まつりのあとに
今日、という一日が終わりに向かっていく。
H.A.N.D.本部の屋上から人々の営みの灯りで薄ら発光する地平線を眺めながら、一日を振り返る。始まりは思いがけないサプライズで肝を冷やしたけれど、蒼角、雅、悠真から誕生日祝いの言葉に手紙、眼鏡、腕時計とそれぞれプレゼントをもらった。終業後にはどこから聞きつけたのか――恐らく雅か悠真だろう――店長さんたちからお勧めのB級サメ映画のビデオをいただき、レコードショップのエイファさんのお遣いも兼ねていると差し出されたのは彼女お勧めのラップが収録されたレコードだった。
そうして特別にと用意してもらったケーキを食べ、歓談の後に今は解散となったところで。一足先に帰宅した蒼角のためにも、早く帰宅して夕食の準備をしなければならない。ならないのだが、ひとりになりたい時の癖で屋上に来ている。数日前からぐっと気温が下がった夜風が頬を撫でる。ひんやりと冷たい落下防止の柵に腕組みした肘を乗せ、更に伏せるように頭を乗せる。体勢だけが理由ではなく、胸がつかえるような重苦しさが増す。頭が冷えれば冷静になるかと思いきや、その目論見は虚しくも外れてしまった。
「今日の主役がこんなところで黄昏れてどうしたんです?」
驚きはしない。背後から声をかけてきた悠真は、敢えて足音を立て近付いていることを知らせていた。私がそれを分かっていて拒否を示さずパーソナルスペースへ踏み込むことを許したのも、恐らく彼は正確に理解している。
「そうですね……感慨に耽っていたと言いますか、感傷に浸っていたと言いますか……」
悠真の方へ振り向きながら歯切れ悪く返答すると、彼は訳知り顔で隣に並んだ。同じポーズで顔をこちらに向け、不思議な光を湛えた瞳で私の誤魔化しを見破ろうと至近距離で見つめられる。そうして瞬きを数回する間に、「あーなるほど」と悠真は体を起こして大きく伸びをした。
「そうですねぇ」
しかしそれも束の間、また同じポーズで同じ視線の高さに戻ってくる。
「賑やかに過ごした後って、一段と淋しくなるじゃないですか」
問いかけではなく、同意を誘う言葉。経験があるのだろう。そして私も今、それを感じていたことを彼はきっと察している。私が誤魔化し、彼が見透かしたもの。冷たい夜風に吹かれ、余計に増幅してしまったもの。
「特に、こんな涼しくて月も出ていない夜は」
悠真の言葉に少しだけ視線が上向く。確かに、地平線の灯りでぼやけた夜空が広がっている。
「もう沈んじゃいましたけど、今日から明日にかけては新月らしいんで出てても見えませんし」
でもね、と悠真が続ける。
「見えなくても月が地球の傍には変わらず在るように、月城さんの傍にも頼れる人がたくさんいるんですよ」
僕みたいにね、と悠真が笑ってみせる。
やさしい人。愛しいと思う人。
「そうですね。あなたが来てくれたので、心穏やかに今日を終えられそうです」
「そうじゃなかったら僕、自信なくしちゃいますよ」
普段を思わせる軽口に、穏やかに笑みを返す。胸のつかえは軽くなっていて、姿勢を正せば息をするのも楽になった。それを見届けて自身の役割は終えたとばかりに、今度こそ悠真は柵から離れて踵を返す。薄ぼんやりとした闇夜の中でも白いワイシャツの後ろ姿を見失うことはないけれど、離れて行ってしまうことが惜しくなる。だから、暗にオフィスへ戻ろうと促すその背中に向かって、じわりじわりと心に滲んで滴った想いを投げる。
「私を愛してくれる人が、あなたでよかったです」
平穏の価値を知るあなたで良かった。孤独を理解してくれるあなたで良かった。愛することを諦めていないあなたで良かった。
「僕もですよ」
そうすればあなたは振り返り、受け止め、また返してくれるから。今度は私から近付き、歩みを止めて待つ悠真に追いつく。一回り大きな手にそっと自分の手を伸ばして握れば、「急に大胆になりすぎじゃないです?」と逸らされた顔の向こうから少しだけ動揺を滲ませた声が聞こえた。
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