におい(狛日/機関)
※喫煙、流血の描写があります。
狛枝が煙草を吸い始めた。もう半年は経つだろうか。
狛枝が吸うのは刻んだ葉を薄紙で巻く、いわゆる手巻き煙草というやつだ。
内ポケットから正方形の薄紙と小分けにした葉を取り出して、休憩中に巻いて吸う。他所でやってくれればいいのに、俺の隣で巻いて吸う。
わざわざ手間のかかるものを……だなんて眺めてないで「隣で吸うな」と言えばよかった。一応「けむい」と抗議はしたけど、狛枝が聞くわけなかった。
「あっそう」とだけ言って、取り合ってくれなかった。嫌がらせもたいがいにしてほしいよな。
まぁ、煙には辟易したが、狛枝が煙草を巻く姿は嫌いじゃなかった。薄紙の上にほぐした葉を細くならして、端からきっちり巻いていく。一連の作業は淀みなく、整然としていて好ましかった。俺があんまり見ていたからか、狛枝に一度「あげないよ」と言われたことがある。
俺は別に煙草が吸いたいわけじゃないし、煙は苦手だ。
そう狛枝に伝えたら、今度は煙を顔に吹きかけられるようになった。いい加減にしてほしい。
においがつくし飯もまずくなるし、やめろと俺が言えば、狛枝は「やだよ」と返してきた。それから、右の口角を小馬鹿にしたように持ち上げて「意味がわかったら止めたげる」と言った。だから俺はその場で調べた。
結果、ただの嫌がらせと分かってげんなりしたっけ。
なんだよ『今夜お前を抱く』って。
バカか。
俺が思わず口に出したら、狛枝は笑って「分かってないから止めないどくね」と再び煙を吐いた。
だから顔にかけるんじゃないって言ってるだろう、ばかやろう。
などという在りし日のやりとりが思い出されたのは、きっと、さっき鼻を掠めたにおいのせいなのだ。
先遣で訪れた一画で、俺はかぎ慣れた煙草のにおい(と、あの時は思ったけど多分銘柄は違うんだろうな)にうっかりつられてしまった。
そうして開けた通りに不用意に身体を出して会敵するなんて、本当に最低で最悪だ。きっと狛枝に知られたらばかにされるんだろうな。
俺に煙を吹きかける時の狛枝の顔が思い出される。条件反射のようにぶり返したむかつきに腹から息を吐く。
あー、さいあ……
く、まで言えずに俺は咳き込み血反吐をぶちまけた。食道か気管をやられたのだろうか。肺が無事でありますように。それと、撃ち返した弾が相手に当たってたらいいな。
◼️
どうやら狛枝は煙草をやめたらしい。
俺が職場復帰を果たして半月ほど経つが、吸ってるところを見かけない。
煙草以外は前と変わらず、昼休みに現れて俺の隣で過ごしてる。俺としては、狛枝が煙草を吸おうが吸うまいが、どちらでもいい。けむいのは嫌だったけど、吸う吸わないは狛枝の自由だし。
そういうわけだから「もう吸わないのか?」という問いに、あまり意味はなかった。
はっきりとした答えがあってもなくても気にならない、昨日何食べた? とか、そう言う類の雑談のつもりだった。
なのに狛枝は、読んでる本からわざわざ顔を上げて「日向クンってそういうとこあるよね」と返してきた。苦い毒でも飲んだような顔で。眉間に刻まれた皺はとても深く、気軽に発した俺の言葉が、どうやら狛枝の痛いところを突いてしまったというのは分かった。
が、どうして気に障ったのかまではわからない。
もしかしたら狛枝は禁煙中で、吸いたい気持ちを呼び覚ますような話題がいけなかったのかもしれない。あれだけ毎日吸っていたのだ、急にやめたら反動も大きいだろうしな……と俺が脳内であれこれ思いを巡らせる内に、狛枝は俺の質問を黙殺することに決めたようだった。眉間の皺はそのまま、落とした視線で手元の文章を睨んでいる。真一文字に引き結ばれた狛枝の唇が開くことはなさそうなので、俺も黙って昼飯をかき込むことにした。
俺が狛枝に贈り物をしようと思ったのは思いつきだった。ライターを選んだのは故意だけど。
煙草を吸わないにしてもライターなら非常時に色々と使えるし……というのは後付けの理由で、正直に言えば嫌がらせだ。悪いな、狛枝。今まで散々俺を燻しておいて『ボクはもうやめたんで放っておいてください』みたいな態度がちょっと、いや、だいぶむかついたんだ。
だから、このライターを眺めて色々と葛藤してくれ。「意味わかってやってるの?」て、そりゃ禁煙中にライター渡して悪いとは思ってるさ。でも、俺だって煙を吹きかけられまくったし(あれは本当に鬱陶しかった)おあいこだろう。いらなければ返してくれて構わない、オイルライターって手間もかかるみたいだし。そう伝えてみたが「一度もらったものを返すわけないでしょ」だそうだ。
そうか、俺からのプレゼントを受け取ってくれるなんて、狛枝もだいぶ丸くなったんだな。
◼️
狛枝の義手が見つかったそうだ。あと、ライターも。
現地入りした九頭龍からの連絡に、俺は胸を撫で下ろした。回収した義手は損傷が激しいものの持ち帰れるらしい。ライターの方はほぼ無傷だそうだ。
どうする? と訊かれたので、義手は技術部へ回して、ライターは(一応狛枝の私物なので)こちらに渡して欲しいと答えた。九頭龍は戻り次第、届けてくれるという。ありがたい。やはり持つべきものは友人である。事務的な確認と感謝を伝えて通話を終えた。
「見つかったって、よかったな」
と、俺が話しかけたところでベッドの狛枝は返事をしない。
麻酔が効いてるのだから当然だ。頬に血の気は戻ってないが、繋いだ計器の数値は安定している。俺は深呼吸をして、がちがちに固まっていた肩の力を抜く。
大丈夫、ここには罪木もいる。大丈夫だ。
俺は病室を出て、待っててくれた弐大と車に乗り込んだ。目的地の地形は頭に入れたし、手順と支度も抜かりない。ぼんやりしてる場合じゃない。頭を切り替えて、仕事だ仕事。
ハンドルを握り、俺はエンジンをかけた。深夜の郊外に他の車は見当たらない。制限速度もあってないようなものだし、アクセルをベタ踏みして飛ばせるだけ飛ばす。助手席の弐大から「呼吸が浅くなっとるぞ」と指摘された。俺は息を吸い、胸の澱をため息として吐きだす。
ほんとうはあまり大丈夫じゃないし、できることならあのまま病室にいたかった。
でも、わがままなんて言えやしない。俺は背筋を伸ばしてもう一度、腹の底から息を吐く。
狛枝は、きっと明日には目を覚ます。
だから、俺もさっさと帰ろう。
なるべく無傷で、できれば狛枝が起きる前に。
だって俺がちゃんと帰らなかったら、あいつはまた「ボクのせいで」とか言うだろうし。
了
◼️蛇足メモ
狛枝が煙草吸い始めた理由。
においに紐づいた記憶は残りやすいらしい。じゃあ、煙草にしようかな。
やめた理由。
日向が煙草のにおい(につられたこと)が原因で負傷したと知ったから。知ったその日に手持ちの煙草は全部捨てた。
日向がライター選んだ理由。
狛枝の行動にいろいろと腹が立ったから。
狛枝の負傷について。
施設の調査中に会敵。建物から脱出するため、陽動でガス爆発起こす。義手にライター握らせて投擲、着火。義手に覆われていたのでライターはほぼ無傷。
powered by 小説執筆ツール「arei」