はじまり
薄暗いライトが妖々と光る広間の中。ひとりの男が手を後ろに縛られ、膝をつく羽目になっていた。
男の正面にあるは、巨大な玉座。そこに座っている紫の女性──"女王"が、彼を丸い目で見下ろしている。
「陛下!」
男の左右それぞれから、高低の違う二つの声が同時に上がった。
「彼は見ての通りボロボロだったんです!
きっと何か事情が──判決を下すよりも前に、彼の話を聞くべきです!」
先陣を切ったのは、まだ若々しく高い方の声であった。声の持ち主──淡い紫と緑で彩られた身体の男は、懇願するように主張した。その口元、左右の口角は真逆の方を向き、半身は棘の目立つ見た目をしていた。
「いいえ陛下。先程も説明した通り、この男は我々に──特にビターギグルに危害を加えようとしました。何も手荒な真似をしろと言うつもりはありませんが、しかし充分な"警戒"はすべきでしょう」
それに続き、今度は地獄の恐怖を連想させるが如く重苦しい低い声が正反対の意見を述べた。紫色のネクタイと手袋をつけており、頭部には顔のないかわりに丸くおぞましい口が前を向いている、忌々しい姿だった。
「ですから、それはきっと彼にも事情があったからで──!」
「いい加減にしろ、ビターギグル。この地下にどれほど凶暴な者達が眠っているか──お前もよく知っているだろう」
「でも、ダダドゥ卿! わたしにはこの男がそんな奴だとは思えません!」
違う彩度の紫を身体に取り入れている二人は、次第に互いへ直接反論をぶつけるようになっていった。もはや女王を通す間もなく、ただけたたましい論争が繰り広げられる。
「──鎮まりなさい、ふたり共」
それを切るように、上から厳格な女性の声が響いた。その命令を聞いた途端に、二つの声ははっと息を潜めた。
男はそんな三人の様子、その中でも中心にいる女王に目を向け、
「……バウンセリア女王」
と、唸るように呟いた。
「覚えてくれているとは、光栄ですね」
男が発する訝しげな睨みなぞものともせず、女王はお手本のような綺麗さで微笑んだ。
まさかこんな所で再開する羽目になるとはな、というやさぐれの悪態が出そうになるのを堪え、今は無言で相手の様子を探る。男と女王には面識があったのだ。それは男がまだこんな地下に落とされる前、女王もまだ上の階にいた時の話だ。
その時の彼女は、男にとっては"守るべき仲間のうちの一人"という認識であった。
「また会えて光栄です──
──トードスター保安官」
女王のその言葉に、左右からの視線がより一層強くなるのを感じた。
「陛下、まさかこの男とお知り合いで……?」
「わたくしが上にいた頃──同じ"ファミリー"として過ごしていた時期があったの」
彼女が地下送りにされた、と聞いた時のことを、トードスターは今でも覚えている。「あんなにもお淑やかで美しい方が?」と、彼女の意外性が強く印象つけられていたのだ。それは勿論、犯罪者は見かけによらないが──しかし人間側の主張を易々と信じられるのか──と悩んでいるうちに、後々トードスターも続いて地下へ落とされることになってしまった。
そして、それが今に繋がる。
トードスターは女王の笑みを前に、身構えた。悔しいが、禍々しい男の言っていた主張は大体あっていた。人間共に裏切られ、捨てられ、何もかもが憎悪で満たされて──トードスターにはまともな判断をとれる余裕がなかったのだ。近付いてきたものが全て敵に見えた。信じられるのは、正義に満ち溢れた自分自身ただひとりだと、そう思い込むようになってしまっていた。だからこそ、あのフロアで紫と緑を持つ男が──"ビターギグル"という名前の彼が近付いて来た時に、トードスターは咄嗟に抵抗の構えをとってしまった。すぐ近くからあの悍ましい造形の男が駆け寄り、二人がかり(主に腕っ節が活躍していたのは悍ましい方の男だった)で捕らえられてしまったのだ。彼らの話を聞くに、あのエリアとここは女王の統治する王国らしい。
不法な入国──暴行未遂──自分の行いが罪に問われるようなものであったことは、かつて保安官だったトードスターが一番よく知っていた。だからこそ、尚のことそれが彼の心を軋ませるのだ。
女王は立ち上がった。トードスターは何を下されるか、と身を固めた。
彼女が放った言葉は、ただひとつ。
「彼の縄を解いてあげなさい、ダダドゥ」
トードスターは呆気にとられた。ダダドゥ、と呼ばれたその男は「陛下、それは──!」と抗議しようとしたものの
「聞こえなかったのですか?
縄を、
解いて、
あげなさい」
そう力強く強調されれば、渋々従うに他なかった。
「ビターギグルは外科医に連絡を」
女王は続けて命令をした。
どうして、と保安官が当惑の様子を見せているのも構わず、女王は歩みを進めた。
「私は良き国を作りたいと思っているの」
そしてトードスターのすぐ目の前で止まり、顔を近付けるために頭を下げてみせた。
「その為には、平和を守ってくれる者が必要でしょう?」
片方の手が──何よりも強く輝かしい高潔さを含んでいる紫色の手が、トードスターの前へ差し出される。
「私の国を守ってくださらない?
"保安官"さん」
女王から彼に下された決断は、それはそれは温かなものであった。トードスターは未だ驚きで目を丸くし──その女王の与える慈悲の美しさに、ただ圧倒させられていた。
──これが、トードスター保安官の二度目のはじまりであった。
powered by 小説執筆ツール「arei」
89 回読まれています