昇降口をくぐる手前で足を止め、頭の中でシミュレートする。雨が降り出すより早く、前に家に着けるだろうか。
学校から駅までは大丈夫だろう。自宅の最寄駅まで保ちさえすれば、降り始めたとしても被害は少ない。よし、いける。日向は一歩踏み出しかけた。
「やぁ、日向クン」
明るい声とともに、日向は左腕を掴まれる。肩越しに振り返れば、狛枝が立っていた。
「狛枝」
「今帰り?」
「ああ」
「なら、一緒に帰ろう。いいでしょ」
日向の返事も待たず、狛枝は「すぐ戻るから待っててね」と、階段へ向かってしまった。彼が小脇に抱えていたのは学級日誌だった。職員室まで届けに行くとして、往復で何分かかるだろうか。空は、さっきより一段暗さを増している。
とんだ災難だ。と、日向は思う。
狛枝の一方的な申し出など放っておいても良いのだが、下校するのは躊躇われた。日向が一人で帰った場合、明日は狛枝の遠まわしな嫌味に一日中付き合わされるはめになる。経験上、間違いない。それを考えると、大人しく待っていた方が身のためだ。
日向は昇降口の中に戻り、埃まみれのビニール傘がささる傘立てに腰を下ろした。
狛枝はいつ戻るかはわからない。鞄をあさり、取り出したイヤホンを耳に突っ込んだ。
▼
「待たせてごめんね」
「遅い」
イヤホンから五曲目のイントロが流れ始めたと同時に、狛枝が現れた。眉を下げて、もう一度「ごめんね」と唇を動かす。
日向はイヤホンを外して仏頂面で応対する。空模様はすでに、三曲目の途中で崩れていた。昇降口の先のインターロックはすっかり色が変わっている。
「あぁ……やっぱり雨降ってきちゃったかぁ」
「さっきは降ってなかったんだけどな」
狛枝に捕まった時点で諦めはしていたが、このくらいの嫌味は言っても構うまい。
日向はイヤホンのコードを外してひとまとめにする。横から見下ろす狛枝が口を開いた。
「ごめんね」
「別に良いけど、オレ傘ないからな」
「奇遇だね、ボクもだよ」
「その割に何で嬉しそうなんだよ」
「傘なしが、日向クンとお揃いだと思って」
「そうかよ」
「うん」
笑う狛枝を横目に、日向は立ち上がる。自分が濡れるのは構わないが、手にした音楽プレーヤーが問題だった。狛枝の視線が、日向の手元に注がれる。
「それどうしたの?」
狛枝の指摘を受け、日向は手にしたものを持ち上げる。
「澪田の歌が入ったMDプレーヤー」
「それはまた随分と時代を感じるものを」
「なんか、ノスタルジックな気分だったんだと」
澪田の私物であるらしいMDプレイヤーは、昼休みの終わりに押し付けられたものだ。書きおろしの新曲を収録したので、試聴して感想を提出せよとのことだった。「明日までに百枚」は無理としても、せっかく貸してくれたのだ。日向もせめて一枚は書くつもりでいた。澪田の新譜と聞いて狛枝の顔が輝く。
「へぇ、ボクも聴きたいな」
伸ばされた手から、プレーヤーを遠ざける。
「もう帰るからまたな」
「ケチだね、日向クン」
「うるさい」
幸い、雨足はそれほど強くない。借り物のプレーヤーはタオルにくるんでカバンの奥にしまう。狛枝の視線が名残惜しげに手元に注がれる。含みのある眼差しに、日向は観念した。
「じゃあ、うちに来て聴けば良いだろ」
「え、日向クンの家に行っても良いの?」
形の良い眉が、わざとらしく上げられる。日向は黙って頷いた。狛枝はいそいそと上履きをしまうと、上機嫌に日向の横にならんだ。
「放課後を共に過ごせるなんてついてるなぁ」
「お前そのつもりで声かけたんだろ。白々しい」
「うん。いや、ちょっと違うかな。家にお邪魔するなんて図々しいことまでは考えてないよ。どこかに寄れれば上出来と思ってたんだ」
鞄をかけた日向の肩に、狛枝はぴたりと身体を寄せてくる。はっきり言って暑苦しい。文句を言おうと日向が顔を上げれば目の前に狛枝の顔があった。
にい、と口角を上げた顔が眩しい。
「でも、まさか日向クンの方からお招き頂けるなんてね!」
その言葉を聞いた瞬間、仏心をだした自分が恨めしくなった。
「ボクはやっぱりついてるなぁ」
耳元で呟いた狛枝に手刀をお見舞いし、日向は昇降口に向かう。家で食べるお菓子とジュースは、狛枝に買わせよう。
額に当たる雨粒を拭いながら、日向は決めた。
了
powered by 小説執筆ツール「arei」