付き合いたいと秋波を送って来る相手に対して、僕のどこが好きになった、と聞くのは、譲介にとってはほとんど通過儀礼のようなものだった。
その質問に対して、相手からは大抵「顔が好みだから。」という返事が返って来る。


「身体にしか興味ない、って言うと怒るくせに、どうしてか、自分がそれを言うのは大丈夫だと思ってるんですよ。」
身も蓋もない話だが、譲介が付き合う女は、皆一様に胸が大きい。
その理由のおおもとの人を目の前にして、わざとらしくため息を吐きながら、譲介は、真新しいレードルで白菜と春菊と豆腐、つみれのある辺りを掬い、鍋用の黒い小鉢に取り分ける。
「そりゃそうだろ。」と無言で熱燗を啜っていたTETSUが呆れた顔をした。
ふたりの間には、ほとんど三人前か四人前かという大きさの土鍋があって、つみれ鍋が暖かな湯気を立てている。
卓に置かれた小鉢は四つ。
譲介の手にある小鉢を覗けば、何も入っていない白い鉢がひとつと、ゴマダレが入ったのが白黒の一組。
白が譲介で、黒がTETSUのものだ。
「女の身体を知ったところで、相手のことを知ろうとしねえなら長続きはしねえぞ、」としたり顔をする人に、「僕だって毎回次は大丈夫かもって思うこともあります。」と譲介は苦笑した。
顔だけが取り柄なんて、どうせ三日で飽きるでしょう、と言いながら、鶏団子をふたつみっつとTETSUのために手元の小鉢に移して、白菜をもう少し、と菜箸で乗せる。
こんなものかな、と目の前の人を見ると、小さな徳利に酒を移していたTETSUは、顔を上げ、興味深そうな顔でこちらを見ていた。
その様子を目にした譲介は、今のつぶやきの言い方自体が直截なぼやきになっていたことに気付いた。
「まぁ、昔っから同じことを言われてりゃ、根深い苦手にはなるもんだが……。」
おめぇにもそういうのがあるんだなァ、としみじみとした声で言われた。
「TETSUさんは僕の顔を好きだから、そこで帳尻が合ってると思うことにしてます。」
明るい声で混ぜっ返しながら小鉢を手渡すと、年上の人は、しれっとした顔をしてやがると言わんばかりの顔で譲介を見て苦笑した。
否定はしないんだよな、と譲介は思う。
それでも、不思議と嫌な気持ちにはならない。「人間、第一印象ってもんがあるからなァ。」と続くTETSUの言葉には重みがあって、妙に実感が籠っている。
オレは多少安心した、とTETSUは笑いながら、身体を起こして手を伸ばし、譲介の頭をわしゃわしゃと撫でた。
「天下の女たらしの和久井譲介にも、悩みどころってのがあるって分かったらなあ。」
「天下の、って……そこまで言うなら、敢えて言わせてもらいますけど、」とそこまで言って譲介がTETSUを見ると、TETSUは何だ、と眉を上げた。
「二十歳も過ぎて大分経ってますし、そろそろ、TETSUさんも僕のことを子ども扱いをするのも止め時じゃないかと。」と、その言葉を最後まで言うか言わないかのところで、TETSUの鼻から抜ける息が聞こえて来た。
「女のそういうところが面倒と思ってるうちはガキでいいだろ。……違うか?」と人たらしの男は笑っている。
譲介は、自分の手元にある二本目の徳利をもって、TETSUの杯にとくとくと酒を注いだ。
この人が好きだ、と譲介は思う。
誰よりも好きな人だから、譲介から軽々しく触れることはしないと決めている。
これも、きっとこの人が言う、譲介の「根深い苦手」のうちなんだろう。
小さな頃、正月に顔を合わせたいとこたちの中で一番の年少だった譲介は、大人が見ていないようなところで、年が上の子ども達から小突かれたり、頬を撫でられたり、勝手気ままに触られたことがあった。
譲介は、好きでもなんでもない相手に触るのはいいけれど、大事だと思った相手には触れられない。それが相手によっては理不尽な暴力になることを知っているからだ。
とはいえ、TETSUから小突かれたりするのは、どうしてか全然気にならない。同じように、TETSUもまた、酔ったふりをした譲介が勝手にキスしようが、抱き着こうが、気にしないだろう。そういう人だった。
懐が深いのではなくて、そうした接触に慣れているのだ。
相手が譲介なら、尚更許してくれるだろう。
そんな風に酒の上での事故のようなものにされるのはごめんだけれど、時々、自分で作ったばかばかしい決まりを破ってみたくなることはある。
酔いが回って赤みが差して来たTETSUの頬を見ていると、なんだか妙においしそうで、そういう気分になってしまうのだ。
不埒な気分からどうにか心の目を逸らせようと、譲介は、自分の分の小鉢に、TETSUの分を取り分けた後の豆腐と鶏団子、春菊と白菜の順によそっていく。
ほとんど手つかずで並んでいる小さな糸こんにゃくのかたまりは、後になって取り分が少ないと子どものように主張する人がいるので、残しておくことにする。
「鶏団子だけじゃ足りねえかもなあ。」
「今日は野菜多めって言ったのTETSUさんだと思いますけど。僕が春菊を探して来たんですから、もりもり食べてください。」
譲介が買い物を終えてこの部屋に戻ってくるまでにも、葱や野菜を切りながら手酌を始めていたTETSUは、早々と沈没しそうな気配だ。
ご飯を食べ終わったらふたりで片付けて、週末から始まるTETSUの舞台の脚本の読み合わせに付き合う予定だったけど、今日は難しいかもしれない。
寝顔を見たいという下心がないではなかったけれど、そういう意図がなくとも、TETSUの家に日本酒しかないような夜には、どうしてもこんな風になってしまう。
「TETSUさんって、昔っから酒が弱かったんですか? 旅行先でKEIさんと飲み比べして負けたから、路上でパントマイムする羽目になったって聞きましたけど。」と言うと、TETSUは眉を寄せた。
正確には、パントマイムをした上で、そのお金を日本に戻る時の手土産を買うお金にするという話だったらしい。途中からどんどん寒くなって来たのに、いつものように意地を張って歯をカチカチ鳴らしながら演技を続けようとするから本当に困った、という話までは、その時の同行者であるKEIさんから聞いている。
譲介が、この人といつか、どこか遠くに旅行に行きたいと譲介が思ったのはその頃の話だ。
もう二年にもなるだろうか。
「何情報だよ、その話の出所は。」
「どこって、村井さんとか。」
本人に聞かれたらそういうことにしておいてね、と麗しの女神からはちゃんと釘を差されている。付き合いの長さから、TETSUさんが村井さんには逆らえないことは譲介も熟知しているので、なるほどと思った記憶がある。
「村井さんも余計なことを。おめえ、ちゃんとその日のオレが二百ポンド稼いだとこまで聞いたか?」とTETSUは思った通り苦笑した。
譲介が、聞いてません、と言うべきか言わざるべきかと迷って口を開くと、TETSUは「まあいいか、食うぞ。」と言って、手を合わせた。
この話はここで終わりという合図のようなものだ。
いただきます、というので、譲介もTETSUを真似る。
譲介と食事を取るとき、TETSUはこのところ、いただきます、という言葉を使うことが多くなった。
外で飲む時は、目の前の料理に気を取られていたのか、あるいは、外的なイメージのようなものを意識して意図的に使わずにいたのかのどちらかかもしれなかった。本人に尋ねたことはないので、譲介はその肚の内を推察するしかない。
鍋をつつきながら、互いに、最近見たドラマの話や、関わった仕事の話しをしているうちに夜が更けていく。
TETSUが言ったように、泊まり賃の代わりに買って来た鶏団子はあっという間になくなって、後にはただ野菜ときのこの類が残るのみだ。
「白菜は四分の一でも多いな。」
春菊と白菜、エノキが並んだタッパーを眺めて、TETSUがうんざりしたような顔をしている。
「次は常夜鍋にでもするか。」
「TETSUさん、それ、去年も言ってませんでしたっけ。」
「まだ今年だろ。おめえは二月も三月も入り浸りだったじゃねえか。」
家主に呆れた声で言われて、そうでしたっけ、と空っとぼけるのも飽きて来た。
TETSUにそれと指摘されるまでもなく、今年どころか、去年のクリスマスから春になる辺りまで、譲介はずっと、手軽な恋人の作らずにTETSUの家に居着いて、この人と鍋を食べていた。
バレンタインも間近になれば、自分用の顔をして買って来たチョコレートも、一緒に食べた。
一也の入れ知恵が功を奏して、TETSUの好きそうな、カカオの味が強く、さして甘くもない、しかも、ご丁寧に「ご自宅用」とパッケージに書かれて半額になったタブレットを、バレンタインデー目前の百貨店の催事場までわざわざ足を運んで買って来たのだ。
事前の目論見通り、高そうだな、少し分けろと言って手を伸ばして来た年上の人と、いつもの蜜柑や焼き芋を食べるのと同じだというような顔をして、ひとかけらずつに割りながら、ゆっくりと食べた。あの瞬間が、一番幸せだと思うくらいには心の中が浮き立っていた。
そのことを本人には言わずに、チョコレートを取られたことに対しての膨れ面を取り繕わなければならないというのは、流石に馬鹿みたいだと思うけれど、きっと来年も、同じことをしているのだろう。
おい、譲介、とTETSUに名を呼ばれる。
「冷やご飯とうどんのどっちにしてぇんだ?」
選ばせてやるよ、とTETSUに言われて「今夜は雑炊がいいです。」と譲介は答える。
溶き卵を入れて、暖かい雑炊を啜って、満腹になってこの家で眠るのだ。
今年の冬もお世話になります、と譲介が言うと、気が早ぇよ、と言ってTETSUは笑った。

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