ミス・アメリカーナとハートブレイク・プリンス(ラオリュウ)

【ミス・アメリカーナ】


「閨での睦言は、真に受けてはいけないそうだよ」

 腕の中でふいにそう呟くのでリュウの髪を撫でるラオの指が止まった。真夜中の寝台、今まさに閨の中でそんなことを言われてラオは戸惑う。リュウが変わったことを言うのは慣れたつもりでもいつも不意をつかれる。

 たった今まで二人で激しく交わっていた。奥の奥まで暴きあい、お互いのからだでお互いの指と舌が触れていないところなどないほど。フランス人は性的オーガズムのことを「小さな死」と呼ぶそうだ。確かに夜中の交歓は死に似ている。夜ごと自分たちは死に、そしてよみがえる。なのにリュウはそんなことを言う。愛を交わし合った直後に。

「……誰がそんなことを?」

 ラオが尋ねるとリュウはラオの腕の上で頭の位置を変えながら、「昔世話になった小姐」と言う。それからラオの視線に気づき、それがずいぶん思わせぶりな言い方になっていたことを悟ったのか、少しだけ面倒そうに説明する。

「深い仲じゃない。子どもの頃、夜の街で厨房の勝手口の軒先を借りて休ませてもらっていたら、煙草を吸いに何度か外に出てきた女給さ」
「……別に、」
「酔客が注文して、ほとんど手付かずで厨房に返ってきた料理を食べさせてもらったことも何度かある」

 それだけだよ、とあんまりなんでもない顔をして言うのでラオもこれ以上何も言えなくなる。軒先で眠ることも、見知らぬ他人が箸をつけたあとの料理を食べることも、ラオには一度も経験がない。

 リュウがまた頭の位置を変え、ラオを上目に見上げる。暗闇でもラオの目が戸惑っているのがわかる。リュウはちいさく笑う。生真面目で物事を額面通りに受け止める兄弟子がいとしくもあり歯痒い時もある。

 リュウはあくびを噛み殺して彼女のことを思い出す。濃い化粧をしていたがそれを落とせば素顔は案外あどけない顔立ちをしているのではないかと思われた。あの頃はずいぶん大人びて見えたが今思えば歳もそう変わらないだろう。15歳と18歳、せいぜいその程度の年齢差だ。客からの指名が多く稼いでいたようだったが男運が悪かった。しょっちゅう男から殴られた青痣をコンシーラーで分厚く隠していた。料理と煙草の礼のつもりで「その男、おれが殺してやろうか?」とふざけて言ったら、冗談でもそんなこと言っちゃダメ、と、男のためにではなくリュウのために険しい顔でたしなめてくれる、そんな女だった。その女がある夜にそう言っていたのだ。閨での睦言は、信じてはいけないよ。あの時は意味がわからなかった。そんな嘘つきの男とはさっさと別れてしまえばいいのに、愚かな女だとそう思っていた。あの小姐が言っていたことの意味が本当に理解できたのはラオとこんな仲になってからだ。なんとなれば、ラオがまさにそういう男だったから。

 嘘をついているわけではない。決してそうではない。心を尽くして夜を過ごしたあと、昂った感情のままにリュウを抱きしめて、「このまま、二人で常世に行ってしまいたいなあ」と感極まってつぶやく、そんなところがラオにはあった。それは絶対に嘘ではないのだ。ラオはその時たしかに死んでもいい、と思っていた。ただ、二人の使命が決してそれを許さないだけで。二人は愛に死ぬことは許されていない。二人は戦いに死ぬと運命に定められている。どうしようもない。

「……信じてなかったのか?リュウは、その、今まで、俺が、」
「信じてるさ」

 リュウは笑う。信じてないよ。だって嘘だろう?二人で死んでしまおうなんて、死んでないくせに、おれも、あなたも。ここからどこにも行けないくせに。嘘つき。

「ためしに嘘をついてみるか?師兄」
「嘘を、」
「嘘の睦言を囁いてくれ、わたしに」

 新しい遊びを思いついた弟弟子が笑って見上げるのをラオは眉を上げて見下ろす。また妙なことを言い出した、と思うものの、この悪戯っぽく輝く黒い瞳には逆らえない。ラオは咳払いをする。なんとか甘い言葉を探す。沈黙は長すぎた。リュウがラオの肩に優しく口付けて催促する。

「ええと、リュウ、…………あいしてる」

 ようやくひねり出された言葉はあまりにも陳腐で、リュウはぽかんとした後ややあって盛大に吹き出した。ラオもすぐ失敗を悟りかすかに赤面する。

「いや、すまない、今のは嘘じゃない」
「ああそうだろうとも。今のが嘘だったら許さない」

 リュウが笑いながら肩を小突く。ラオは困り果ててそれでも言葉をかさねる。

「好きだ」
「世界一かわいい」
「逞しくて強い自慢の弟弟子だ」
「髪がつやつやしてて素敵だ」
「目が好きだ」
「膚も」
「筋肉も好きだ」
「唇も」

 言い募れば募るほど言葉は陳腐になってゆき、リュウが腹を抱えて笑い転げている。ラオは憮然として黙り込む。リュウのゲームはいつも難しすぎる。リュウは声も出ないほど笑っている。「今のが全部嘘か」と笑いながら聞かれて首を振る。

「今のが全部嘘なら別れてやる」

 リュウが笑いながらそう言うのでラオは苦虫を噛み潰した顔になる。リュウも最初からラオには無理だと思っていた。不意に思いがけず歯の浮くような気障なことを言うのはあれは天然で、意識して甘い睦言が言える男ではない。リュウに笑われ憮然とする表情も愛おしい。このままでいられたらどんなにかいいだろう、と毎夜思う。こんなふうに抱き合ってくだらない冗談を言って笑っていたい、望むのはただそれだけなのに。

「お手本を見せてくれ」

 あんまりリュウが笑うので不貞腐れたような顔でラオが言う。笑いすぎて目尻にうかんだ涙を唇でそっと吸われる。リュウは笑うのをやめる。ラオの肩口に顔をこすりつけ、残りの涙を拭う。そのまましばらく黙っている。リュウ?とラオが催促する。肩に顔をうずめたまま、じゃあ、とちいさな、ちいさなリュウの湿った声がした。

「……じゃあ、こういうのは?……『ラオ、ラオはわたしのものだ』」

 ラオは息を呑む。このゲームのルールを理解する。閨でも甘い睦言が嘘だというその理由を理解する。リュウが言ったことを理解する。それが嘘だということを二人は知っていたから。嘘じゃなくても、少なくともそれは真実ではなかったから。ラオはリュウのものではない。ラオはクン家のものだった。グレートクンラオのもの、寺院のもの、モータルコンバットのもの、戦う運命のもの、死の運命のものだった。ラオはリュウのものではない。永遠に、そうはならない。そして二人は沈黙するしかなくなる。閨での睦言は嘘ばかりだ。ラオは今までリュウに囁いてきた残酷な言葉のひとつひとつを思う。

 この先いくつこんな嘘をつくのだろう。自分たちは、幸福の絶頂でこのまま死んでしまいたいと願いながら、お互いを自分のものにしてしまいたいと思いながら、戦う運命を前にして、そんなことはできっこないと諦めて、いくつもいくつも嘘をつくのだ。

 ラオがリュウを抱く腕に力を込める。リュウが抱き返す。キスをする。それ以外に恋人たちにできることはない。二人はあまりに無力で、ここからどこにも行けない。

【ハートブレイク・プリンス】

「ラオは言ってくれないのか?」

 リュウがなかば眠りに落ちながら寝言のようにそう言う。ラオは指でリュウの髪をかき分け、こめかみに口付けながら首を振る。

「言わない」
「……ひどい男だな」

 目を閉じたまま、リュウが独り言みたいにそう言って笑う。ラオは何も言わない。

「嘘だとわかってるのに?」
「……それでもだ」

 リュウのこめかみに唇をつけたまま、ひくくそう告げる。リュウは諦めたように、疲れたように笑う。ラオは自分は今、とても残酷なことをしている、と思う。けれど言わない。何度リュウに乞われても、それだけは言わない。「おまえは、俺のものだ」とだけは。それが嘘だからではない。逆だ。ラオがそう言えば、このちいさなみなしごはあまりにもたやすくそうなってしまう、だからだ。

 生まれた時に親に捨てられどこにも所属せずにひとりぼっちで生きてきたリュウはどこかに、誰かに帰属することに涙ぐましいほど飢えている。かれがこの寺院にいる理由なんてほとんどそれだけだと言ってもいい。孤児院に、ストリートの不良グループに、マフィアの下部組織に所属していたのと同じように、血を吐くようにファミリーを求めているのだ。ラオが「おまえは俺のものだ」といえばリュウは喜んでそうなるだろう。だからこそ、それだけはしてはならないとラオは知っている。リュウのため、というより、ラオ自身のために。だから繰り返し繰り返し言い聞かせてきた。「おまえは誰のものでもない。おまえ自身のものだ」と。リュウはそのたびに不満そうな顔をしていた。当たり前だ。生まれた時から帰る家を持たずただひたすら渇望してきた人間にそんなおためごかしがなんの役に立つ?誰かのものになりたいという泣きたくなるほど切実な願いの前にそんな薄っぺらい説教がどんな効果をあげるというのだ?リュウはラオのものになりたがっている。ラオが死ねといえば喜んで命を差し出したいと思っている。だからこそ、嘘だとわかっていてもそれだけは言えない。ラオにはおのれの執心がおそろしいから。

 ラオは生家の祠にこれ見よがしに仰々しく祀られているあのいまいましい五本爪の龍の紋章を思い出す。クン家の血、名門の血筋を保つため近親婚を繰り返しどす黒く濁った血のことを思う。あの血が流れている自分のからだを思う。はるかはるか先祖を辿れば、夫である皇帝の崩御後、寵愛を奪っていた愛妃の手足を木挽き、舌を切り、目を潰し便所に捨てて糞尿を食わせ豚の餌にしたあの女の血が、ラオにも流れている。ラオはその血がおそろしい。クン家の血は、恋に狂う血だ。

 リュウがほんとうにラオのものになってしまったら、自分はたぶんとてもひどいことをしてしまうだろう。リュウを戦わせたくなくてアルカナをえぐりとってしまうかもしれない。どこにも行かせたくなくて脚を切ってしまうかもしれない。誰も見て欲しくなくてあの輝く黒い瞳を潰してしまうかもしれない。だから言わない。リュウが言って欲しい言葉を、決して言わない。

 戦って欲しくなどないのだ。本当は、リュウに。自分はもう諦めている。生まれた時から定められたこの運命にさからうすべなどない。だけどリュウなら、この家を持たないみなしごなら、どこにも帰属していない、世界にひとりぼっちのこの子なら、自由にどこにでも行けるはずだ。本当は、「モータルコンバットなんかクソ喰らえ、やってられっか、バカバカしい」と言い捨ててリュウがここを出て行ってくれたらいいのに、と毎日思っているのだ。俺の代わりに、どこにも行けないあわれなグレートクンラオの末裔の代わりに、世界のどこにでも行って欲しいのに、きっとリュウはどこにも行かない。ラオが、ここにいるから。それがわかっているのにリュウを手放すことができない愚かな、弱い自分をラオは思う。こうやってリュウを甘やかして、依存させて、自分のところに止めておくことを思う。

 それでも自分は、リュウに自由に生きて欲しいと思っているのだ。リュウがいなくなった後、この寂しい寒々しい寺院で一人取り残されて自分はおかしくなってしまうかもしれない。でも、それでも、リュウに好きに生きて欲しいと思う、そのことだけは嘘じゃない。本当に、心から、そう思っているのだ。それだけは、本当のことだ。

 ねむるリュウの髪を撫でながら、軒先で寝ていたこの子に寝床を与えてしまったことの罪深さにラオは戦慄する。こうやって安心して深く眠る代わりにここに、モータルコンバットに縛り付けてしまったことを悔やまない夜はない。きっと、一生後悔する。

powered by 小説執筆ツール「arei」

50 回読まれています