蟹すき



「これが最後の大掃除か、やるで~!」
割烹着を着込んで三角巾を付けて、竹箒を持って仁王立ちになると、バケツを持った四草が「小草若兄さん、邪魔です。」と言って後ろを通り過ぎていく。
お前分かっててぶつかってくんなや。
「何ひとりで雰囲気出しとんなるんですか、小草若兄さん。今日はこの空模様なんやから、いつもよりちゃっちゃと進めて終わらせんと。カドカドキッキでいきましょう!」
喜代美ちゃん……今日も底抜けに元気やね……入門したての頃が懐かしいのはオレだけか。
そういえば、もう三十路なってんのか、この子。
そろそろ三十や~怖い~とかもう言わんのやな……。
「おい、小草若、若狭の言う通りやで。雪が降って来る前に、はよ庭掃除始め。……言うとくけど、常打ち小屋になった後にもちゃんと大掃除の日があるからな。」
草原兄さん、割烹着、昔っから底抜けに似合うてたけど、今年はとうとうエプロンですか。
昭和は遠くなりにけりと言っても、そこの通りに割烹着まだ売ってますけど。
……もう規格外サイズになってしまうんかな。
「そうやで『小草若兄さん』。掃除真面目にすんのは大前提としても、お前はそもそも、その『小さい』が取れるように襲名披露の準備もしとかんとあかんのに、ここで気張ってエネルギー使い果たしてる場合とちゃうぞ。」と草々が言った。
「うっさいわ、草々!」
お前は毎回一言多いんじゃ。
「なんやと!」と草々が怒鳴ると、「お前らやめえ。」と草原兄さんのお叱りが飛んでくる。
「分担終わらない人の分は、蟹の量減らせばええんとちゃいますか?」と草々の弟子がやってきて言った。おったんかい。
「うわ、その発言、四草かと思ったで。」
草原兄さん、ツッコミ早すぎますって。
「お前、草々の弟子の癖に、なんで四草にそっくりなんや……。」とオレが言うと、「呼びましたか?」と叩きを手に四草がやって来た。
地獄耳かお前は。
大体、さっきは台所に掃除しに行ったんやなかったんかい。
なんでバケツ持ってたのに叩きに持ち替えてるんや……一人で掃除すんのが寂しいならそう言えやドアホ……。
「四草、お前埃落とすとこだけでええから、ちゃんと三角巾せえよ。」と草原兄さんが言う。
そらまあ道理やな。
「しばらくはオレの貸したるわ。」と言って頭に巻いてるのを解いて渡した。
おい、舌打ちすんな。
お前が自分の三角巾準備してないのが悪いんやろが。
「小草々の発言ちゅうのはさておき、今の提案は前向きに採用でええんとちゃうか。足引っ張ってるふたりの器から、蟹の足を他の人間の分、一本ずつ抜いて、ちゅうとこで。久しぶりの蟹すきやで、お前ら。」
「お前のせいや。」と草々が肘をついてくるので「お前のせいやろが。」と肘を打ち返す間にも、四草も喜代美ちゃんも自分の分担を勧めている。……オレも真面目にやろ。


「そういえば、改装した後、三百六十五日毎日開けてる演芸場にするとしたら、いつ大掃除すんのや?」
喜代美ちゃんと草原兄さんは並んで窓を拭いている。
草原兄さん、なんやオレがおらんようになってる間に、また体積が増えてるなぁ……緑姉さんのご飯が美味いんやろな。
四草は叩きを一通りかけ終わったのか、今は掃除機を掛けている。
昔は静電気が起きるやら掛け終わった後がくさいと言うので、オヤジの代にはよう買わんかったけど、とうとうここにも導入されてしもたか。
畳の乾拭きと玄関の水拭きは変わってないけど、オレの不在の間になんや色んなことが変わってしもたみたいやな。
「色んな演芸場のスケジュールを見てみましたけど、私もよくわからんでぇ。もしかしたら、番組終わった後に、業者さん入れて真夜中から早朝にしてるんかもしれません。」
「まあ、東京ならそういうことはあるかもなあ。」
草原兄さんと喜代美ちゃんの会話に「二十四時間働けますか、ってヤツですね。なんでもかんでも東京に合わせるのがいいとは思いませんけど。」と四草が入って来た。
「時期外して、午後だけ休館にして掃除するとか、その時期だけ別のホールとか近間の場所借りてやるとか、そういうのでええんとちゃうか。」と草原兄さんが言うのに、「そうですねえ。」と草々も嘴を挟んで来た。
「ラジオとかでも、出張ナントカ、みたいな番組あるし、物販も併せて引っ越し先でやるとか、そういうのはええかもしれませんね。」
「物販って何売るんですか?」とオレの発言に喜代美ちゃんが質問を投げて来た。
「いや、そのうち軌道に乗ったらでええけど、歌舞伎座とかであるやろ、小さい観光客用の手土産とか。そういうの出来たらいいんとちゃうか、と思ってな。」
「はあ~、小草若兄さん、よう考えておられますねえ。」
「手放しで褒めたるな、若狭。そのうち、底抜けキーホルダーとか言い出すで、こいつ。」
よう分かっとるやないか、草々。
「アイデアはいいんやけどな、小草若、草々お前らは、手も動かさんかい! 庭掃除終わらんぞ!」
「ええ、オレもですか、兄さん。」
今度は完全にとばっちりの草々が眉を寄せた。
「おい草々、お前も、このままでは蟹が危険やで。」
「やかましいわ!」
「賑やかやね~。」と寝床の大将とおかみさんが並んで顔を出してきた。
「お咲さん!……と熊五郎さん!」と喜代美ちゃんが言った。
……なんでうちに来る人間は皆、枝折戸からこっち回って縁側に来るんや?
「すいません、昨日のうどんの器、洗って玄関に置いてありますでぇ。」
「今日また皆来とるんやろ、と思ってな、久しぶりに挨拶だけ。玄関回って戻らせてもらうわ。新しい演芸場の物販、まあ腐らんもんとか、食べ物にしても、日持ちのするものとかになるやろうけど、たまにはうちのお弁当を幕の内にして売れたら嬉しいわあ。考えといてね。」とお咲さん。
「あと、クリスマスの後でうちも暇やから、お酒とつまみが足りへんようになったら、いつでもよろしくな~。」と熊五郎さんがにこっとお愛想して、ふたりは去っていった。
草原兄さんは、なぜかその手があったか、という顔をしている。
「今年はまあ小草々もおるし、蟹すきで足りなくなったら隣で飲むか?」
草原兄さんも、ちょこっと休憩しとるやないですか。
今年はなんや皆、妙にぐだぐだやな、と腹の中で考えていると、似たようなことを考えているらしい四草と目が合った。
その時、ぴゅう、と冷たい風が吹いた。
「お、雪か。今日はもう屋内の掃除だけにしとくで。ちゃっちゃと終わらせるぞ。」と草原兄さんが気合を入れ直した。
「オレ、廊下の雑巾がけでもしますわ。四草、お前付き合え。」
はい、といつになく素直に返事をした弟弟子に、今のこの家をこの面子で掃除すんのも今年で終わりなんやな、という感慨がやってくる。
寒い日は、尚更蟹すきが美味しいんですよね、と言って、喜代美ちゃんが嬉しそうに草々に話している。
見上げた空からは、まるで埃のように、灰色の雪がちらちらと降り始めていた。

powered by 小説執筆ツール「notes」

37 回読まれています