ここから
シュロー好きが書いたライシュロ前提のファリマル(ファリシル)
【注意】
物語開始時点でメリニでは同性婚が法制化されていない。
マルシルが同性愛に対して頑なな反応を示す。
かつてシュローのプロポーズを受けるか悩んでいたファリンを異性愛者と思い込み、ファリンが婚姻相手を自由に選べるよう尽力するマルシル。一方、シュローはライオスと交際していた。
別軸で別カプ(ライシル・シュロファリ)も書(描)いてるので苦手な人は避けてくださいね。
書いた人間の好きなカップリング
ライシル、ライシュロ、シュロライ、シュロファリ、ファリシル、カブリンほかカブルー関係色々
*
その晩、親しい間柄の者同士で居間と呼び習わしている王城の一室でお気に入りの椅子におさまったマルシルは、いつになく落ち着きを欠いていた。おしゃべりする相手は誰もおらず、読むのを楽しみにしていた本を開いても少しも集中できない。こういう時は無心に手を動かした方が良いと編み図を横目にしばらく毛糸と格闘する。縄目模様のショールが編み棒の間で徐々に形をなしていく。部屋は暑くも寒くもないがショールを載せた膝の上はほんのりと暖かい。ファリンが寒い国に行くときに持たせてあげなくちゃ、と勢い込んで編み物に励んでいたマルシルはふと違和感を覚えて手を止めた。よく見てみれば途中から模様の表裏を間違えて編み進めている。
「えっ、やだ。ここから裏返っちゃってる? せっかく編んだのに無駄になっちゃった」
マルシルは頬を膨らませ毛糸をほどきながらぼやいた。部屋はがらんとしていてマルシルのひとり言を聞く者は誰もいない。ほどいた毛糸を巻き直していると大きなため息が漏れた。気持ちを切り替える必要を感じたマルシルはお茶を淹れることにした。
魔術を使った簡易コンロにポットを載せ、マルシルは部屋を見回した。居間の内装や家具の雰囲気はマルシルが幼い頃に父と母と共に過ごした家に似せてある。普段ならゆっくりと寛いで過ごせる場所だった。窓を細く開けて空気を入れる。
貴賓を招いての晩餐会がない夜はマルシルとファリンとライオスの三人で食事をし、寝る前のひと時を編み物やおしゃべりに読書などそれぞれ好きなことをしたり、ただ何もせず長椅子に横になって過ごす。朝にはまた三人で、生まれたときからそうしていたかのような顔をして集まっておはようと言い合いながら食事を摂る。マルシルとトーデンきょうだいは家族のように親しい間柄だった。ただしマルシルの最愛の友、妹のような存在であるファリンは探索や旅に出てばかりでなかなか城に帰って来ない。旅先から届く手紙をライオスと二人で読むのもまた楽しい時間ではあった。
然るに、今晩のライオスは会議が紛糾し、気の毒にも食事もできないまま議論を戦わせている。マルシルは窓を閉めながら真っ暗な中にぽつぽつ灯火の点在する城の中庭を眺めた。ライオスの奮闘を思い、またしても重いため息を吐く。
マルシルも意見を求められ何度か会議に出席した。マルシルの言葉を認めまいとする官僚らの視線も舌の鋭さも恐ろしく、マルシルは緊張しながら必死で声をあげた。ただの参考人招致でさえあれほど身が細る思いをするのだから、国王の立場で彼らに真っ正面から立ち向かっているライオスの精神的負担はいかばかりかと、マルシルは心配でたまらなかった。何より、この会議の結果によってマルシルの最も大切なファリンの人生が変わってしまうのだ。緊張に汗をかいた手をぎゅっと握っては開く。読書も編み物もあきらめたマルシルはゆっくりとお茶をすすったがこれも普段通りの味を感じることはできなかった。
お茶がすっかり冷めてしまった頃になってようやくライオスが部屋にやって来た。疲れ切ってへとへとで、しかし意気揚々とした表情でマルシルの前にあらわれたのだ。
「マルシル、やったぞ、こっちの主張がほとんど修正なしで通った!」
「本当? 嬉しい! わっ、ちょっとライオス、危ないってば」
ライオスは喜びにしっぽを打ち震わせる犬のごとき勢いでマルシルの両手を握った腕をぶんぶんと振りまわす。勢いあまってライオスの袖なしの重ね着を留めていたブローチのピンが弾けて床に転がった。
法案が可決されるや真っ先に駆けつけて来たのだろうライオスのあとからやや遅れてカブルーが顔をのぞかせた。ライオスに振りまわされて目を白黒させているマルシルを解放するよう忠言したのち、王を労う。
「お疲れ様でした。今後ますます大変になりますが、とにかくこれでライオスとファリンさんのお二人とも、王族として婚姻の義務を課せられることはなくなりましたよ」
そう言う彼も相当に疲れているはずのカブルーの渾身のウインクにマルシルは安堵の気分も相まって笑い出した。
「あはは、良かった。これで私の大事なちびすけがわけのわからない男と無理やり結婚させられることはなくなったんだね」
ようやく実感が湧いたマルシルの目じりにじわっと涙がにじむ。ライオスがマルシルに頭を下げる。
「マルシル、いつもファリンのことを大切に思ってくれてありがとう。ファリンもきっときみのことを大事に……、何て言ったらいいんだろう。とにかくあいつはきみのことを好きだから、心配がなくなって良かった」
「どうってことないよ、それにあなたもファリンのために頑張ったでしょ、ライオス」
ライオスの不器用な感謝の言葉は嬉しさの表れでもあるのだろう。マルシルはやわらかく微笑んだ。改まったやり取りに照れたのか、ライオスは「まあ、それは……」
むにゃむにゃと言葉を濁した。王になって何年も経つのにライオスは正面切って褒められることに不慣れな素朴な性質を失っていなかった。
新生メリニは急ごしらえの国であったため旧メリニの法の下で運営されていた。その法律は千年前の知識や価値観に基づいており、現実に即さない部分を発見次第、検討し改正していかなければならなかった。そのようなつぎはぎのものをひな型に新法を作りあげたいというのが国家として当面の目標の一つであった。
そこで、王族の自由を制限する定め──結婚の義務を取り除こうとするライオスと、王の血筋を権威付けるため、将来生まれるであろうライオスの子を後継者に指名するのがよろしいとする一派の間で激しい論争があった。王には未だ正式なパートナーも存在しないのに、だ。新興国であるため尚のこと王の正統性を打ち出したいのだとか。対する側は伝統と先見性は両立できると主張した。各国から集められた官僚の中には己の信ずる理念を実現せんと野心に燃える者もいれば、さりげなく母国に利する政策への誘導を目論む者もいる。国には喫緊の問題が山積みなのにこの議論に時間をかけている場合かという批判に対してはライオスが「この法はこの国のこれからのあり方を示すことになる」と踏ん張った。
ライオスの弁はこうだった。悪魔を倒した自分が今この瞬間にも死ねば王城から魔物を遠ざけている力がどうなるのかわからない。永遠に続く保証もない効果を期待して血筋にすがるようではこの国の将来は危うい。後継者は経験や能力、それに人徳によってできるだけ公正に選出されるべきだと。
ライオスは王の立場から広範な視野を持たなければならない。マルシルはライオスを支えるため図書館にこもって法学書を読み通した。さらに悪魔の被害者である元迷宮主の会のメンバーや遺族に話を聞きに行き、エルフの貴族社会での養子縁組の実態調査報告書の写しを取り寄せて訳し、会議にも出席した。そもそも呪いの詳細は国家機密のため会議上で明かせること秘匿しておくことを厳密に区別しておく必要もあり、その調整にも骨を折った。
そしてマルシルは友の死後を想定するという苦痛を伴う作業に歯を食いしばって耐えた。協力し合うべきライオスと意見が食い違い険悪になることもあった。しかしマルシルは何があっても親友のファリンが望まぬ婚姻を強いられることを阻止し彼女の自由を勝ち取りたかったのだ。その苦労が今夜ようやく実を結んだ。
ライオスが感極まるのも無理はない。自分だってそうなのだから、とマルシルは感動にひたる。と、ライオスの腹がぐうと鳴る。三人の視線が一つところに集まり、どっと大きな笑いがこぼれる。
「やだ、ライオスってば」
「しかたないだろ、腹が減って死にそうなんだから。もう遅いけど会議に出席した者はちゃんと食事をとれるようになってるのか?」
「抜かりなく。厨房にも特別手当を出すよう指示してあります。こういう事態はあまり頻繁にあってほしくないですが」
「王と民だけでなく食堂で働く人たちにも食事と睡眠と適度な運動が必要だからな」
「例外的な勤務時間に対応する新しい規則が必要ですね。それはともかく、食事はこちらに運びますか?」
「いや、寝室に頼む。実はシュローを部屋で待たせてるんだ。時間が時間だから自分の部屋に戻ってるかもしれないけど」
ライオスとカブルーの会話を聞いたマルシルは視線をそっと床に落とした。先ほどのブローチが転がっている。弾け飛んだ時に針がゆがんだかもしれない。必要なら修理しようとかがんでそれを拾った。マルシルの動きを目で追っていたカブルーが口を開くより早くマルシルはブローチを持ち上げて見せ、おどけた調子で言った。
「これ、壊れてないか確認しておくねっ。今の私には睡眠が必要だからもう寝るよ。二人ともお疲れ様! また明日ね!」
成功を祝う良い雰囲気を損ねたくなくて、マルシルは曇りかけた表情を二人から隠すように足早に立ち去った。それほど乱暴にした覚えはないのにドアの閉まる音がいやに重々しく響いた。
自室に戻ったマルシルは思う存分に落ち込んだ。ファリンは好きな相手と恋愛し結婚できることになった。それはとても良いことだ。けれど今度こそマルシルを残してシュローの国に行ってしまうかもしれない。身を裂かれるような悲しみがマルシルを襲う。
シュローはワから外交官として派遣され、ライオスかファリンもしくは両者とそれは親密に過ごしていた。かつて求婚したファリンと二人で城の庭を散歩することもあり、数日がかりの自然迷宮の探索について行くことさえあった。以前より縮まった彼らの距離感にマルシルは不安を感じていた。それでもファリンが望むのなら誰に気兼ねすることなくシュローと生きる道を選べるようにと心を砕いてきた。
彼がメリニを定期的に訪れるようになって早々に気をまわした官僚の一人が報告してきた、王家の一員となるにはシュローの家柄は少々見劣りがするとの不躾な内容にマルシルは憤慨した。なんて身勝手で狭量な偏見だろう、と。
ライオスは憮然とした表情で「トーデンだって田舎の村長でしかない」と言った。友だちが侮辱されて嬉しいはずがない。妹と親友が結婚したら義兄弟になれるから嬉しいと言い、自分が東方へ行くとまで口走ったことのあるライオスはその報告を受けた時、表に出したよりもずっとひどいショックを受けたに違いない。彼の哀しみを想像したマルシルもまた心をいためた。そしてライオスからこのことはファリンには伝えないでくれと頼まれた時にマルシルは覚悟を決めた。
シュローが今のように頻繁に訪ねてくるようになるより前、マルシルはファリンとライオスの親に会いに行った。
初めて対面した彼らが思った以上に老けていたことに驚きつつ、精いっぱいおごそかに挨拶をした。ライオスや、ましてファリンのような小さな子どもに縁談をという話を馬鹿げていると一蹴してきたのは彼らがこれからゆっくり時間をかけて大人になってゆくのだと考えていたからだ。けれど両親の顔にきざまれた皺を見たマルシルは猶予はそう多く残されてはいないのだと気づかされた。
マルシルはファリンから手紙が届いているでしょうけれど、と前置きしてライオスが王になった顛末を説明し、幾晩もかけて言葉少なな彼らとやり取りを重ねた。まずはライオスが王宮で頑張っていること、ファリンがいきいきと旅を楽しんでいることを話し、魔術学校時代のファリンとの交流、その後冒険者という不安定な身できょうだいが二人で支え合い暮らしてきたことを知っている限り伝えた。
マルシルと話をする合間にも彼らには村長の仕事や飼っている動物たちや畑の世話に加え、家を切り盛りする必要があった。マルシルは一人で幼い頃のきょうだいの遊び場や猟犬たちの犬小屋を探検し、くだんの墓地までもぶらぶらと歩いた。雪の多い土地なので家の背は低く、建物と建物の間は広く、牛や馬の放された小高い丘を通って森に続く道や遠くに輝く湖水や雪を冠った山を眺めてはのどかさを味わった。たまにすれ違った村人がマルシルの耳を見てぎょっとするのでメリニに到着した当初のことを思い出さずにはいられなかった。さまざまな人種が入り混じるあの場所でさえ街中では耳を隠さずにはおれなかった。今のメリニではそんな緊張を強いられることはなくなっていたが。
トーデンの家には村長を訪ねてしょっちゅう客人が来た。ライオスの友人にお目通り願いたいと言われ、マルシルもはじめのうちこそ丁寧に接していたが、やがて彼らの目的が珍しいエルフの娘をひと目見ようとの好奇心や魔術を嫌い関わるものすべてを追い出したいという動機なのだと気づいた。ライオスとファリンが出て行ったあとのこの村に劇的な変化は訪れなかったようだ。ファリンの父と同世代かもっと年上の彼らが直接彼女に危害を加えたとは考えにくいが、積極的に介入しないことで疎外に加担したことは確かで。マルシルは学校で出会った頃の小さなファリンの姿を思い、妹を守れず無力感に打ちひしがれたライオスの悔しさを思った。彼らの父親が何かと気を遣ってくれたので、マルシルは客が来ると儀礼的な挨拶だけをして部屋にこもるようになった。
マルシルが隠れたのは客間よりそこが良いと希望を伝えて以来寝起きを許されているファリンの部屋だ。小さなファリンが昇るために使っていた踏み台付きのベッドに寝転ぶと三角屋根の頂点へと伸びた黒っぽい垂木が見える。何年も使われていないはずなのに埃っぽさの感じられない清潔な部屋の様子も踏み台もきっと母親の心遣いだろう。彼女がお茶請けに運んできた、みっしりと詰まったパンに蜂蜜の塗られたものが幼いきょうだいにはごちそうだったことをマルシルは知っている。ベッドの上で膝を抱えて息を潜め客が帰るのを待っていると、なんだか自分が自分ではない、幽霊のようなぼんやりとした存在になった気がした。
訪問客らとの数日に及ぶ対話の後、長年村長職を務めてきた父親は村人たちに推薦された親類の若者を後継にするつもりだと言った。おそらく彼を養子にすることになる、と。ライオスが帰らないのであればそうなるだろうと前から心づもりはしていたらしい。
「あれにはもう戻って来なくとも良いとお伝え下さい」
そっけない言葉を吐いた村長はその二晩前には娘からの冒険の顛末が書かれた手紙を受け取ってすぐに以前彼女のことを相談しに行ったノームに手紙を書いたことをマルシルに話した。それだから言葉通りに冷たく突き放した気持ちのはずはない。マルシルは眉を寄せながらあいまいな笑みを浮かべ村長の複雑な心境を思いやった。この言葉足らずな父親とライオスがうまくやっていけなかったのも無理はない。あの子はまだ幼いところもたくさんある。が、そうと言っていられる立場でなくなったことも確かなのだ。マルシルは不思議とライオスよりも自分自身の覚悟を問われた心持ちになった。メリニと共に生ききって死ぬ覚悟を。
「時々は」
きょうだいの母が口を開いた。
「手紙が届けば嬉しいです。あの子たちが帰って来るならいつでも歓迎します」
かすかにひび割れた声は加齢のためでなく緊張のため、普段話しつけていないためだろう。彼女の夫は彼女が「あの子」ではなく「あの子たち」と言ったことをたしなめても良かっただろうけれど、そうしなかった。マルシルは心からの微笑みを浮かべた。
「あなた方はたいへん愛情深いのですね」
自分よりはるかに若く見える女の子の言葉に村長である男は答えた。
「私どもは親の責任を果たせなかったと考えております」
「でもファリンを学校へ行かせて、ライオスを無理に連れ戻さなかったでしょう。村の外でうまく生きられることを願っていたのではありませんか? 人には誰でも適した場所や仕事があるものですから」
マルシルはあなたたちの判断は結果として世界を救ったのだとほのめかそうとした。本心からそう考えているのだから過剰な追従でもないだろう。
「仰るとおりです。この村は──あれらには合わなかった。それだけです」
この期に及んでも親しみを感じさせない言葉選びにマルシルは目を丸くした。村長としてそれが彼の言える精いっぱいなのだろうと思い直すことで喉まで上ってきていた言葉を飲み込んだ。よそから来た自分がわかったようなことを言うのは簡単だ。けれど彼らはこれからもここで暮らしていく。単に暮らすだけではなく統治する立場なのだ。いつかまた訪問する機会があれば、彼が村長職を辞したあとなら、もう少し打ち解けた話もできるかもしれない。けれども今ではない。
母親はくれぐれも息子と娘をよろしくお願いしますと頭を下げた。
「あの子たちはすこし人と変わったところがあるでしょう。だけどいい子たちなんです。マルシルさんには学校にいた頃からよくしていただいたとファリンからの手紙にしょっちゅう書いてありました。いつかあの子に親切にしていただいたお礼を伝えられたらと考えていたのですけれど、まさか会いにきてくださるなんて。あなたのような心優しい方があの子たちのそばにいてくださるのは本当にありがたいことです」
母親はおどろくほど長い言葉をゆっくりと紡いだ。マルシルはそう短くない期間ここにいたのにいざ別れる時になってようやくこんな話を始めるなんて、と驚いた。しかし彼女はきっとこれらの言葉を発するため、マルシルにお茶を淹れてくれ、ライオスとファリンに読み聞かせた本を見つけたと言って部屋に持ってきてくれ、客をもてなすための皿を用意し、毎日朝と晩とに床を箒で掃きながら自分の気持ちや考えを丁寧にかき集めていたのだ。マルシルは大きく頷いた。
「私は自分に与えられた役目よりもむしろ友情から二人を守りたいと考えています。そのための努力は惜しまないつもりです。どうか安心してください」
マルシルがファリンとライオスのためにできることをより一層真剣に考えるようになったのはその訪問がきっかけだった。
メリニに戻ったマルシルはファリンの幸せを願えばこそ、それが国家を安泰にする近道だとしても政略結婚の犠牲になどさせるものかと強く決意したのだ。もちろんマルシルだって親友と遠く分かれて暮らしたいはずはない。ファリンと離ればなれになるために会議で苦労するなんて馬鹿馬鹿しいと考える瞬間もたびたびあった。けれどもマルシルにも悲劇に溺れ自分を見失うことなく、笑ってファリンの幸せを祝福したいとの理想はあった。
村への訪問にエルフの国から口出しがなかったことから、ファリンが東方群島に行ってもマルシルが会いに行くことは可能だろうとわかった。けれどもファリンの寝床には彼女の赤ちゃんがいるかもしれない。ファリンに似た可愛らしい子どもに会えるかもしれない。彼らの母親がライオスを産んだのは今のファリンよりも若い頃だったという。マルシルがあと何回ファリンと同じベッドに寝てふかふかの羽毛に包まれて眠り朝になって彼女の腕の重みに文句を言いながら目を覚ますことができるのかとゆううつな気分になるのはこれが初めてではなかった。法案はついに可決されてしまった。遠くない別れを想像しただけでマルシルの胸は寂しさに張り裂けそうになる。喪失の痛みに慣れなくてはならないとわかっていた。しかしマルシルはその晩、涙を流すことを自分に許した。
翌朝、マルシルは鏡の中の自分の目が腫れていないことを確かめ、ほっとした。ライオスに余計な心配をかけたくはない。今日はエルフ語の通訳や魔術の解説のためにマルシルが立ち会う必要のある会議や面談の予定はなかった。昨夜会議していた分だけ今朝の仕事の開始も遅くなるのだろうか? ともあれマルシルは普段通りの時間に合わせて支度をすることにした。眠っている間に摩擦でふくらんだ髪が邪魔になるので手ぐしで適当におとなしくさせリボンでくくって顔を洗い、服を着替える。
朝の光の下で点検したブローチの針は本来留め具におさまるはずの軌道を外側に反れてしまっていた。力を込めれば無理やり留めることはできるが、途中でまた弾けてしまうかもしれない。ネジの緩みぐらいならマルシルにも何とかなったが、これでは専門家に任せるしかないようだ。修理を口実にチルチャックに会いに行こうか。マルシルはふと思いついた。ナマリともしばらく会っていないし、長い間会議のためにあちこち駆け回ったあとなので気分転換が必要だ……。なら一度ライオスに報告の必要がある。朝食の定刻までまだ少し時間があった。でもきっともう起きているはず。それに昨夜の自分の態度は感じがよくなかったと反省したマルシルはライオスの部屋まで行くことにした。
朝食前にふと思い立って王の寝室を訪問できること、そもそも居間のようなプライベートスペースを王の家族と分け合っていること自体、マルシルに与えられた特権であった。深呼吸して重たい叩き金を鳴らすとややあって堅牢な木の分厚いドアがゆっくりと開く。ところがマルシルの期待に反してそこから顔を出したのはライオスではなかった。
「もう少し待ってくれ。王はまだ肌着も着ていない……」
誰かが身支度を手伝いにきたのだと考えていたらしきシュローがマルシルの顔を見てポカンとして立っていた。マルシルはむっとして口の端を下げた。昨夜ライオスは確かに「シュローが部屋で待っている」と言ったし、夜遅くにシュローが割り当てられた自分の部屋──階層も違いマルシルの寝室よりも遠くにある客用寝室には戻らずにライオスと共に過ごしていたって何もおかしくはない。けれども寝起きとおぼしきシュローが髪を結いもせず薄い着物を一枚身にまとっただけの姿、以前の彼なら絶対に口にしなかっただろう入室を断る言いまわしにマルシルは不審を抱いた。大きな困惑が口から漏れ出た。
「はぁ……?」
眉をひそめたマルシルの腕をシュローがぐいと引っ張り、いささか強引に部屋の中に連れ込まれて背後でばたんとドアが閉まる。シュローはマルシルをドアに押し付けんばかりに顔を寄せ、低い声でささやいた。
「頼むから大きな声を出してくれるな。ライオスのためにも」
シュローは大して力を込めてはいなかった。とは言えマルシルより上背も筋力もあるシュローに腕を掴まれる嫌悪がまず訪れる。マルシルはファリンを巡って迷宮内で揉めた際にシュローに恫喝された時のことを思い出し、非常に不快になった。腕をめちゃくちゃに振りまわし、それでもライオスのためという言葉にただならぬものを感じたため低い声音で告げた。
「離してよ!」
手を振り払った瞬間、マルシルはギクリとした。目を見開いたシュローの顔がひどくうろたえ、傷ついているように見えたからだ。そっちが先に乱暴をして命令までしてきたくせに、とマルシルはかっとなった。けれどマルシルがもう一言を発するより先にシュローはさっと身を引きうつむ
いた。ライオスが驚いて二人のそばまでやって来て必死にとりなそうとする。
「マルシル、ごめん。大丈夫か? えっと、きみにこんなだらしないとこ見せるつもりはなかった。シュローも悪気はなくて。でも昨日の今日でシュローが俺の部屋にいることを大勢に知られるのは避けたいのも確かで。あの、マルシル?」
慌てて羽織ったガウンの前を合わせながら駆け寄るライオスの姿にマルシルは動揺した。ガウンの下に何も身に着けていないだろうことは明白だったからだ。
「……、手荒な真似をしてすまなかった」
シュローが詫びるとライオスが庇うようにシュローの肩を抱き寄せた。二人は一瞬見つめ合い、視線だけで無言のやりとりをする。不器用なライオスがいつの間にそんなことをできるようになったのか。相手がシュローだからか。
マルシルの知る限り、ライオスは以前からシュローのことが好きだった。熱心に話を聞きたがり迷宮内で眠る時でさえそばを離れたくないとつきまとっていた。シュローは忍耐強さと気の弱さからライオスの友愛を許容していたがあくまで受け身の対応をしていた。その果てにあんな喧嘩をしたのだけれども。
しかしこの時のシュローはごく自然に首を傾けてライオスに何か囁いた。それでライオスは肩にまわしていた手を離したが、シュローがライオスのそばを離れないこととライオスのシュローを見る目つきの熱っぽさが何より雄弁に二人の関係を語っていた。
男性同士で恋愛関係になることがあるのだ、とマルシルは物語を読んで知っていた。けれどもそれはエルフの国の都会的な街やはたまた都会の喧騒を逃れた田舎の別荘地や場合によっては激しい闘いの繰り広げられている戦場などで起こるものだから、自分の身近で遭遇するはずがない。そう思っていた。本には「世界中いたるところ私たちのような存在がいる」と書かれていたにも関わらず。
思いがけなく二人の秘密を知ってしまった狼狽からマルシルは沈黙した。ライオスが法の成立に必死になっていた理由の半分が妹のファリンのためであることは間違いない。けれど残りの半分はシュローのためだったのだとしたら? 自分は二番目に親しい友人から隠し事をされ──騙されていたようなものだ。マルシルは苦痛を覚え胸に手を当てた。打ち明けてくれたら良かったのに。マルシルがシュローのことを避けていたのは彼がファリンを連れて行くと思い込んでいたからだ。二人の関係を知ったとて会議への協力は放棄しなかった。でもライオスはそう考えなかったらしい。腹立たしいやら情けないやら、マルシルはパニックに陥った。
シュローの相手がファリンじゃなかったことにほっとするべき? ああでもファリンはフラれたということなの? 何もわからない、知らされてないんだもの。
「どうしてこの人とのことを言ってくれなかったの。ライオス、私のことそんなに信用できない?」
言い放つやマルシルは顔を赤くした。言葉にするといよいよ二人が恋愛関係にある事実を認めなければならないような気持ちになった。そんなこと、予想だにしていなかったのに。
本当にそうだろうか? ライオスとシュローは迷宮を探索していた頃に比べるとずっと親しさを増していることはマルシルの目から見ても明らかだった。いつも言葉の少なかったシュローがたびたびライオスに言い返すようになり、笑顔を見せるようになっていた。マルシルはその変化を知りながら、二人が恋人同士だと想像したことはなかった。エルフの文化に親しい自分はトールマンより色々物事を知っていると自負していたにも関わらず。不意打ちに自分の狭量さを突きつけられたマルシルは動揺した。人から未熟だと思われることを過度に恥じるのは今も彼女の克服しきれない欠点だったので。
「マルシルを信用してないわけないだろ。だけど、いつ言ったらいいのかなかなか決められなかった」
しょんぼりと声のトーンを落としたライオスを挫けさせていたのは自分の頑なな態度のせいではないだろうか? シュローに対しての警戒心を隠せずにいた。どんな立場であれファリンのことを大事に思っていることは確かだし、友だちの友だちだったのに。
マルシルはライオスの自信のなさそうな顔を見ながら布でくるんだブローチを差し出した。
「朝から押しかけて騒いじゃってごめん。これ、やっぱり私じゃ直せないみたいだから誰かに頼んで。ちょっと一人で考えたい。あとでゆっくり話そう」
「わかった、そうしよう」
ブローチを受け取ったライオスはひどくバツが悪そうだった。けれどもマルシルがその場を立ち去ろうと一歩足を後ろへ引いた時にはもうその腕はシュローを抱き寄せていた。二人の親密さが友情からだけではないことを改めてマルシルに突きつけるつもりはないにせよ、マルシルには痛手になった。苦いような激しい感情が再びマルシルの胸にこみ上げる。マルシルは喉をせり上がってくる何かを飲みこもうとした。踵を返し今度こそ部屋を出て行こうとしたその時、窓がガタガタと音を立てた。弾かれたように顔を上げたライオスとシュローが声を上げるより早くマルシルは叫んだ。
「ファリン!?」
マルシルは駆け出して窓に飛びつき、どっしりと重たいカーテンを開け放つ。木を組み合わせた窓枠に嵌められたガラスの向こうにマルシルの愛しいちびすけが笑っていた。
ファリンが帰ってきた。
王の寝室の外屋根はマルシルの部屋や居間の外屋根より傾斜が急になっている。マルシルは不安定な場所に立っているファリンが不意にめまいを起こし地面めがけて真っ逆さまに落ちていく光景を想像し、青ざめた。が、大声で呼びかけることでかろうじて正気を保つ。
「ファリン! 今開けるからしっかりつかまって動かないで!」
ふうふうと息を荒げながらかけ金を外したマルシルの肩に手が置かれ、ライオスが勢いよく窓を押し上げる。ぬるい空気が漂っていた部屋に新鮮な風と羽がふわりと舞い込む。
ファリンは身体を折りたたみ、笑いながら部屋に侵入した。
腕を広げて一歩で距離を詰め、マルシルを窒息させるかと思うほど強く抱きしめる。ああ、私の元に帰ってきてくれたんだとマルシルは喜びにひたった。
「ただいま、マルシル」
やわらかく温かな声がマルシルの耳をくすぐる。ライオスが呆れた様子で妹に声をかける。
「俺には?」
「兄さんとシュローもただいま」
マルシルはファリンの首から胸にかけて生えた羽毛にうもれてもがきながら言った。
「ファリン、おかえり。怪我はないの? どうしてあんなとこから来たの」
「元気だよ。マルシルがどこにもいなかったからびっくりして屋根を伝ってここまで来たの」
「私のせいなんだ、ごめんね。だけどお願い、ファリン。私のために危険なことはしないで」
マルシルはその言葉を口にした途端、辛い思い出が脳裏をよぎって顔がゆがむのがわかった。これはいけないと思うも鼻の奥がツンと痛くなる。みるみるうちにあふれ出てまなじりに溜まる涙は驚きファリンを心配したせいもあるが、ライオスたちの関係を知らずにいて疎外感を味わったせいもある。そして自分のぐらぐらした価値観を情けなく思う気持ちもあった。ファリンのせいじゃないのに、でも、ファリンが私を不安にさせるから。
「兄さんの部屋に窓から入るのは大変だったから次からはもうしない。
だけど何があったの? もしマルシルを傷つけた奴がいるなら許さない。私はマルシルを守るためなら何だってするんだから」
ファリンはわずかな間に反省して見せ、いぶかり、憤りながらまつ毛の下でけぶる琥珀色の瞳でマルシルを見つめた。マルシルの涙をぬぐうファリンのハンカチは皺がよっていたけれどぱりぱりに乾いていてきちんと洗って干した形跡がある。いつだったか身のまわりにかまわないファリンを心配したマルシルが買わせたレースの縁飾りのついたハンカチはファリンの羽毛と同じく太陽の匂いがした。やさしくあたたかな眼差しにしかしマルシルは恐怖を感じないではいられなった。ファリンの力のこもった声がかつてのファリンの決意を思い出させたからだ。レッドドラゴンに飲み込まれた時の、誰かを犠牲にすることも厭わない、怖くなるほどに大きな愛情。マルシルはあえいだ。
「駄目、駄目だよ。あんな危険なこともうしないで」
「マルシル? 何も危険なことはないから大丈夫だよ。私も兄さんもここにいる。ほら、シュローもいるよ」
やさしく語りかけられるとマルシルはこらえきれずにわあっと泣き出してしまった。ファリンはびっくりしてマルシルの背中をなでる。ライオスはマルシルをなだめようとするもどう接したものかわからず手を上下させてファリンの周りをうろつくばかり。シュローはファリンの肩に指先で触れて彼女らをソファへ導いた。二人が座る前にソファに脱いでいた自分の着物を両手に抱え。
マルシルの様子に困惑したファリンは眉尻を下げてほんのり汗をかいていた。りんごのように赤いほっぺたをマルシルの頬にくっつけて語りかける。
「落ち着くまで好きなだけ泣いていいよ、私のマルシル。でもどうして泣いているのか、後で教えてね」
ファリンったら、何回止めるように言っても人前でもかまわずにくっついてくるんだから、とマルシルは思ったが、ファリンの体温や息遣いがほかのどんなものより自分を安心させることも知っていた。マルシルはソファに腰かけたファリンに腕を巻きつけて体重を預け、ぴったりと密着した。とくとくと脈打つ心臓の音が自分のものかファリンのものかわからない。──生きてる、とマルシルは思った。ファリンはもうマルシルのことがわからなくなってはいない。冷たい氷の中で目を閉じていたりはしない。まだしばらくは寿命で死んでしまったりしない。
首と鎖骨の間に鼻先をうめると羽毛に頬をくすぐられた。シャツの袖には果実の汁か何かがこぼれた染みがある。ファリンはいつも実や草を集めてマルシルに持ってきてくれた。それらを受け取って一緒に食べてあげられなかったことを今でも後悔している。ファリンが一人でいたくないと思った時に一人ぼっちにしたことがどんなに冷酷だったか知っている。頭の上でファリンの呼吸する音が聞こえていた。
いつまでもそうしていたかったが、部屋の隅でライオスたちがあわただしく着替える気配にうながされ、マルシルはしぶしぶ顔をあげた。いつもはまぶたの下に隠れている瞳が今朝は細く開いてマルシルだけを見つめている。まつげが揺れるのはファリンにも心配事や心細さがあることを示していた。私たち、同じ気持ちなのかもしれない。ふとマルシルは感じた。お互いをたいせつに思っている。他の誰とも代わることができないくらいにひたむきに。
「もし二人で話すなら俺たち出て行くけど」
恐る恐る声をかけたライオスに、別にいてもいいよ、とマルシルは答えた。くすんと鼻をすすり、話し始める。
「ファリンが私たちを転移させた時のことを思い出したの。レッドドラゴン相手に全滅しかけたあの時、身体は動かせなかったけどファリンが私たちを助けるためにどれだけ頑張ってくれたのか、ちゃんと聞こえてたんだよ。
ねえ聞いて、私の大事なファリン。昨日の会議であなたは政略結婚をしなくても良くなったの。これからも自由に旅をして好きなように生きられるんだよ。あなたはあなたの選んだ人と結婚できるの」
ファリンは目を丸くした。
「できないよ、マルシル」
マルシルは首を振った。
「あなたはメリニやあなたの兄さんのために犠牲にならなくていいんだよ、ファリン。もし……、もし私のためにメリニを長らえさせたいと思ってるんだったら一緒に他の方法を考えるから。だから絶対に不本意な結婚なんてしないで」
伝えるべきことを吐き出したマルシルは再びべそをかきそうになり、ファリンはマルシルの真っ赤に染まった耳の先を指でちょんとつついて微笑んだ。
「私が結婚したいのはマルシルだよ。だから今はまだできない、って意味」
「ファリン……」
マルシルはファリンの言葉に驚き、けれどもずっと前からファリンがマルシルを見る視線に特別な思いがこもっていると知っていたような気がした。一度は落ち着いた心臓がまたしても早鐘を打つように鼓動を加速し、表にあらわれる動作は却って緩慢になる。マルシルは今にも叫び出しそうな大きな口を開けて頬に手をあてて固まった。
「兄さん、まだ同性同士の結婚は法で認められてないよね? とりあえず政略結婚を禁止させてから、様子を見て議会に提出する時期を検討するって言ってたよね?」
ファリンは兄に訊ねた。
「そうする予定だ。だからさっき驚いたマルシルが叫んでシュローがここにいることを大勢に知られるのは避けたかったんだ。いや、身のまわりの世話をしてくれてる人たちはみんな知ってるんだが」
「俺がなかなか起きないこいつを置いてさっさと部屋に戻っていれば良かった。重ね重ね申し訳ない」
ぽかんと口を開けたままのマルシルをよそに、ライオスとシュローが何やら話している。ファリンはマルシルに向き直って口をとがらせた。
「兄さんたちったらずるいの。私にはもう少し時期を待てって言っておいて二人でさっさと仲良くしてるんだもの」
「待って。そんな一遍に情報が入ってきても処理しきれないんだけど!」
ついにマルシルは叫んだ。拳を握りしめる。
「なんで誰も教えてくれなかったの?」
三人は顔を見合わせこの場にいない人物に責任を押し付けた。
「それはね、カブルーくんが言ったの」
「きみは正直できっと全部顔に出てしまうから」
「ファリンからの告白はせめて義務の免除を可決させてからにした方がいいと言っていた」
「何それ! 言っとくけど、カブルーくんに賛成して従ったならみんな同罪だからね。一人だけ仲間はずれにして黙ってるなんてひどいよ。すごく驚いたし、寂しかったんだから」
「ごめんね、マルシル」
「ごめん」
「すまなかった」
「ああっ、これ三人で息が合ってるのも腹立つな、もう」
怒って大きな声を出したせいだろう。マルシルのお腹がぐうと不服を申し立てた。
「よしっ、朝食にしよ。食べないと元気出ないからね。そうでしょ?」
ファリンが「そうだね」とにこにこしながら立ち上がり、ライオスとシュローはひそひそ話をしている。マルシルは腕を組んで命令した。
「あのね、二人が付き合い始めたなれそめは全部聞かせてもらうからね」
ライオスはうめき、シュローは諦めきった表情を見せながら問い返した。
「いや、ファリンへの返事はしないのか……?」
「え? あ、そうか」
マルシルは先ほどファリンにプロポーズされたも同然なのだった。ファリンはシュローの質問にくすくす笑った。
ファリンはマルシルとの付き合いの長さから、彼女が一言も拒絶の言葉を発しなかったことをもって同意したものと了解していた。それにかつてファリンは半年以上もシュローのプロポーズに返事をしなかったので、今ここでシュローがマルシルを急かしたことに驚きもした。けれど今後も対外的なパフォーマンスをやる必要はあるのだろうと納得し、いずまいをただした。
マルシルからの答えを確信し、けして自分の望みを諦めないファリンの頬はますます紅潮し目はキラキラと輝いていた。マルシルの顔を覗き込む。
「聞きたいな、マルシル。法が認めても認めなくても私が生きてる限りあなたの寝室で寝ることを許してくれる?」
「許さないわけないじゃない。ファリンのことが誰よりも大事で、誰よりも好きなんだから。でも窓からじゃなくドアから入ってきてよね」
もうっ、と顔を赤らめてマルシルはファリンにキスをした。ファリンからもちゅっ、ちゅっ、と音を立てたキスが返される。
「良かったな、ファリン」
「……っ、よかった」
ライオスは感動して目を潤ませ、感極まったシュローはほろりと涙をこぼした。
*
ブローチの修理を依頼するためマルシルとファリンがチルチャックのもとを訪れると彼は大げさに頭を掻き、首を振った。
「おいおいマルシル何だその顔は。どろっどろにとろけてんぞ。まさかその顔で町を歩いてきたのか? はあ〜……、ちょっとそこの鏡を見てみろよ」
迷宮にいた頃は娘のように面倒をみていた二人からの報告に照れくささもあったのだろう、チルチャックはまくし立てた。そうしてはからずもカブルーの言葉が正しかったことをマルシルに理解させた。鏡の中のマルシルは幸せいっぱいという表情をしており、これでは秘密裏にことを進めるなんてできっこない。マルシルは城に帰ってからカブルーと和解した。
ナマリは一緒に働いているカカと家族に会いに帰ってきていたキキに挟まれてへらりと笑った。
「知り合い同士がくっつくなんて面倒なことばっかりかと思ってたけど、思ってたより悪くない結末だな。酒が飲める口実なんていくらあってもいい。だろ?」
そうだね、と返事をしたマルシルは以前とは異なる目でカカとキキとナマリの親密さを眺めている自分に気がついた。もしかしたら彼らは……、と考えつつ、本人たちが言ってくるまでは軽はずみに決めつけずにいようと思った。
ほどなくシュローは帰国したのでライオスはやや元気をなくし、カブルーに叱られながら仕事をこなした。ファリンが旅に出るとマルシルは次の会議のための資料を新たに集め始めた。
編みかけのショールはファリンの希望を受けてほどかれレッグウォーマーに編み直されて旅の荷物となった。それでもまだ毛糸はたっぷり残っていたのでマルシルは自分のために帽子や手袋を編んでいる。いつかまた訪れるかもしれないファリンの故郷は夏に訪れてさえ夜は肌寒く、遠くに見える山の上には雪が残っていた。けれども実際のところ、マルシルはファリンと一緒に行くのならどんな山だってかまわないのだ。
*
新生メリニはトールマンの統治する国では初めて同性同士の婚姻に異性同士の婚姻と同等の権利を保証することとなった。続いて成立したパートナー法により従来の一対一の男女という規範に則らず二人以上の間で対等な法的関係を結ぶことが可能になり、メリニへの移住者の増加に影響を与えた。初代ライオス王はトールマンもエルフもドワーフもハーフフットもノームもオークもコボルトも誰かを愛する者も愛さない者もすべて民を飢えから救った。この法の成立を記念して顧問魔術師マルシル・ドナトーは毎年さまざまな色が塗られた旗を掲げる。
END
絵文字送っていただけると嬉しいです
https://wavebox.me/wave/8z1xvx5ydh9auxep
🍚女女カプメニュー
https://notes.underxheaven.com/preview/2801c7b2d1dc5f41713dda3bbfbe0ad3
あとがき
去年(2024年)の夏に投稿したライシュロ前提ファリマル(ファリシル)を書いている途中で三人の前で泣くマルシルの姿が頭に浮かんだのでその理由に何とか説明をつけて形にしようと奮闘した。今年の春、クロスフォリオに投稿しようかと読み直した時にどうしてマルシルが泣いているの考え尽くせてなかったような気がして書き直した。だいぶ違う話になったような、あまり変わってないような…。
制度のせいで結婚できないんだけど、変えられる立場なんだから変えよう! という話の手前まで書きました。この四人ならこのあとちゃんと変えてくれるでしょう。(たぶん同じテーマ・世界設定で短めの話をいくつか書いた方が良かったな)マルシルが旗を掲げているのは2024年版の話がプライドマンスに投稿したいという動機から書かれてその気持ちを引き継いでいるからです。
影響を受けたものたち
アニメ「がまくんとかえるくん」(原作「ふたりはともだち」他アーノルド・ローベル/三木卓訳)
「アーノルド・ローベル「おてがみ」の「名づけ得ない関係性」を読む―教材可能性を開くクィアの思弁的なプロセス―」(木村季美子、上田楓、明尾香澄)
「鯨が消えた入り江」エンジェル・テン監督
「The Summer/あの夏」ハン・ジウォン監督(原作未読「わたしに無害なひと」チェ・ウニョン/古川綾子訳)
「愛はステロイド」ローズ・グラス監督
「私と彼女の女友達」チョ・ウリ/カンバンファ訳
「シミズくんとヤマウチくん われら非実在の恋人」清水えす子、山内尚
「お砂糖とスパイスと爆発的な何か」北村紗衣
「公益社団法人Marriage For All Japan – 結婚の自由をすべての人に」https://www.marriageforall.jp/
「魔女の秘密展 ~ベールに包まれた美と異端の真実~」大阪文化館・天保山2015年企画展
powered by 小説執筆ツール「arei」
34 回読まれています