鉱物の庭ラピダリウム 蛍石の国-4
水晶と同じ色をしたガラス天井が、朝の光を曇りなく蛍石の国へ届けている。骨なきものはいつのまにかフルオラがすべて打ち取ったことになっていたようだ。公的な報告に、私的な歓待にとフルオラは国中で引っ張りだこで、リソスはフルオラの家で待ちぼうけを食らっていた。白っぽく眠たげな工房で、リソスは壁にかかった武器を眺めている。
長距離狙撃用のレーザーライフル。その熱と光を蛍石のレンズ越しに集中させるのだとフルオラは言っていた。つまり、あのとき夜闇に走った金の光もまた鉱物の業だった。ラベルがあること。身元証明があること。自らの存在と結びつく、依って立つべき能力があること。静かに光を受けるレーザーライフルは、その誇り高さの象徴だった。
「お前にはすごい力がある。まだ気付いていないだけだ」
あの後、フルオラがリソスに言った。たびたび窮地を救ってきた、自分に宿る緑の力。しかしリソスにとってそんなものは自己の証明でも何でもなかった。あれは自らの意思で発露したわけではない。たまたま運が良かっただけだ。どんなに褒めそやされたとて、心の飢えは収まるどころか薪をくべた火のように燃えあがるばかりだった。
背後で重い石の擦れる音がした。振り返れば、戸を開けてフルオラが帰ってきたところだった。
「待たせたな。事後報告だ何だと、いろいろやることがあったのだ」
勝手に前線を離れた責任は、無事に骨なきものを討伐した功績で帳消しになったらしい、とフルオラが付け足した。言いながら、その光はどこか疲れ果てたように輝きを失いかけていた。
「街は大変な騒ぎだ。どこへ行っても『ありがとう』『君のおかげだ』と握手を求められる。さすがは我らが英雄だと……」
リソスはそれを聞いて、素直に賞賛の意図を込めて暖かい光を灯した。しかしフルオラの光は晴れない。
「……違うのだ、リソス。街の者たちが見てるのは私ではない。私の背後にもういない『ホタル』の幻影を見ている。私がライフルを構えるたびに、皆は愛すべき『ホタル』の再来を喜ぶ」
フルオラは首を振ると、天井を仰いで呟いた。
「この国の石たちは善良だ。皆、ホタルを慕っている。だからこそ私は愛すべき幽霊の入れ物でしかない」
そう言うとフルオラの光はひととき仄暗くなった。そのまま物語を聞かせるように語り出す。
「かつて蛍石の国には『ホタル』という石がいた。ゾーニングが美しい、優秀な狙撃手であり天文学者だった。国の誰もがホタルを慕っていた」
リソスは聞き覚えのある名前に反応してぽつりと浮かんだ。フルオラは話を続ける。
「あるとき、天文台の移設作業が進められていた。鉄骨を組み上げて新しい骨組みが組み上がろうとしていたときだった。鉄骨の一本が落ちてきたのだ。その下には作業員がいた」
リソスはしばし明滅を止めた。
「そのとき、作業員を突き飛ばした石がいた。ホタルだった。ホタルは鉄骨の下敷きになって砕けた。そして」
フルオラは言葉を切って間を置いた。
「私の記憶はそこから始まる」
リソスは首をひねる。要を得ない様子を見たフルオラは説明を続けた。
「我々、蛍石には完全な劈開がある。ホタルは砕けていくつかの八面体になった。そのうち、新たに生命を宿したのは一つだけだった。それが私だ」
フルオラがそう言うと、工房はしばし無音になった。壁中のライフルがしじまに聴き入っている。リソスはどう反応を返せばいいか分からず、その場でぐるぐる回っていた。フルオラは一度光を瞬かせたのち話す。
「街の住民は気のいい石たちだ。可能な限り早く私が国に馴染めるよう、なるべく多くホタルの話を聞かせてくれた。壮大な英雄譚から、何ということのない思い出話まで。ホタルは愛されているのだと分かった。しかし」
話を切ったフルオラの光が翳った。表現を選んでいるようだった。やがて言葉を発する。
「私は生まれながらに『不完全なホタル』なのだと思った。だから名前は自分で決めた。誰かの代わりにされぬように」
そこにいるだけで身体がひび割れそうなほどの静寂が工房を包んでいる。壁の工具がすべて寒さに震えているように見えた。フルオラはどこか遠くを眺めている。リソスはしばらく黙ったままフルオラの前を行ってみたり、来てみたりしていた。やがて意を決したようにフルオラの手を取ろうとする。しかしフルオラは飛びす去って遠ざかってしまった。
「! ……硬度」
咎めるように一言告げられると、リソスはショックを受けてますます縮こまってしまう。その様子を見かねたように、そして冷え固まった空気をほぐすように、フルオラは小さく笑った。フルオラは石綿をたっぷり張った柔らかな椅子に腰を下ろすと、なにかリズムを整えるかのように二、三度と光を明滅させた。やがてフルオラはリソスに向き直って話し出す。
「リソス、相談がある」
リソスはその大真面目な声に気圧されて、ほんの少し光を強めた。フルオラは懐から何かを取り出し、リソスの方に向ける。
「今回の件で褒賞を取らせると言われて、貰ってきたのだ。……白紙のラベルだ」
見れば、小さな紙片のうえに「フローライト」とだけ書いてある。名前は空欄だ。
「あとはリソスと名前さえ書きこめば、お前は晴れて正式に蛍石の国の住民となる。本来は長い審査を経ないと手に入らない、貴重な市民権だ。……どうだ、ここで暮らさないか」
沈黙が工房を包む。リソスもフルオラも、ただの石ころのように身じろぎ一つしなかった。リソスはじっとラベルを見つめている。あのアーケードの下で、行き交う蛍石のなかに自分の浅葱色が沈み込んでいくのを想像した。陽の光を受けて砕片がきらめく。それは、自分にぶつかって砕けた数多の蛍石の欠片だった。きっとその足元には、あの桃色の肉壁が広がっている。自らを偽れば、必ず報いがあるのだ。そして、昨夜見た金色の光線。あれと同じ自分だけの存在証明が欲しかった。やがてリソスは首を横に振り、ついとラベルを突き返した。フルオラがはっと光る。
「! ……………………そうか」
フルオラはしばし空のラベルを見つめていた。ガラスの天井の上で、銀色の雲が通りかかり、また退いていく。まもなく中天を迎えるころだ。降り注ぐ透明な光のなかでフルオラはラベルを手に取ると、八つ裂きに千切ってしまった。細片となった紙が、白い光を受けて舞う。
「そうだな、リソス。お前の言うとおりだ」
言ってから、制帽を机に置いて鉄製の兵士は寂しげに笑った。
「偽物の名前など、まっぴらだよな」
***
製鉄所のフレアスタックに灯がともる。地平の金色はやがて天上へ近づくにつれ威力を失い、夜の支配する濃紺へと溶け込んでいく。同じ色をした蛍石もあの国にいた。きっとすべての蛍石たちは空の色に結びついているのだと思う。夜明けの石もいれば星夜の石もいる。そう思うと、鉄と望遠のみやこの住民が改めて羨ましくなった。結晶を撫でる冷たい風を受けて、あの国で調達したマッチを擦る。乾いた音を立てて灯がともると、隣で大きく飛びのく影があった。
「……やはり危険だ。合理的じゃない。レンズの方が安全だ」
フルオラは火元からなるべく離れて、しかし明かりの届く範囲に腰を下ろすと、スナイパーライフルを取り出してレンズの手入れをし始めた。リソスはその様子を見ている。その光は不安さを表すように空気中に拡散していた。
「……なに? 本当に私まで国を出てよかったのか、だと?」
顔を上げたフルオラは軽く笑って応じた。
「心配ない。あの国には私以外にも優秀な狙撃手がごろごろいる。辺境の警備隊員ひとり失ったところで痛手にはならないだろう。それに」
最後の一言を、フルオラは自分に聞かせるように呟いた。
「褒賞を貰ったのは『ホタル』だ。私ではない」
夜風が独り言をさらって空へ運んでいく。もう一番星が輝くころだった。旧天文台の望遠鏡からも、かつてはあの星が見えただろうかとリソスはぼんやり考えた。
「リソス。それで次はどこに行くつもりなのだ」
だしぬけに問われてリソスは空中でつんのめった。間の抜けた明かりがぱちりと灯る。しばしの沈黙。やがて耐えかねたようにフルオラが指摘した。
「……お前、まさか何も計画せずに国を出てきたのではないだろうな」
リソスの光がもやつくのを見て、フルオラは顔に手を当てた。
「こういうときはまず標的を見極めることが肝心だ。リソス、お前の目的はラベルを見つけること……つまり、お前自身の『鑑別』だろう。蛍石の国では加熱実験をおこなった。つまり、よその国ではよそで調べられることをターゲットにすればいい。たとえば」
フルオラは少し考えてから続けた。
「導電性だ。電気を通すかどうか。このあたりで電気実験ができそうな場所といえば」
フルオラは立ち上がって彼方を見やった。リソスもそれに倣う。
「電気石の国。トルマリンたちが暮らす場所だ」
ふたりが見据える次の目的地。遥か荒野の向こうには、夜の闇よりも暗い雲が立ち込めていた。
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