丘の家のあなたと

 ここへ越してきて一週間が経った。しばらくの間は荷解きをしたり、新しいお風呂をママと一緒に使ってみたり、家中の収納を開けてみたりして楽しく過ごせたけどさすがに飽きてしまった。
 ママは仕事に行っちゃった。これまでならお姉ちゃんたちと一緒に遊んだりしていたけど今は一人だけで、全部がつまんない。あんまり出歩いちゃダメよってママは言ったけど、そんなの退屈で死んじゃうよ!
 だから私は、もしもの時だけ使うように言われていた家の合鍵を持って、外に出てみることにした。一歩、二歩、三歩。それだけ歩いてみても、特に変わったことは起こらない。大丈夫、大丈夫。こんなの全然平気だもん。なんだか気分がよくなって、私はふふんと胸を張って歩いてみる。
「ああ、それはダメだ!」
 けれど大人の男の人の声がして、飛び上がった。もしかしたら、ママの知り合いで、私が家から出ないように見てたとか!? 心臓がバクバクしてくる。恐る恐る声の方を振り返ったら、その人は私のいるのとは反対の方向に歩いていく。
「ああ、部長にも伝えとくよ。とにかく今は製造を止めてもらって……」
 手に持ったスマホを耳にあてていて、電話してる……? お仕事の話かな? ということは、もしかして全然関係ない人?
 その人はそのままずっと向こうの方に行ってしまい、私はなんだかおかしくなって笑った。思っていたよりも自分がびくびくしていたのを自覚して恥ずかしくなる。でも、もうたぶん大丈夫だ、本当に。私はまだ見慣れない街をゆっくりと歩いていった。

 しばらくしてたくさん遊具がある公園を見つけた。嬉しくなって駆けていく。大きな滑り台にぶらんこ、砂場、ジャングルジムにうんてい、それにシーソー。辺りにはたくさんの子どもたちがいて楽しそうに遊んでいた。まずはどこに行こうかな。そう思って遊具を見比べていた時だった。
「うえーん、うえーん」
 どこからか泣き声が聞こえてきて私は目をぱちくりさせながらそちらを見る。ぶらんこの側で日に焼けた男の子と小柄な女の子が向かい合っていて、女の子が声をあげて泣いている。男の子は女の子に、そうやって泣いても同じだからな! なんて言っていた。
「どうしたの?」
 彼らに声をかけてみると、二人ともが訝しそうに私を見る。私よりも少し年下くらいかな。
「なんだよ、お前。見ない顔だな」
「この前引っ越してきて、ここに来るのは初めてだから、そりゃ見たことないと思うよ」
「じゃあそんなブガイシャが入ってくるなよ」
 男の子はキツイ口調でそんなことを言う。私はムッとして言い返してやった。
「でもこの子は泣いてるでしょ? 何があったのか気になったとしても私には教えてもらえないわけ?」
「そうだよ。カンケーないからな」
 するとそれまで俯いていた女の子が涙で濡れた顔のまま、私の方を見た。
「ショウトくんがね、アイリにボールぶつけてきたの」
 鼻をぐずぐず言わせて、しゃくりをあげながら私にそう訴える。足元には確かにボールが転がっていた。それもサッカーボール。ぶつけられたら痛いと思う。
「どうしてショウトくんはアイリちゃんにボールぶつけたりしたの?」
「アイリたちがずっとぶらんこ占領してるから。いっつもおれたちより早く公園にいて、ずーっとぶらんこを使うんだ」
 ショウトくんがアイリちゃんと、ぶらんこの近くにいて顔を見合わせている女の子たちを指差して言う。見れば少し離れたところにショウトくんの友達らしき男の子たちもいて、ショウトくんとアイリちゃんの様子をうかがっている。
 こんな時、お姉ちゃんたちならどう言うかな。考えを巡らせてから、ふーっと大きく息を吐いた。
「ぶらんこを占領してるのはよくないと思う。私だって乗ってみたいし」
「そうだろ!?」
「でもボールをぶつけるのだってよくないよ。怪我するかもしれないし。代わってほしいならちゃんと言葉で言えばいいじゃん」
「そうよそうよ!」
 ショウトくんはウッと言葉に詰まる。
「だから二人とも謝ればいいんじゃない? で、私も一緒に遊びたい!」
 私がそう言うと、女の子たちはアイリちゃんをはじめとしてみんなほっとした顔になって、そうだね一緒に遊ぼうと頷いている。男の子たちも顔を見合わせて、ボールはダメだったねなんて言っているのが見えた。
 けれどショウトくんはなんだか収まりがついていないみたい。唇を噛んで私を睨み付けている。
「なんだよ、お前。ブガイシャのくせに急に出てきて。そんなすぐに一緒に遊んでやるかよ。ここはおれらの公園なの。出てけよ」
 不機嫌そうに言うショウトくん。女の子たちはなんでよ! そんなのおかしい、と言う。それがショウトくんにとっては余計に面白くないみたいで、私の方に人差し指をビシッと向けた。
「そんなにここで遊びたいなら、条件があるっ! あの丘の上の魔女の家に行って、魔女に会ってこいよ! そしたら認めてやる」
 魔女の家、って何? 丘の上ってどこ? 頭の中には次々と疑問が浮かんでくる。それには女の子たちが答えてくれた。
 この公園から見える丘の上に大きなお屋敷があって、そこには魔女らしき人が住んでいるんだって。前に男の子のうちの一人がお屋敷の近くを通りかかった時、黒っぽい服を着た女の人が干したトカゲがもうないわ、なんて言っているのを見たという。
 きっとその人は恐ろしい魔女で、大きなお鍋で魔術に使う薬を作っているに違いないということだった。もしかしたら人間を食べるかもしれないし、呪いだってかけることができるかもしれない。そんな噂が広がって、みんなあの家の話はあんまりしないんだって。
 話を聞くだけでもなんだか怖い。ショウトくんはずっとぶらんこの前で私を通せんぼして私をじっと睨んでいた。アイリちゃんやそのお友達のミユちゃんたちも、ショウトくんのいうことなんか聞かなくていいよと言うけど、みんなにとって私は確かに今日急に現れたよく分らない子で、反発したくなる気持ちも分るような気がする。それなら。
「分かった。私、行ってくる」
 そう言ったら周りの子たちが一斉にざわめく。私の手も少し震えているような気もする。だけどこんな時こそ、アゲていかなくちゃ! ここにいるみんなとも友達になりたいし、魔女? とももしかしたら仲良くなれちゃうかもしれないし!? だから行ってみる。丘の上に向かって私は足を踏み出した。
 でも数歩進んで場所が分からなくなって振り返る。女の子たちが教えてくれようとしたけど、このあたりのことがよく分からなくって(郵便局の近くの犬がいるおうちを曲がるってってどこのこと? )結局ショウトくんと、ショウトくんのお友達で『魔女』を見たことがあるらしいレンくんが途中までついてきてくれることになった。

 お屋敷は本当に小高い丘の上にあった。丘まで続いている坂道の上り始める前に、ショウトくんは足を止めて、それじゃあおれらはここまでなと言う。それからショウトくんは持っていたスマホを差し出した。かっこいい感じのキッズスマホだ。このスマホで魔女の写真を撮ってこいよなとショウトくんは言う。ちなみに写真も撮らずに逃げて、スマホを返さなかった場合は、ショウトくんのママに公園でよく知らない子に盗られたって言って、GPSで見つけだしてもらってサイバンでウッタエてやるって言っていた。
 とにかくそのスマホを受け取って、私は一人で坂道を上っていく。よく考えてみれば、公園から少し離れた場所にあるこの丘はよく私が越してきた家のすぐ近くだ。ここからなら公園よりもうちの方が断然近い。ご近所に魔女が住んでいるだなんて!? そんなのママだって言ってなかった。ママ、仕事が忙しいからあんまりこういうこと知らないのかも。
 そんなことを考えながら歩いていたら、思ったよりもすぐに丘の上までついてしまった。丘の上に建っているお屋敷は、赤い屋根が素敵な建物で、私は思わずわぁっと声をあげた。
 玄関のドアの前にアーチがあって、鉄のパーツがなめらかに曲がってハートと羽の形になっている。ドアも一面がピンクや黄色、水色、色んな色のガラス――ステンドグラスっていうんだっけ? 前に一度テレビで見たことがある教会のことが思い出された。とってもきれいでお日様の光に当たってきらきらしている。絵本で見たお姫様が住んでいるおうちみたいだった。
 けれど、さっきのショウトくんたちの表情を思い出して、私のぐっと唇を引き結んだ。いくら素敵に見えても、この中に魔女がいるかもしれない。もし本当に魔女が出てきて、あっという間に食べられちゃったらどうしよう……。勢いでここまで来ちゃったけど、実は私、怖いの結構苦手なんだよね。ドクドクと心臓の音が早くなっていく。
 とっても怖いけど、今更逃げ帰るわけにはいかない。手の中のショウトくんのスマホをぎゅっと握って、私は恐る恐る玄関に近づいていった。
「押すとこ、ないな……」
 玄関を見たけど、どこにもインターホンらしきものがない。これってどうやって開ければいいんだろう? ええっと、ええっと。おとぎ話とかではコンコンって家のドアを叩いて中の人を呼んだりするけど、そういうことでいいのかな?
 分からないながら、私はドアをコンコンと叩いてみた。
 でも辺りはしんとしていて、中からは誰も出てこない。叩くのが小さすぎたのかな。心臓はさっきよりももっと早くドキドキいっていて、私はごくりと唾を飲み込んだ。
 コンコンコンとさっきよりは強めにドアを叩いてみる。
「あ、あの、だれか、だれかいませんか……?」
 最後の方はほとんど聞こえないくらい小さい声になってしまって、余計に恥ずかしさがこみあげてきた。もう帰りたい。だってこんなに素敵なおうちに魔女なんていないよ、きっと。だからお願い、誰も出てこないで……!
 ぎゅっと目をつぶってそう念じたら、私のその願いとはうらはらに、カチャリと音がしてドアが開いてしまった!
「や、やだぁ! お願い、食べないで~~ッ!!」
 私は震えながらその場にうずくまる。ああ、ここで死んじゃうんだ。どうしてここまで来ちゃったんだろう。こんなことなら家でずっと一人でいればよかったな。公園にも行かないで、ずっと一人で……。
 滲んできた涙を着ていたトレーナーの裾でごしごし擦る。そうしていたら頭上から声がした。
「食べないよ?」
「え……?」
 すっごくかわいらしい声がして、目を丸くしながら顔を上げたら、そこには小さい女の子がいた。重たそうなドアを支えながら私の方を見ている。
「おねえちゃん、だあれ?」
 真っ白な肌に柔らかそうな桃色の髪。エメラルドの瞳がドアのガラスと同じようにお日様を跳ね返して輝いている。少しの間見とれてぼーっと見ていたら、その子の顔が怪訝そうに歪められる。
「あのね、知らないひとをおうちに入れちゃいけないって言われてるの」
「あ、ごめん。私、急に来たんだもんね。びっくりするよね」
 立ち上がると思ったよりも女の子が小さくてどぎまぎした。心配そうにこちらをじっとうかがっている。このままじゃ私の方がフシンシャってやつになっちゃう。慌てて自己紹介した。
「私は早乙女……じゃなかった、ひじり。聖あげはって言うの」
「ひじり、あげはちゃん」
「うん。あなたは? なんていう名前?」
「わたしは、ましろ。にじがおかましろ」
「そっか、じゃあましろんだ!」
 そういうと、彼女――ましろんは目を大きく見開いて、それからふわっと綿毛が飛ぶみたいに笑った。
「そんな風に呼ばれたの、初めてだよ」
「そうなんだ?」
「うん。お友だち、あんまりいないんだ。パパとママに危ないからお外に行っちゃいけないって言われてて」
「わかる! そうだよね! うちのママもすぐそういうこと言うんだ」
 ましろんの顔がまた少し優しくなる。
「でもね、パパもママもすっごく優しいんだよ。おもちゃも買ってくれるし……だけど、おもちゃは私のことあだ名で呼んでくれたりしないでしょ」
 きれいな瞳に睫毛が伏せられて、なんだか寂しそうに見えた。その寂しさに私も覚えがある気がして、胸の奥がきゅうっとなる。
「それで、あげはちゃんはどうしてうちに来たの?」
 ふと思い出したようにましろんが言って、私もハッとした。
「そうだ、魔女だ!」
「まじょ……?」
「うん。ましろん、この家に魔女っている?」
「ええっ!? まじょって、えほんとかあにめに出てくるあのまじょ?」
「そうそう」
「そんなのいないけど」
「だよね、だよね」
「まじょってお話の中にしかいないっておもう。うちはふつうのいえだよ」
「うんうん、私もそう思う。あ~よかった。なんか、この辺りの子たちがこのおうちに魔女がいるって言うからびっくりしたけどそんなことあるわけないよね」
「えっ、うちってそんなふうに言われてるんだ」
 ましろんが悲しそうな顔をしたので、私は慌ててフォローする。
「いや、なんか誰かがこの家のあたりで、干したトカゲがどうとか言ってる人を見たって話で、それで魔女がいるって勝手に噂してるみたいなんだ。多分勘違いだと思う」
「そうだったんだ。それなら、おばあちゃんがたまにヤクソウ? みたいなのを集めておくすりを作ってるみたいだから、それかなあ? 前に聞いたことがあるんだ。ヒカゲノなんとかってヤクソウがあるみたい」
「じゃあそれだ、ぜったい」
 そんなことを言っていると、奥の方から、ましろさん誰か来ているの? と声がする。ドアの向こうに優しそうなおばあさんの姿が見えた。ましろんが、あれがわたしのおばあちゃんだよと囁く。本当に優しそうで、想像していたような魔女なんかじゃ全然なくって、私がくすくす笑ったらましろんもつられて一緒に笑った。

 そんなわけで、私は証拠としてましろんと、ましろんのおばあちゃんと3人で仲良くピースしている写真を撮ってショウトくんのところまで戻った。事の顛末を話すと、ショウトくんはしばらくバツが悪そうにしていたけど、レンくんに促されて、そういうことなら許してやるよと言ったので、晴れて私は公園で遊ぶみんなの仲間になることができた。まぁショウトくん以外の子は最初から私を迎え入れてくれようとしていたみたいだったけど。
 そして、丘の上のお屋敷に住んでる女の子、ましろん。私は他のみんなにもショウトくんに伝えたのと同じ話をした。お屋敷にいるのは魔女なんかじゃなくて可愛い女の子と、その子のおばあちゃん。二人ともすっごく優しそうだったよ、干したトカゲっていうのは聞き間違いみたいだったよって。
 だってあのままじゃましろんはみんなに怖がられて、みんなと一緒に遊べないんじゃないかと思ったから。寂しそうにしていたましろん。あの時のましろんの顔を思い出すと、私は悲しい気持ちがこみあげてきてたまらなくなる。だからできるだけたくさんの子たちにましろんのことを話した。
 そしたらみんながましろんに会いたいって言って、ましろんはパパとママとビデオ通話する時に、そのことを話してみんなと外で遊んでみたいって言ったんだって。ダメって言われたらどうしようって思っていたましろんだけど、パパとママはアッサリOKしてくれたみたい。
 ましろんだけじゃなくて、私も勝手に外に出たことをママに打ち明けて、みんなと遊びたいって言った。怒られるかなって思ったけど、ママはそんなことだろうと思ってたって笑って、あんまり遠くはダメだけど、公園くらいまでなら全然いいよって言ってくれた。
 それからは、私がましろんをうちまで迎えに行って、みんなで公園でいっぱい遊んだ。ましろんが笑ってくれるのが嬉しくて、ましろんと一緒にいられるのが楽しい。
 こんな日々がずっとずっと続けばいいのにって、最近はずっとそんなことを思ってるんだ。
 でも、あんまりそんなことは考えない方がいいのかな。だって大好きな人ほど、ずっと一緒にはいられないんじゃないかって、そんな考えもよぎるから。

 次の日曜日はみんなとましろんのおうちに行って遊ぶ約束をしている。みんなでましろん家で遊ぶことは何回かもうあったけど、たくさんのおもちゃがあって本当に楽しく遊べるんだ。来るのはいつも女の子ばかり。ましろんはおしゃれのことについて色々知っていて、みんなその話も聞きたいみたい。
 その気持ち、分かるな。私はいつも楽しそうに話すましろんの横顔を見て、そうして聞いてるだけでなんだか幸せな気持ちになってくる。

 だけど昨日の夜、ママが言ったんだ。次の日曜日は家にいてほしいって。嫌な予感がする。みんなと約束した方が先だからだめって言ったけど、ママは大切な話だから今回はって、それからごめんっていっぱい言ってた。
 やだな。
 ましろんのうちに行く約束をした日曜日にこんな気持ちになるのは初めてだ。
 ねえ、神様。
 もしどこかにいるなら、私はましろんとずっと一緒にいたい。
 お願いだから、どうか、どうか。

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