娑婆DABAランデヴー(スパイパロ)

 男曰く「一生のお願い」「借りは返す」とか何とか、他にももごもご言っていたか。状況説明は何ひとつなかったものの必死さだけはやたらと伝わってきた。今度の潜入先の偵察から直帰するタイミングで、単独任務に出ているはずの燐音からSOSを受け取ってしまったせいで、HiMERUは車をUターンさせる羽目になった。GPSの信号を頼りに車を走らせれば景色は市街地から田舎道へと移り変わっていく。ぽつぽつと建っていた民家も次第に見当たらなくなる。街灯もない林道を抜けた先、更地に現れたのは赤と白で彩られ電飾で飾られたいやにおめでたいテントだった。
「ふむ……、きな臭いにおいがプンプンしますね」
 ここには厚顔無恥な佇まいを晒すテント以外に何もない――信号は間違いなくこの中から発信されている。
 燐音は同僚で恋人のHiMERUにも任務の内容を話してはいない。エージェントの守秘義務というやつだ。とは言え今回は火急の事態らしいし、これだけあからさまに怪しい建物を目の前にしてしまえば、素通りするわけにもいかないし。
「……ふう」
 呼吸を整えたHiMERUはテントの中へざくざくと踏み込んでいった。

「おっメルメルお疲れさん、早かったなァ♪」
「――何ですかその体たらくは」
「いやァお恥ずかしい」
 足を踏み入れた場所は悪趣味な人身売買ショウを繰り広げる所謂『闇オークション』の会場だった。状況から推察するに、このオークションの主催か客の中に此度のターゲットが紛れているのだろう。そして単身潜入した燐音が調査中に何らかのトラブルに見舞われ、今は縄で縛られバックヤードに転がされていると、そういうわけだ。商品として会場に陳列されていなかったのが不幸中の幸いである。
「ヒュウ、お見事、当たり」
「はあ……あなたがこの手の任務で下手を打つとは珍しい」
「いくら燐音くんが天才でもしくじることくらいあるっつうの。ぐすん」
 泣き真似が鬱陶しい。一応は助けに来たのにその気が失せそうだ。渋面を作りつつも縄を切ろうとHiMERUがしゃがみ込んだその時、背後の扉がガチャリと開いた。
「⁉ お前何してる!」
「おっと」
 ぞろぞろと部屋に入ってきたのはスタッフらしき男が三人。オークションはお開きになったようだ。
「あちゃ~タイムオーバーか」
 俺っちも売りに出されちまうかねェ、と燐音が呑気にぼやく。その表情は何故だかこのシチュエーションを楽しんでいるようにも見えて、HiMERUは疑問符を浮かべた。
「あなた、何か――」
「後ろ、来てンぜ」
「ちっ……」
 真っ直ぐに振るわれた拳を屈んで躱し、すかさず鳩尾に膝蹴りを一発。次の相手を回し蹴りで沈め、最後のひとりは脚で頭を挟み込み床に引き倒して気絶させてしまう。あっという間に勝利を収めたHiMERUを燐音が口笛を吹いて称える。
「カッコイ~。おめェの足技は何度見ても気持ちいいねェ」
「茶化すんじゃありませんよ、まったく」
 スーツについた埃を払いながら彼の顔を見やる、やはり不自然に機嫌が良い、気がする。この感じ――まさかとは思うけれど。
「――あなた、わざと捕まりました?」
「ん? ばれた?」
 やはりか。HiMERUはこれ見よがしに顔を顰めた。
「しゃあしゃあと……あの程度の奴らに捕まるはずがないと思ったのですよ、他でもないあなたが」
「買い被りすぎっしょ。けどま、やろうと思えば自力で縄抜けも出来たし? よしんば売り飛ばされちまっても買い手を殺して逃げりゃ良いだけの話だし、おめェの言う通りだけどよ」
「俺を巻き込んでまで面倒事を起こさないでほしいのですが?」
 じと、と睨んでやればそいつはにやと口角を吊り上げた。味方が悪代官みたいな顔をするな。
「それが目的だって言ったら?」
「……は?」
「調査は早々に終わっちまったから、ちっとスリルを楽しんでやろうかと思って。おめェが助けに来ることに賭けてみたンだよなァ~。なんならポケットマネーで俺っちを買い取ってくれても良かったンだぜ、三億だ~なんつって。ぎゃはっ」
 悪びれもせずそんなことを宣う恋人に、HiMERUはいよいよドン引きしていた。
「あんたのそのギャンブル癖どうにかなりませんかね。そこの柱に頭ぶつけたら治りませんか?」
「せっかく助かったのにンなことしたら死んじまうっしょ」
「……」
 男はケラケラと軽やかに笑う。こちらが本当に心配をして、血相を変えて車を飛ばしてきただなんて想像すらしていないのだろう。そんなことは知られたくもないから、HiMERUは一ミリたりともポーカーフェイスを崩すつもりはないし、本心を教えてやるつもりも毛頭ないけれど。これで味を占めて似たようなことを繰り返されたら迷惑だ。
「痛てて、メルメル怒ってる? 急に呼び出して悪かったって」
 そこじゃないし。燐音を助手席にぐいぐい押し込みながら、憤りも露わにテントを睨め付ける。畜生、やってやる。あんたが悪いんだからな。
「ちょっ、ヒエ⁉ メルメル何してンの」
「――放火ですが」
「景気よく燃えてンねェ! じゃなくて! 早く車出せって、危ねェ!」
 HiMERUが放った火は見る見るうちにテントを包み込み、更地の上にのっぺりと広がる黒い空を煌々と照らした。さながら巨大なキャンプファイヤーだ。
「メルメルってば過激ねェ……おに~さんビックリしちゃった」
「今日は早くに帰宅できるはずだったのに邪魔をするからです。これに懲りたら俺を試すような真似は二度としないこと」
 運転席に乗り込み、隣を見もせずに機械的な声音で告げる。勿論方便だ。反省するがいい。
「あ〜……わァったよもうしねェから。ごめん」
「……、良いでしょう。ああそうだ――もうひとつ」
 言いながら助手席へ手を伸ばす。ぐい、男のネクタイを掴み強く引き寄せると不意を突かれた上体がこちらへ倒れて、一気に近付いた唇に噛み付くようなキスを。否、実際に噛み付いてやった。
「いッて! お~い血ィ出ましたけど⁉」
 唇の薄皮が一部裂けそこから滲んだ赤はHiMERUの唇をも汚した。そこを親指で荒々しく拭い、ぺろりと舐め取る。美味くはない。当たり前か。
「ふん、罰なのですよ」
「どれの! も~心当たりがありすぎンだよね俺っち!」
「黙っててください、舌噛みますよ」
 ――心配した、怖かった、誰ともわからない奴にふん縛られたまま良いようにされている恋人に怒りが湧いた。HiMERUの腹の中ではそんな薄暗い感情が煮えていた。
 今夜はこのままこの男を隠れ家に連れ帰ってしまおう。それからでろでろに蕩けるくらい甘やかしてもらおう、こちらが満足するまでずっとだ。そうでないと割に合わない。
 HiMERUは苛立ちを発散するように舌を打ってから、アクセルを思い切り踏み込んだ。そんな横顔をニタニタと眺め燐音がぽつりと呟く。
「……くく、愉しい賭けだったぜェ」
 小さな声はHiMERUの耳には届かぬまま、細く開いた窓から吹き込む風の音に攫われて夜に溶けた。





(ワンライお題『ギャンブル/一生のお願い/ポケット』)

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