「愛する人よ泣いてくれ」初稿

 午後五時を少し過ぎた頃合いだった。一通りの仕込みを終えたジブリオンが、いつものように忘れられた騎士亭のカウンターでゴブレットを磨いていると、雲霧街側の入り口からこちらへ上がってくる足音が聞こえた。
「客か? それにしちゃ早いな」
 旅籠の受付をしているバンポンセとそんな言葉を交わしていると、階段の手すり越しに知った顔が姿を現す。思わず、ああ、と言って手を挙げていた。
「久しぶりだな」
 階段を上がってきたのは、竜詩戦争終結の立役者にして救国の英雄、今やエオルゼア全土に名を馳せる光の戦士その人だった。
「ああジブリオンさん、お久しぶり」
 およそ英雄らしからぬ身なりでカウンター席に腰掛けると、光の戦士は人懐こい笑みを浮かべる。
「ちょっと早いんだけど、夕食をお願いしても良いかな? それとバンポンセさん、旅籠に半月ほど逗留しても迷惑じゃないだろうか」
 前置きもないまま発せられた言葉に、ジブリオンとバンポンセは顔を見合わせて思わず笑みを浮かべる。この冒険者の忙しなさは相変わらずのようだ。
「クリムゾンスープとカイザーゼンメルならすぐに出せるぞ」
「あ、美味しそう。一日中外で仕事をしてたから冷えてるんだ。――ポポトはつけられる?」
「良いぜ。長逗留するんならホットワインくらいは奢りにしとくよ」
「わあ、ありがとう。じゃあお言葉に甘えて」
 二人がそんなやりとりをしている間、バンポンセは宿帳をめくって空室の確認をしていたが、やがて一つ頷いて顔を上げる。
「途中で一度部屋を代わって頂く必要がありますけど、それで良かったら半月滞在も可能ですよ」
「じゃあお願いします。ここって前払いですよね。はい」
 冒険者はあっさりと頷いてアラグ銀貨を四枚ほど取り出す。半月分をさらりと前払いするやり方にバンポンセは目を丸くしたが、やがて「そういえばこういう人だった」とでも言いたげな表情を浮かべて頷いた。
「それにしても、一日中外で仕事ってのはどういうことだ。その格好と関係があるのか?」
 ジブリオンは奥のキッチンに指示を飛ばすと、カウンターへ戻ってきてそう尋ねた。手はその間も絶え間なく動いて、ホットワインの準備を始めている。冒険者は自分の身なりを改めて眺めると、くすりと笑って頷いた。
「うん。久しぶりにイシュガルドへ来たら、蒼天街復興の求人が出ていたからさ。お役に立てたらと思って顔を出すことにしたんだ」
「それで職人の格好をしていたのか。そういやスカイスチール工房の奴らが、あんたは職人としても腕利きだとかって噂していたな」
 小鍋にスパイスを放り込みながらジブリオンが言うと、冒険者は決まり悪そうに笑った。
「腕利きかどうかはともかく……。お金を貰える程度の能力はあるつもりだよ。今日は飾り窓の枠をいくつか作ったんだ」
「そりゃお疲れさん」
 話している間にワインから湯気が立ち上る。火から下ろすと、熱湯で保温していたゴブレットを空にして、そこへワインを手早く注ぐ。
「ほら、これでも飲んで暖まってくれ。もうじきスープもできるから」
「ありがとう」
 その言葉と同時に、上の入り口から何人かの足音が響いてきた。神殿騎士団の者達だろう、とジブリオンは当たりをつける。何でもギムリト戦線が膠着状態になった結果、神殿騎士の多くが宙ぶらりんな状況に置かれているらしい。戦争は終わった訳ではない、かといっていつ戦うことになるのかも分からない。中途半端な状況のせいで忙しくもないが休暇も取れない騎士達が、日常の小さな気晴らしを求めて頻繁に酒場へ繰り出すようになっているのだ。
 冒険者の注文していたクリムゾンスープとカイザーゼンメル、そして付け合わせのポポトが厨房から出てくる。これを給仕し終えると、すぐに騎士達の注文を取った。そこからは五月雨式に客がやって来て、ジブリオンも個々のテーブルで立ち話をするような余裕はなくなってしまった。
 客の波がひと段落したのは、冒険者がちょうどクリムゾンスープの皿を空けた頃合いだった。皿を下げたところで、上階からまた見知った顔がやってくるのが見える。馴染みの吟遊詩人だった。
「よう、しばらくぶりじゃねえか」
 空いているカウンター席に腰掛ける彼に、ジブリオンはそう言葉をかける。吟遊詩人は頭の上の雪を払うと、問わず語りに近況を語った。いつもはグリダニアとイシュガルドを往復する身の上だが、何でも今回はモードゥナの方へ足を伸ばしていたらしい。
「レヴナンツトールで新曲を仕入れて来たのさ。あそこは冒険者が大勢出入りする分、色んな話題が集まるからさ」
「へえ、新曲か」
 ジブリオンはそう返したところで、自分の言葉が浮き立っているを感じて、内心で苦笑する。国土が一年中雪に閉ざされるようになって、イシュガルドの人々は室内の娯楽に飢えるようになった。屋外でできた気晴らしがことごとくできなくなったためだ。吟遊詩人の歌はその中でも歓迎される娯楽の一つで、今では山都が吟遊詩人にとって最も稼げる都市になっているらしい。
 カウンターに座る男もジブリオンの明るい声を聞き逃さなかった。
「ああ。しかもイシュガルドのことを歌った曲さ。ご当地の物語なのに、こっちじゃまだ全然耳にしない曲だからな。期待していてくれよ」
 彼はそう言うと、にやりと笑って壁に立てかけていた竪琴を手に取る。ぽろろん、と掻き鳴らせば、店内の耳目が一斉に彼へと集まった。
「さて雪の山都にお集まりの皆様、今宵お送りしますは当地において未だ新しき伝説でございます」
 芝居がかった声で詩人はそんな前口上を述べる。客席からは、何だ何だ、と合いの手が入った。
「我らが光の戦士の活躍と竜詩戦争の顛末は、皆様ご存じでございましょう。こたびはその中でも、蛮神を下ろしたる教皇トールダン七世と蒼天騎士の面々を、光の戦士が打ち破りました、その輝かしい戦いの|勲《いさおし》をご紹介に入れましょう」
 拍手が起きた。吟遊詩人は一礼すると、ゆったりとした挙措で竪琴を爪弾き始める。
「友を喪いたる戦士、朋友の仇を討つべしと思い定めつつ、されど決意は胸に秘め、天空の遺跡に蛮神を追い詰めたり。そは夕映え美しき空の下――」
「マスター、あちらから追加の注文です」
 ジブリオンが曲に聴き入っていると、店員の一人がそう声をかけてきた。我に返って注文票を見れば、英雄殿からホットワインの追加注文が入っている。
 ――あいつ、どんな気持ちでこれを聴いているんだろうな。
 自分自身をあのように歌われて、決まりの悪い思いをさせていないと良いが。今更ながらにそのことに思い至って、ジブリオンは申し訳ない気持ちになる。新曲とやらの内容を確認した上で演奏を頼むべきだったかもしれない。そんなことを考えながらスパイス入りのワインを温め、英雄にして職人である冒険者の許へと運んだ。
「すまないな、居心地悪いだろ」
 ジブリオンの方からそう切り出してみたが、当の本人は淡い苦笑を浮かべるだけで軽く手を振った。
「いや、気にしないで。何ていうか――割と慣れてるから」
 その言い方は確かに物慣れたものではあったが、同時に実に気まずそうでもあった。ジブリオンはそのせいでつい笑ってしまう。
「その割に据わりが悪そうじゃないか。――まあ良いさ、ゆっくりしていけよ」
 光の戦士は戸惑ったように眉を下げると、うん、とだけ返して二杯目のワインを口に含む。
「マスター」
 付近のテーブルからそっと手が上がる。それに会釈してジブリオンはカウンターを離れた。彼が忙しく立ち働く間にも吟遊詩人の歌は続いてゆく。
「その時義心のゼフィラン言えり。あの男と同じく汝を神意の槍にて貫くまで! 彼の手にあるは戦神の槍、戦士の友をば殺めたる氷槍なり。――されど戦士の同志達、共に神槍に身を晒し、もって猛攻を凌げり」
「いけ、光の戦士!」
「やっちまえ!」
 どこからか興奮した声が上がった。その声の向こう、カウンター席の辺りで、がたん、と酒杯を取り落としかけたような音が聞こえた気がした。が、ジブリオンが振り返った時には、既に光の戦士はいつも通り、どこか飄々とした佇まいで音楽に耳を傾けていた。

***

 多くの人を見送ってきた、と思う。自らの冒険の道のりを振り返って感じるのは、まずそのことだ。
 第一世界でもそれは変わらなかった。あちらを訪れてすぐにテスリーンを見送った。次いでミンフィリアの魂を。その間に何人もの敵を星海へ送り――そしてオリジナルのアシエンの一人、エメトセルクを滅した。そしてその戦いの中、第一世界を旅する間ずっと傍らにいてくれた、あのアルバートのことも見送った。
 ――みんな、私に思いを手渡して去ってゆく。
 多くの人を見送ってきた胸の内は常に、重い。もう会えぬあの人、この人、関わりを持った愛すべき人達の思いが胸に溢れて、自分の心はいつもずっしりとふたがっている。そんな気がする。
 とはいえ第一世界それ自体も、親愛なるグ・ラハ・ティアも救うことができたのだ。光を詰め込んで壊れかけていた我が身も奇跡的に無事だった。これが喜ぶべきことでなくて何だろう。光の戦士は自らにそう言い聞かせながら、久方ぶりに原初世界に戻ってきた。
 こちらへやって来る直前、アリゼーに「しばらくは戦場へ行っちゃダメだからね」と釘を刺され、アルフィノからも「どうか無理をしないでくれ」と言われ、果ては水晶公からも「貴方は十分過ぎるほど無茶をしているのだ、これ以上重荷を背負い込まないで欲しい」と言われてしまった。
 双子はともかく水晶公には「お前が言うな!」と言い返したい気持ちでいっぱいになったのだが、何はともあれ、そうまで言われてしまうと武器を手に取る訳にもいかない。そんなこんなでイシュガルド復興の話を聞きつけ、こうして蒼天街の飾り窓作りに精を出すことになった訳だ。
 忘れられた騎士亭でその曲を聴いたのは偶然だった。レヴナンツトールで異邦の詩人相手に何度か冒険のあらましを語ったことがあるが、それがここまで大仰な曲になって流布しているとは――と苦笑気味に聴いていたのだ。
 けれど二杯目のホットワインを手に取ったところで、思わぬ言葉が耳に飛び込んできた。
「その時義心のゼフィラン言えり。あの男と同じく汝を神意の槍にて貫くまで! 彼の手にあるは戦神の槍、戦士の友をば殺めたる氷槍なり。――されど戦士の同志達、共に神槍に身を晒し、もって猛攻を凌げり」
 その歌詞に、思わず酒杯を取り落としそうになった。慌ててゴブレットをカウンターに据え直すと、口許や胸の辺りに跳ねた酒を拭き取る。悪目立ちするのが嫌で必死に表情を取り繕ったが、胸の中は驚愕でいっぱいだった。
 ――共に神槍に身を晒し……。
 吟遊詩人の歌う内容は全くの作り話だ。実際に蛮神|円卓の騎士《ナイツ・オブ・ラウンド》と戦った際は、ゼフィランから神意の槍による攻撃など受けていない。あの攻撃を目にしたのは、後にも先にも一度きり。
 ――その一度きりで、オルシュファンは死んだ……。
 音楽は既に耳に入ってこなかった。淡々とホットワインの杯を空けると、そっと立ち上がって客室へ続く扉をくぐる。バンポンセに軽く会釈して、一人で部屋まで行ける旨を伝えた。
 階段をそろそろと降りる。割り当てられた部屋の鍵を開け、湯も使わずにそのまま寝台へ潜り込む。シーツはひんやりと冷たい。
 布団を引きかぶることで生まれた薄闇の中、心の内からとある箱を取り出した。鍵を掛けていた蓋をそうっと開ける。
 眼裏によみがえったのは、燃えるような夕焼けの色だった。白と蒼の甲冑で身を鎧ったゼフィランが、眩い光の槍を放った。ハルオーネの断罪の槍。自分がそれに気付いた時には、既に穂先はすぐ近くまで迫っていた。驚きと恐怖で立ち竦んでしまった自分の目の前に、オルシュファンが割り込んだ。
 ――あの時、私はただ見ているだけだった。
 かけがえのない命が失われる瞬間を、ただぼんやりと眺めるばかりだった。あの時も、その後も、どうすれば良いのか分からなかった。
 けれど叙事詩は語る。「されど戦士の同志達、共に神槍に身を晒し、もって猛攻を凌げり」。仲間達は共に神槍へ身を晒し、その衝撃を分かち合った。そうすることで誰一人欠けることなく戦神の槍の苛烈な攻めを凌いだのである。
「あの時……そうすれば良かったのかも……」
 ただ見ていないで、オルシュファンと共にあの攻撃を受ければ良かった。あの時彼が身に浴びた衝撃や痛み。その半分を引き受ければ、今頃彼は――自分の大切な人は、今もこの国で、この街で、笑いながら日々を送っていたかもしれない。
 胸の奥から何かが込み上げてくるのを、じっとこらえた。懸命に歯を食いしばる。そうでないと叫び出してしまいそうだった。
 ――ゼフィランは二度と私にあの攻撃を仕掛けてこなかった。
 そこにどんな実際的な理由があったのか、今となっては分からない。連発できない類の攻撃だったのかもしれないし、隙を突いて放つのでなければ無意味だと判断したのかもしれない。――何にせよ、運命は光の戦士にあの攻撃を浴びせなかった。その運命が意味するところとは何なのかと考えてみると、ぼんやりと答えの輪郭が見えてくる気がした。
「これは罰だ」
 自分自身に言い聞かせるように呟いた。薄闇は死んだように動かない。自分はあの人を救えなかった。救われるばかりで見殺しにしてしまった。お前には、友を救うだけの力がない。
 失笑が漏れた。その通りだ、と思った。自分には大切な人を救うだけの力がない。助けた数より、見送った数の方が何倍も多い。託され、助けられ、救われるばかりで、いつも。
 だからこれは罰だ。叙事詩の中の英雄のように生きられないのは、神意の槍を身に受けることが叶わなかったのは、彼の浴びた痛みを知らず、分かち合うこともできずに生きなくてはならないのは――これら全ては、自分への罰だ。
 胸の奥の最も空虚な部分から、涙が溢れた。不甲斐ない自分。戻らない命。大切な人の横顔。名付けようもない惨めさ。
 目を閉じた。眠りの中でも後悔していた。もう会えない大切な人。どれほど時を遡っても、自分の魂には最初から、そのような人の存在が刻みついている。そんなことを夢の中で考えていた。

***

 同じ頃、イシュガルドの最上層、ラストヴィジルはアインハルト家の屋敷では、フランセルが寝台に身を横たえたところだった。
 彼にとって今日は格別に嬉しい日となった。彼が復興の指揮を取る蒼天街に、あの英雄がひょっこりと顔を出したのである。何でも暁の血盟の一員として少々無理な冒険をしたらしく、しばらく斬った張ったとは無縁の生活をしてくれと仲間達に言い含められてしまったらしい。
「そんなこと言われてもって思っていたんだけど……。でもイシュガルドに来たら折良く蒼天街の求人を見たからさ。職人としてお手伝いするのだったら、仲間のみんなも喜ぶと思うし、イシュガルドのためにもなるし、良いかなって」
 そう言いながらからりと笑っていたあの人が、初めてクルザス地方を訪れた頃のことを今でも覚えている。見ず知らずの相手だというのに、あの人は窮地に追い込まれたフランセルとアインハルト家を助けてくれた。オルシュファンとあの人がいなかったら、今頃フランセルはこの世にいなかった。下手をしたらアインハルト家だって取り潰されていたかもしれない。
 この世にいなかった。己の心が何気なく紡いだ言葉に、フランセルはふと我に返る。この世を去った友人のことを思った。あの人とフランセルを結びつけてくれた友人。フランセルのもう一人の恩人にして親友。
 目を閉じると、フォルタン家の鎖帷子を纏った立ち姿がよみがえってくる。磊落な笑い声が耳の奥から聞こえてきた。自分が困っていた時、窮地に陥った時、怯むことなく手を差し伸べてくれたあの気高さに触れた記憶もまた、昨日のことのように思い出される。
 ――明日の午前中は久しぶりに晴れるのだったっけ……。
 フランセルは心の半ばで友の面影を追い、もう半ばで明日のことを考えた。月神メネフィナの秘石の近く、イシュガルドを見渡せる高台に愛する友の墓はある。
 ――うん。忙しさに紛れて墓参が疎かになっていたけれど、明日こそは。
 寝返りを打った。ゆっくりと息を吐く。友との再会を喜ぶなら、もう一人の友の許へも。切れ切れにそう考えたところで、彼の意識は途切れた。
 翌朝、早めの朝食を終えると、彼はチョコボを駆って神意の地へと向かった。大審門から左手に折れて空路を取れば、陸路よりもずっと短い時間で友の墓の辺りへ到達する。それを教えてくれたのは他でもないあの人だった。
 ――まあ、雲海の上を飛ぶ恐怖を克服する方法は教えてくれなかったけど。
 フランセルはそんなことを思い出しながらチョコボの手綱を取り、やがて切り立った崖の上へ到着した。柔らかな雪の上に足跡をつけながら、チョコボの口を取ってゆっくりと歩き出す。しばらく行くと、墓の前に先客があるらしいのが目に留まる。今朝は雲海の底まで見渡せるような晴天だ、数十ヤルム先に佇む人物が誰なのか、彼が見間違える筈もなかった。
「やあ、君も来たんだね」
 英雄はその言葉にこちらを振り向く。淡い苦笑と共にゆっくりと頷くのが見えた。
「――うん、今日は晴れるって聞いたから。しばらく無沙汰をしていたし」
 そう言って冒険者は、ニメーヤリリーとルピナスの花束を墓前に手向ける。墓石は雪が落とされ、盾共々綺麗に磨かれていた。先に来たこの人がしてくれたのだろう、とフランセルは推察する。
「オルシュファンもきっと喜ぶよ」
 フランセルはそう返すと、自分も墓前に跪いて花を手向けた。友よ安らかであれかしと祈りを捧げ、しばらく後に顔を上げる。と、隣では友人が静かな面持ちであの盾に――盾の割れ目に触れていた。
 ――この人は、以前も同じことをしていたな。
 この墓が建ってすぐの頃、共にここを訪れたことがあった。その時もこの人は、右手を差し伸べて盾の破れ目をなぞっていた。その行為の意味を仔細に尋ねた訳ではないが、何となく推し量ることはできる。
 フランセルは何も言わず、ただじっと英雄と呼ばれる人の指の動きを見つめた。人差し指は破れ目の縁、ぎざぎざとした稜線を丁寧に辿る。まるでその凹凸の一つ一つに、オルシュファンの魂が宿っているとでも言わんばかりだった。
「ね、フランセル」
 盾に穿たれた裂け目をなぞりながら、その人は出し抜けに彼を呼んだ。
「何だい?」
 フランセルが問うと、英雄は僅かばかり目を細める。笑うというより、痛みをこらえるような表情だった。視線は依然として、赤い一角獣へ注がれている。
「昨日ね、酒場で吟遊詩人の演奏を聴いたんだ。光の戦士が円卓の騎士達と戦って、友の仇を取るって話」
 そう言ってその人は切なげに笑った。右手は相変わらず盾の傷口をなぞっている。
「歌の中で、義心のゼフィランは言うんだよ。『あの男と同じように、神意の槍で貫くまでだ!』でも光の戦士は死なない。仲間達が一緒に神槍の攻撃を受けて、衝撃を和らげてくれるから」
 そこまで言うと、英雄は視線を盾からフランセルへと転じた。その両目は濡れたものがあった。
「そんなやり方、知らなかった。思いつきもしなかったよ」
 右手はまだ盾の傷口に触れていた。無惨なその破れ目こそ、神槍を名乗る攻めによってできた傷跡だった。
「あの時……オルシュファンが私を庇ってくれた時、私、何もできなかった。ただ茫然と見ているだけで。――あの人が死んでゆくのを、見ているしかなくて」
 フランセルは思わず首を振った。けれど英雄は言葉の勢いを緩めなかった。
「あの時、自分に何ができただろうってずっと考えてきた。あの時の私は何ができた? どうすべきだった? 彼を死なせないために……」
 フランセルの友はそう言って、はあ、と息を吐く。白煙が口から頼りなくこぼれる。
「けど、何度考えても分からなかった。ずっと答えを出せずにいた問いだったんだよ。それなのに……それなのに昨日突然、知ったんだ。すごくシンプルだった。呆気ないくらい。あの人の痛みを半分引き受ければ良かった、それだけだった。――それだけなのに、私、できなかった。しようともしなかった」
 傷口をなぞっていた手が、ぎゅっと握り込まれた。前髪に半ば隠れている目には、今にも溢れそうなほど涙が湛えられている。フランセルは返事もできず、痛々しい表情を浮かべる友をじっと見つめた。
「私はオルシュファンを助けられた筈なんだ。私にはその力があった。なのに……しなかった。ただ守られるばかりで」
 涙がこぼれて頬を伝う。それを正視するのが辛くて、フランセルは思わず俯いた。
「それは恥じることじゃないよ」
 何とかそれだけを言った。けれど彼の友はきっぱりと首を振る。
「恥じてない。単に――それが事実なんだ」
 そう言うと、光の戦士は握っていた手を開いて、再び盾を撫でた。傷を癒そうとするかのように破れ目に触れる仕草は、優しいと同時に悲しげだった。
「私はその事実が……私自身が、赦せない」
 赦せない。その響きが苦しくて、フランセルはゆっくりと首を振る。
 ――この人は悪くないのに。
 この人を守って死んだオルシュファン本人だって、こんな風にこの人を苦しめたくはない筈だ。そう返そうとして口を開いたけれど、どうしてか言葉は出てこなかった。耳に優しい平らかな慰め。それを差し出すのを心が躊躇ったのだ。友は気休めを求めていない。そう直感したせいだった。
 フランセルは墓前に供えられた二つの花束へと目を向ける。その隣では、盾の裂け目をしきりに撫でる手がある。苛烈な一撃を受けた盾に裂傷ができたのと同じで、きっと彼の隣にいる人の心にも、ぱっくりと大きな傷がある。
 ――この人は、今もそれを癒せずにいる。
 運命は彼の友を、しきりに冒険へと駆り立てるのだ。他者のために動き回り、言葉を尽くし、そのようにして生きることをこの人に求めてくる。どんなに大きな傷を負ってもこの人は立ち止まらない。立ち止まる|暇《いとま》を運命が与えてくれない。
 フランセルは物を言う代わりに、友の背中へそっと右手を置いた。広くて頼もしい背であると同時に、しおれて寂しげな背中でもあった。
 二人はしばらく、口を利かなかった。一方の右手は盾を、もう一方の右手は背を撫でた。濡れた頬を寒風がなぶり、涙の跡を消していった。
「……私達は不完全でも良い、不完全な命にだって、完璧な命と同じだけの価値がある。そう思ったばかりだったのにな」
 不意に冒険者がそんなことを言った。フランセルはその言葉の意味するところを視線で問う。友人は軽く首を振った。
「いや、最近の冒険でそんなことを考えたんだよ。私達の命が不完全だからって、人生の意味が薄いとか、価値が低いとか、そんなことはない筈だって。――でも、自分のことになると自信がなくなる。私の不完全さのせいでオルシュファンは死んだ。その事実を前にして不完全でも良いだなんて、言えない」
 不完全さ。その言葉にフランセルは、仕事をする中で関わるようになった人々のことを思い浮かべた。あの人は時間を守れない。あの人は予算通りに物を注文してくれない。あの人は短気なせいで、すぐに仲間とことを構えてしまう。あの人はプライドが高くて、高圧的な物言いをしてしまいがちだ。
 日頃、自分の頭を悩ませる様々な人の顔が浮かんでは消える。彼らの言い分を聞いて最終的な判断を下さなくてはならない自分も、あちらの顔を立て、こちらの不満を宥め……そんなことに追われて、思い切った決断ができないことも多い。
「……うん。生きている人って、誰も彼もみんな、不完全だね」
 気付けばそんな言葉が口からこぼれていた。手が友人の背をさする間にも、言葉は綿々と続いてゆく。
「蒼天街で色んな人と一緒に働くようになって、嫌でも感じるよ。人って誰も彼も完璧じゃない。良いところと悪いところが、コインの裏表みたいになってる。誰かの失敗やトラブルを収めるだけで、何日もかかることがある。それに、そういう人達を束ねる立場の僕だって、やっぱり不完全だ。押しが弱いから、キツい物言いの人に言い負けちゃうことも多いし、反感を持たれるのが怖くて思い切った決断ができない。――そんな自分にうんざりすることも多い」
 言いながら、フランセルは自分が笑みを浮かべていることに気付いた。何に対するどんな笑いなのか、自分でも良く分からない。けれど自分は、今隣にいる人を、この大切な友人を慰め、励ましたかった。
「僕達って本当、呆れるくらい不完全だ。でも僕はそのことが嫌いじゃない。完璧じゃなくて――無謬でなくてよかったとすら思う」
「それは……どうして?」
 友人が静かな声で問う。その直後、無謬、と今一度呟いたのをフランセルは聞き逃さなかった。視線で促すと、光の戦士と呼ばれる友は苦い笑みを浮かべて口を開く。
「いや……どう言えば良いんだろう。不完全だからって、人間存在が無価値だとか……意味がないだとか……そんな風には私も思わない。でももし……」
 光の戦士は息をゆっくりと吸い、吐いた。背中がそれに合わせて膨らみ、またしぼむ。
「でももし可能なら……少しでも完璧や無謬に近づけるのならその方が……って、そんな風にも思うんだ。私達が――私が無謬だったら、きっと、オルシュファンだって……」
 フランセルはその言葉にきっぱりと首を振った。
「人が皆無謬だったら、僕はオルシュファンと親しくはならなかっただろう」
 それはかなり意外な言葉だったのだろう。友人は目を丸くしてこちらへ視線を返してくる。フランセルは一つ笑うと、自分とオルシュファンが知り合った経緯を説明した。緊張を強いられる窮屈な晩餐会。幼い日の自分はそれを抜け出したこと。飛び出した夜の庭で、剣の鍛錬をする少年に出会ったこと。その少年こそがオルシュファンその人だったこと……。
「――ね、どう思う? フォルタン家の人達がみんな完璧だったら、オルシュファンはあの時、一人で剣の鍛錬なんてしていなかったとは思わない? きっとアルトアレール殿と同じように正装を纏って、窮屈な晩餐会に出ていただろう。僕だって、完璧な人間なら会を抜け出したりしなかっただろうしね。もっと言うなら、フォルタン伯が無謬ならそもそもオルシュファン自身、この世に生を享けなかったかもしれないな」
「それは……詭弁だよ」
 友人はそう返答したが、言葉には力がなかった。フランセルは軽くかぶりを振って先を続ける。
「苦し紛れの言葉に聞こえた? でも、僕は本当にそう思ってるんだ。僕は完璧じゃない君が好きだよ。勇敢だけど気持ち悪いところのあるオルシュファンが好きだったし、両親も兄姉も……その完璧じゃないところを愛してる。彼らに無謬でいて欲しいなんてちっとも思わない。むしろ――」
「むしろ?」
 友が食いつくようにそう訊いた。フランセルは一つ肩を竦める。
「むしろ……何て言うのかな。不完全なのに苦闘する人を見て、その人と苦楽を共にして、その度に思うんだよ。この世界をこんな形にした存在は――そんな存在がいるのか僕には分からないけれど――僕や君が不完全であることを赦してくれているんじゃないかって。その存在は、僕らを完璧な存在に|象《かたど》ろうとはしなかった。むしろ不完全なものとして作って……そしてそれで良しとしてくれている。違う?」
「この世界を、こんな形にした存在……」
 光の戦士はその言葉にふっと目を逸らす。その瞳は墓石の向こうに広がる雲海を眼差し、更にその上空、雲の一つもない澄んだ青空をひたと見つめる。
「それは一体、誰のことだろう……」
 友人のその言葉には、心当たりがあるとでも言いたげな響きがあった。世界を旅する中で、この人は一体何を見、何を聞いて、その胸に収めてきたのだろうか。ふとそんな思考がフランセルの脳裏をよぎる。
 だが友はしばらくすると、うん、と言って視線を再びフランセルの方へと戻した。
「少しややこしい話になるんだけどさ。今回旅をする中で、アシエンって呼ばれる人達が何者なのか知ることになったんだ……」
 光の戦士はそんな風にして、直近の冒険について説明してくれた。第一世界と呼ばれる並行世界へ旅立ったこと。そこで光の氾濫を食い止めようとしたこと。エメトセルクからアシエンの正体とこの星の歴史を聞かされ、最後は彼を滅ぼしたこと……。長い話を聞く内、雪上についた四つの膝が濡れてきた。けれど二人は墓前に足を折った姿勢のまま、やりとりを続けた。
「エメトセルクは……この星を|存《ながら》えさせるために同胞の半数が命を捧げた、と言ったんだ。それを聞いた時、私はオルシュファンのことを思い出した」
 友人はふっと息を吐く。視線が再びフランセルから逸らされた。その瞳は墓石へ、そして破れた盾へと移る。
「……エメトセルクは赦せなかったんだと思う。愛する人の命を踏み台にして生き延びるということ自体が。だから失った命を取り戻そうとした。その取り戻し方は到底許容できないものだけど――でもその気持ち自体は分かる、分かってしまうなあ、と思った。私も私が赦せない。オルシュファンを死なせて、見殺しにして、その後のうのうと生きている自分が」
 右手が再び盾の割れ目をなぞる。くしゃりとその面差しが歪んだ。
「みんなが言うんだよ。それは貴方のせいじゃない、貴方の過ちじゃないって。でもじゃあ、私はあの時のことをどう思えば良い? 私のせいじゃないって思った瞬間、私にできることはなかったんだって結論に辿り着く。私はオルシュファンを死なせることしかできなかったんだ、って。そんな結論、辛すぎて耐えられない。だから私のせいなんだ、と考える。私が間違っていた。私はあの時、もっとできることがあった筈だ。そう考える。その方がずっと痛くない。納得できる……」
 呻くように発せられた言葉に、フランセルは俯く。盾に残る裂け目は、オルシュファンの痛みの跡であると同時に、この人の痛みの跡でもある。そのことを今更に強く感じた。
「この世界を形作った存在は、確かに私の不完全を赦すかもしれない。私に届くハイデリンの声は、いつも優しかった。人をいびつで、弱くて、不完全なものにしたのがハイデリンだって言うなら、ハイデリンは私を赦すと思う。――でも、肝心の私が私を赦せない。赦したら……物凄い無力に耐えなきゃいけない。そんなの無理だ」
 心の悲鳴にも等しい言葉を聞きながら、フランセルは何度も背を撫でた。やがて言葉が切れると、代わり嗚咽が途切れ途切れに響いてくる。その全てが苦しげで、悲しかった。
 ――私が私を赦せない……。
 フランセルは今しがたの友人の言葉を反芻する。赦しとは何だろう、と改めて考えた。墓石の向こうに浮かぶイシュガルドの都を眺める。あの尖塔に設けられたバリスタ群は、この千年で一体どれほどの竜を屠っただろうか。あるいは人の槍は、剣は? 竜の吐く炎は? 魔力を帯びた鉤爪は? そして今、人は竜を赦しているか。あるいは竜は人を。
 ――赦せないと思う人も竜も、なお多い。
 だが赦せないと思っても――そのよう思いを胸のどこかに抱えながらも、自分達は武器を収めることを選んだ。これ以上殺さない、殺し合わないことを選んだ。完全なる赦しを確信できるまで殺し合うより、その方がずっと良い筈だ。
「赦せるか赦せないか。有罪か無罪か。強者か弱者か……」
 フランセルの言葉に、友はふと顔を上げた。頬に幾筋も涙の跡が見える。その瞳が怪訝そうな色を帯びていた。
「そんな風に二つの区別を設けて、人を必ずどちらかへ割り振って……。それじゃちっとも竜詩戦争の頃と変わらない。赦せるか赦せないかしかないなんて、人か竜かしかない、敵か味方かしかない、そういう考え方と何が違うっていうの?」
 友人は虚をつかれたようにフランセルを見つめ返した。その背中を、彼はぽん、と叩く。外套と手袋が触れ合って、空気の抜ける柔らかい音がした。
「君が自分のことを赦せないのは、分かったよ。赦したいと思えないってことも含めて。君には確かに罪があるのかもしれない。僕はそのことを否定しようとは思わない。……でも同時に、僕は君を赦しているし、愛している。君は赦された人でもあるんだ。君はそのどちらでもある」
 フランセルはそう言ってゆっくりと立ち上がる。友人もそれに釣られて、折っていた足を伸ばした。二人とも衣服の膝の辺りが濡れて、色が変わっている。可笑しかった。
 今一度、墓石へ目を向ける。二種類の花束が供えられたそれは、丁寧に磨かれていつもより綺麗だった。青い空と花とに彩られているからだろうか、何だか生前の佇まいを思い起こさせる。
「……オルシュファンもそうだったと思う。ウルダハでの君の無力を、彼はちゃんと知っていた。不完全な君を彼は信じ、また愛していたと思う。彼が望んだのは、君が君らしく力を発揮することであって……君が間違わないことでも、苦悩しないことでもなかった」
 そう言って彼は振り返る。戸惑うような表情が見えた。英雄とか、光の戦士とか、そんな大仰な名前を冠せられる人だけれど、ここでは何ということのない、ありふれた人間の一人だった。
「君は君を赦さなくて良い。苦しい時は泣いたら良いよ。僕もオルシュファンも、そういう君が大切なんだ。それをどうか忘れないで。――その手応えが分からなくなってしまったら、またここへ来れば良い」
 友はその言葉に辿々しく頷き――そして両手で顔を覆った。肩が大きく|顫《ふる》える。|歔欷《きょき》の声が辺りに響いた。
 フランセルは少し迷ったけれど、結局二人分の馬鳥の手綱を取る。左手で友人の肩を押して歩き始めた。雪の上に二人と二羽の足跡を付けながら、友人はずっと泣いていた。
 キャンプドラゴンヘッドが間近に見えてくる頃になって、英雄と呼ばれる人はようやく顔を上げた。湿った手袋で頬を拭う姿はどこか幼い。フランセルは頃合いを見て、その手の内にそっとチョコボの手綱を握らせた。
「……ねえ、何と言ったっけ。君の仲間の……暁の血盟にいる双子の兄妹」
 その言葉に友人はふと顔を上げた。真っ赤に泣き腫らした目許を、高くなってきた太陽が明るく照らす。
「アルフィノとアリゼーのこと?」
「そうだ、アルフィノ殿とアリゼー殿」
 フランセルはそう言って笑む。くえっ、と背後でチョコボが鳴いた。
「あの二人には、今さっき話したようなことを相談したりするの?」
 友人は当惑したように眉を下げる。しばらくは歩を進めながら、ただフランセルを顔を見返してきた。
「いや……したことないな。二人は私より歳下で、弟や妹みたいな感じだし……」
 だがフランセルはその言葉にくすりと笑う。冒険者は軽く眉を顰め、こちらの様子をうかがってきた。
「……僕は五人兄弟の末っ子だから、良く分かるんだけどね。兄や姉が年長者らしく振る舞おうとして、悩みとか辛い気持ちを僕から隠そうとすることが何度もあった。その度に、僕は歯痒い思いをしたよ。大切な人を支えたい、力になりたいって思っても、なかなかそうさせてもらえなくて」
 今度は友人のチョコボの方が鳴いた。この人がイシュガルドへ来た折、オルシュファンが贈ったというフライヤー種の馬鳥だ。世界の|方々《ほうぼう》へ行けば他の騎獣を手に入れる機会もあるだろうに、律儀な友人はそれ以来ずっとこのチョコボに騎乗しているのだ。
 友人は愛騎の声にちょっと振り返ったけれど、すぐにまた顔をフランセルの方へと戻した。その視線を受け止めながら彼は先を続ける。
「アリゼー殿やアルフィノ殿も、似た思いをしているんじゃないかな。君の旅や戦いを一番近くで見ている人達だもの」
「……確かに」
 友は思ったより素直に頷いた。少し考える風を見せると、ややあって言葉を足すように口を開く。
「実を言うと……数日前にも釘を刺されたんだ。間違っても原初世界で戦いに身を投じるようなことは、してくれるなって」
 フランセルは思わず笑い声を上げた。光の戦士は決まり悪そうな表情を浮かべてそれを見守る。
「……私は愛されているなあと思うよ。幸せ者だなって」
 二人と二頭はゆっくりとキャンプ・ドラゴンヘッドへ近付いてゆく。雪を踏むさくさくという音が耳に鮮やかだ。
「愛されていると思うならなおのこと……二人に話してみたら。君の抱えている悩みや、苦しみについて」
 フランセルは言いながらキャンプ・ドラゴンヘッドの城郭を見渡す。晴れた日にここへやって来るのも久しぶりだ。
「オルシュファンの話なら、僕はいくらでも聞くよ。僕自身、彼の思い出話をしたくてたまらない時があるもの。――でも君は、彼だけじゃなくてもっと多くの人を見送っている。その人達について話ができるのは、僕ではない。君の旅の仲間である彼らが適任だと思うんだ」
「……そうだね、そう思う」
 フランセルは、うん、と返した。二人でキャンプ・ドラゴンヘッドの拱門をくぐる。
「……私がこんな情けないところを見せても、大丈夫かな」
 そんな言葉がこぼれたのは、城郭をくぐり終え、雪の家と呼ばれるあの部屋の、入り口すぐ近くまで来た時だった。フランセルは人伝てに聞いただけだったけれど、何でも友人とアルフィノが二人でウルダハから逃れてきた折、オルシュファンが二人を匿った部屋なのだという。
「兄や姉に頼られるって、嬉しいものだよ。大切な人なんだ、いつも力になりたいって思っている」
「私も思ってる。あの子達の力になりたいって、いつも」
「――うん。沢山力になってあげると良いよ。それで沢山、力になってもらうんだ。――そうやって力を携えて生きていったら良い。それこそ」
 そこでフランセルは言葉を切る。足を止め、左手へ折れて、雪の家の戸口まで進んだ。その扉へそっと手を置いて、後ろをついて来た友の方を振り返る。
「それこそ……オルシュファンや僕達にはできなかったことだ」
 チョコボがまた、くえっと鳴いた。アインハルト家とフォルタン家の騎士達が城壁の上で何ごとか話し込んでいるのが見える。空は明るい。雪の降る気配すらない。
「あの人は僕や君を庇ったけれど、共に痛みを分かち合おうとはしなかった。君はそれを悔いている。僕も――何もできずに右往左往するさかなかった頃の自分を、情けなく思うよ。だから……だから君は」
 視線をかち合わせた。静かな瞳がこちらを見返す。まなじりはまだ赤い。けれどその中にある光は落ち着いていて、蒼天のように、あるいは雪解け水のように、澄んでいた。
「君は大切な人と支え合って。支え合って分かち合って――そして生きるんだ。生きるんだよ」
 鼻の奥がつんとする。けれど泣かなかった。こちらに注がれる眼差しは、悲しみを帯びて温かい。その豊かな重みが彼を泣かせなかった。
「――うん」
 友はそう言って、くしゃりと相好を崩す。泣き笑いのような表情だった。
「うん、生きる、生きるよ、生が終わるところまで生きる」
「うん。それが良いよ」
 フランセルもそう返す。扉から手を離した。帰ろうか。どちらともなくそう言って、再び歩き出す。
 イシュガルドへ戻る頃には、昼食時になっているだろう。二人で食事をしてから蒼天街へ行くのも悪くない。そんなことを話しながら道中を歩いた。眩しいほどの日に照らされて、積雪は珍しく解け始めていた。

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