パジャマ パーティー



徹郎さん今日いくら持ってますか、と譲介に問われた。
いつものスーパーでそんなことを言われるのは初めてではないだろうか。
譲介が押すカートの中を覗き込んでも、値の張るものは入っていない。
カレーの付け合わせにするのに買った骨付き肉は確かにそれなりの値段ではあるが、それを戻したくらいでどうにかなるようなら一旦家に戻った方が早いと言うだろう。
「空っケツか?」と言うと、なんだかその言い方下品ですねといわんばかりのしかめっ面をした譲介が「空っケツです。」と返す。
こっちに他意はないが『そういう風』に聞こえるんだろう。
「カード払いにしとけばいいじゃねえか。」
日本じゃどっちでもいいが、こっちじゃ現ナマで払う方が変人扱いだ。
「……うーん……職場でも良くそう言われますけど、番号をどこかで人に知られたらと思うと、やはり不安で。」と譲介は言葉を濁す。
「まあ慎重なのは悪いことじゃねえけどよ。なんで今日に限って持ってねえんだよ。」
レジは目の前だ。
徹郎は最後のひとつ、と棚からドリトスのナチョ・チーズ味を引っ張り出し、譲介の押すカートの籠の中、艶のあるオレンジとタンジェリンの隣に押し込んだ。すると。
「独身女子のパジャマパーティーに誘われたので。」
「はァ?」と反射で目を剥くと「うちのナースステーション、思ってたより暇人が多くて。」と譲介は肩を竦めて笑った。
目の前にいるのが自分の男か、朝倉省吾かと見紛う忌々しいその仕草に眉が寄る。
「僕には愛するパートナーとの大事な約束があるのでと言って丁重に断って、カンパのつもりで財布の中からあるだけのユリシーズ号とアンドリュー氏を放出したんです。」
「そン中に、なけなしのベンジャミンが入ってた?」と徹郎が言葉尻を掴むと、「……まあそんなとこです。慌てて逃げて来ましたから、気づかれたかどうかは分かりませんが。」と言って譲介は頷いた。
尻ポケットから財布を出しながら「どうしてまたそんな話になったんだよ。」と尋ねると、譲介は曖昧な笑みを浮かべ、ちょっとここでは言い辛いですが、と言葉を濁す。
「日本語で話してんだ。まずわかりゃしねえだろ。」
「そんなこともないですよ。僕がいた学生寮の中には、日本アニメのオタクは大勢、ってほどでもないですけど、まあしゃべれないけど聞き取りならそこそこってやつもそれなりにいました。」
「なるほどなァ。」と相槌は打ったものの、スーパーで公言出来ないような内容でもねえだろう、と思う。
「で、ドクタージョーは、いつもの美女軍団にどんな誘い文句で釣られ損なったんだよ。」
「誘い文句っていいますか。」と言って譲介は頭を掻く。
その後の沈黙は、昨日テレビで見たマンハッタンのクイーンズボロー・ブリッジを歩いて渡るよりも長く感じられた。徹郎は、無言で譲介の胸に曲げた肘を押し付け、年下の男に続きをせがむ。
譲介は言い難そうに重い口を開き「……僕はどうやら、周りにはあなたに抱かれてる方だと思われてるみたいで。」と小声で耳打ちしてきた。
「それで、あなたとの『お熱いひととき』の詳細を聞きたいと。」
「っ、……おめぇ、それ。」
感情が逆巻く。
譲介のいるナースステーションの活発で勤勉な雀共に掛かれば、明日には噂が千里を駆け巡ることは明白だ。
その場で違うと言っちまったのか、とは流石に聞くに聞けない。
背中からダラダラと冷や汗が流れるような気分で相手を見ると、譲介はこちらを見返してぱちぱちと瞬きした。
「さっき、彼女たちから逃げて来たって言ったじゃないですか。いくら同僚でも、プライベートの詮索に答える義務はないです。」
毛ほどの動揺も見せないその返事に、ホッと胸を撫でおろす。
いや、これはまあ安心したってわけでもねえ、と心の中で言い訳をする。
顔には出してねえつもりではいるが、それでもこちらの様子のおかしさに気付いたのか、それから、と譲介が付け加える。
「あなたが今想像してるようなことですけど……正直、そういった失言で、徹郎さんが僕に抱かれてる姿をフロアの知らないヤツらにまで想像されるくらいなら、いっそ舌を噛み切ります。それくらいなら、僕が抱かれてると思われてる方がずっとマシですから、絶対に訂正なんかしません。だから、あなたもああいう顔を見せるのは僕だけにしてください。」
ね、と譲介は微笑み、背伸びをして徹郎の口の端に口づけた。
「……。」
ね、じゃねえだろうが、クソ!
「徹郎さん?」
「譲介ェ!」と声を上げると、天使のように無邪気な顔で「ちょっと言うタイミングは早かったかもしれませんが、怒らないで。」と笑っている。
「今夜はそのドリトス、ベッドに行く前に一緒に食べましょう。」
心配して損をしたような気分で徹郎がその笑顔から顔を背けると、男はこちらの手にある財布をそっと取り上げ、これだけ借ります、と言って百ドル札を取り出した。
そうして、そのまま中身の入った財布をこちらへ返してきた。
後で家計から出しますね、と言ってカートを前に進めるつむじを見つめる。
ドリトスなんか食ってる場合かよ、と思ったが、口には出せずにいると、「今夜はパジャマなしパーティーですね。」という面白くもない冗談が聞こえて来た。
徹郎は、ちょっと黙ってろ、とは声に出さず、背中に膝蹴りを入れた。
「ちょっ、徹郎さんっ。」
譲介は、小さく抗議の声を上げた。
それから、こちらに聞こえるほどのため息が聴こえてきた。
「並んで歩きませんか。」
メイアイ、と。強情な男はいつもの優男の顔で許可を取るような顔をして手を伸ばし、強引に腕を組んで来た。
片手にカートで歩き難かろうが、お構いなしだ。
「とっとと帰るぞ。」とそっぽを向くと、そうしましょう、と譲介は鼻歌を歌い出す。
聞いたこともない流行りのポップスを好む三十年下の男が、そうやって浮かれ調子の軽やかな足取りで歩き出すのならば、こちらも歩幅を揃えて歩くしかない。
籠詰めの時には腕を外せ、と低声で釘を差すと、譲介は「このままあなたをベッドに連れて行きたいくらいなのに。」と歌うように言って、徹郎の横で小さく笑った。

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