キオクノカケラ、アナタ、マシュマロ。

アイカツスターズ きらあこss。
記憶喪失になった早乙女あこちゃんが、毎日お見舞いに来てくれる花園きららちゃんのことを考えたりするss


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 カーテンを開けると、まだ太陽はのぼりきっておらず、チチチと鳥の鳴く声は白んだ空に溶けていった。枕元の時計はまだ5時半を少し過ぎたところだった。
 静謐で穏やかな朝。もう少し眠ろうかとも思ったが妙に頭が冴えている。しかし特にこれといって何かをしようという気持ちもなかったので、あこは窓からぼんやりと外の景色を眺めていることにした。
 この病院は街の高台にあって、入院病棟のうち今いるこの個室は街全体がよく見える場所にある。
 そう、入院。今でも自分がそうなったことは信じがたいのだが、あこは1週間前、ロケの途中で事故に巻き込まれ、この病院まで運び込まれた。怪我は擦り傷程度だったが、入院から2日後、あこの意識が戻った時、驚くべき事実が判明した。
 記憶喪失。
 ドラマや漫画の中では目にしたことはあっても、本当にそういった現象が起きるなんて、それも他でもない自分にふりかかるなんて思ってもみなかった。
 目が覚めて医師から面会をしてもよいと言われたことを受けて駆け付けた四ツ星の同期生の面々、その誰もがーーもちろんあこ本人さえ、初めは記憶喪失になっているだなんて分からなかった。その場にいたみんなのことはちゃんと認識できたのだから当然だろう。それでも言葉を交わしていくうちに違和感に気が付いた。
『きららちゃんも今向かってるって。ヴィーナスアーク、大西洋にいたらしいからヘリで来てるとこみたいだよ。遅れちゃってごめんってさっき連絡があったんだ』
 そう言ったのはゆめだったか。それであこは首を傾げて聞いたのだ。
『きらら? ってなんですのそれ? それにヴィーナスアークというのもよく分かりませんわ。みんな何の話をしていますの?』
 あこの記憶は全てではなく一部ーーそれもS4決定戦を終え、幹部の任命が済んだ頃を境に失われているらしい。当然「ヴィーナスアーク」の「花園きらら」というのも今のあこにとっては初耳だった。
 窓の向こうでは純白の光が煌めき、太陽の端が次第に姿を現し始めていた。思わずぎゅっと目を閉じた。眩しさというのは時に人を惹き付けるが、時に見ていられなくもなるものだ。
 病室にやって来た「花園きらら」は、名前の通りきらきら輝くような瞳が印象的な女の子だった。「ヴィーナスアーク」というのは船舶であり、アイドル学園艦だという。きららはそのヴィーナスアークのトップアイドルなのだそうだ。ふわふわと甘い声に可愛らしいルックスは確かにアイドルに相応しい要素を持っていると言えるだろう。そのきららがどうやらあこと二人で「Wミューズ」とやらをやっていたというのだから、もう何が何やらわからない。
 ひとまず入院は少し延ばされることになった。どの辺りまでの記憶が残っているかも含め、もう少し詳細に検査することも必要だったし、記憶が抜け落ちたままではすぐにアイカツ界に復帰することも難しいだろう、暫く療養も兼ねてゆっくりする方がいいと学園も判断したためだった。
 面会時間は一日のうちの数時間だけに限られていた。あこの心身の状態を考慮して、家族や実家の使用人達、四ツ星の生徒達、様々な人々が日にちをずらして少しずつ訪れた。
 しかしその中で、一人だけ毎日必ずやって来るのがきららだった。
『やっほーあこちゃん! 今日も元気?』
 にっこり笑いながら現れて、お天気のことや自分のアイカツのことを少し話して、それから彼女が好きだというマシュマロをひとつだけあこに渡して帰っていく。
 甘くてふわふわで口に含むとすぐにしゅわしゅわ溶けてなくなってしまう。また口に入れるのが楽しみになるようなお菓子。今のあこにとってきららは、まさにそんなマシュマロみたいな存在だった。
 きららは記憶を失くす前のあこの話をしたりはしない。あこにとってはありがたかったが、それでいいのだろうかとも思った。きららにとってあこはWミューズの片割れで大切なアイカツのパートナー。なのにちょうどきららと出会ってからの記憶がすっかり抜け落ちている。だからきららにとって、あこはあこであってあこではないはずだ。今のあこは「きららと出会ってからのあこ」にはなれないのだから。そんな自分にこんなに頻繁に会いにきて辛くないのかと聞いたら、きららは言った。
『きららはあこちゃんが大好きだから、だから一緒にいたいんだ。それでもしもあこちゃんがいいなら、また友達になりたいんだ。それだけだよ』
 それがちょうど昨日のこと。
 ベッドのすぐ横にある引き出しの上に置いてあったキャンディーボックスを開いた。きらきらの大粒ビーズで装飾されたそれは、入院後に実家から持ってきてもらったあこのお気に入りだった。その中に個包装のそれがひとつ納められている。きららがくれたマシュマロ。昨日手渡されたものだ。
 いつもは彼女が帰ったらすぐに食べてしまうのだが、昨日はなぜだかそれが出来なかった。カラフルな水玉模様の個包装を指でなぞれば、ビニールがクシャッと音を立てる。
「わたくし、きっとあのことお友達になれますわ。初めて会ったとき、悪い子ではないってすぐに分かりましたもの。お話するのも楽しいですし、一緒にアイカツもしてみたいですわね。それでも……」
 つぶやいた唇が震える。その先はどうしてか言葉に出来なくて、ただ呼気だけが吐き出された。
 彼女のことを好ましく思っている自覚は今のあこにもある。だからこそ、申し訳ない気持ちがどんどん大きくなるのだった。
 彼女の言葉、あことまた友達になりたいというのは何の偽りもない本心だろう。でも「一番の望み」ではきっとないはずだ。その望みを叶えることーーあこが記憶を取り戻すこと、それを今の自分は叶えてあげられない。その引け目から、毎日訪ねて笑顔をくれる彼女に、あこはいつも曖昧な微笑みしか返せないでいた。
「なのにどうして来るのをやめないのかしら、あのこ……こんなわたくしのことをどうしてそこまで好いてくださるのかしら……」
 ぱたんとキャンディーボックスを閉じてベッドに戻る。
 あこちゃん、大好き。
 彼女がそう言ってくれる理由を、記憶を失くす前の自分は知っていたのだろうか。これまでの自分はそう言われてどんな言葉を返したのだろう。考えれば考えるほど頭に靄がかかったようになって苦しいので瞳を閉じた。
 わたくしも好きですわ。
 早く屈託なく、あなたにそう言いたいと、それだけを思った。

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