お稽古


「それで、いつから引っ越しますか?」
四草から当然のように聞かれて、そこはオレが決めなあかんのかいな、と思った。


床がミシミシ言うてるわけでもないし、畳もまあ真新しい、とは言えないけど大体こんなもんやろ、という気持ちがあった。
引っ越し先が決まって、不動産屋から、リフォーム工事したいとことかあったら事前に教えてください、と言われたとき、隣について来た四草がずけずけと、水回りやら、天井の雨漏りやらないかとか、ぐるっと回って壁にひびが見えへんかとか、収納スペースとか、窓のない部屋がないかとか、いちいちそないして見てくから、ほんま疲れたていうか……草原兄さんが新築買った時に、中古も検討してたけど家主が悪いとこ隠してるかもて思ったら気持ちが面倒になって、て言う話は聞いてたけどここまでやらんといかんもんなんやろうか。
クーラーついてない部屋あるとこと台所に付けて欲しいのと、これまでのクーラーの清掃に、トイレが古いから床とか壁とか全部とっ替えてとなったらいくらします、ておっさんに聞くのを聞いてたら、お前、オレが引っ越しの主役やからと思ってオッサンが気持ち良く貸してくれるて言うてんのに、相手の気分悪してどないすんねん、と思ったけど、それ含めて四代目へのご祝儀にさせて貰います、て。
相手見て物言え、てオヤジが言ってたけど、こないなこともあるんかと思ったし、これがほんまの太っ腹ていうか。


「不動産屋て、ほんま色んな業者おるなあ。なんやもう狐に化かされてるような気持ちやで。」
「『化かされてる』て思う気持ちは分かりますけど、京都の山ん中ならともかく、大阪の街中に狐は出ないでしょう。」
せいぜい狸と違いますか、てお前も化かされてる気がしてんのやないか。
気が付いたら真新しいクーラーとトイレの改装終わったんで最後の内見に来てくださいて言われて、見に行ったらちゃんとしとるし、外装もとりあえず塗り直しされてて、他の仕事うっちゃってやってへんかて思うけど、ここ長いこと借りて欲しいんで先行投資です、てほんまありがたいこっちゃで。
そのびっくりし通しの内見から帰って来て、とりあえずこの先の引っ越しのこと、具体的に詰めてかなあかん、ていうのが実感としてやってきた。
で、さっきの話や。
いつから引っ越します、て聞かれたとこでオレにはもう分からん。
今が真夏なら明日っから引越しやて思うけど「子どもの通学とかどうしたらええんでしょうね。秋から師走までそれなりに仕事が立て込んでるとこですし。中古の家やから、新築と違って半年置いとくこともないと思うけど、今引っ越したら冬休みまで待っててもええて言われましたけど。」と聞かれてああ~、それなあ、と頭を抱えた。
「夏休みも終わったとこやていうのになあ。」
「本人はいつでもいいて言ってましたけど。」
「……友達おるて言うてなかったか?」と言うと、(お前と違てあの子社交的やからな)というこっちの気持ちを読んだような顔つきになった四草は眉を上げた。
「天狗座来るついでに遊びに来るし、て言うてました。」
「そら誰でも最初はそう言うけどなあ、結局は毎日会うてへんと疎遠になってまうていうか、去る者日々に疎していうヤツやで……。」
「それもまあ人生経験てヤツです。第一、ここから東京行くとか京都に引っ越すとかやないんですから。」
「……まあ電車で一本か。」
「乗り換えありますけどね。」
「電車賃とか嵩むよなあ……。」と言うと、今更何言ってんですか、という目で見られてしもた。
「クーラーある部屋のがいいに決まってる、て言ってたの誰ですか。」
そやねん。
喉元過ぎれば熱さを忘れるていうか。
とりあえず車買えるくらい稼いだるで~て思ってたけど、ここを離れるとなると寂しいていうか。暑い間にあの古い扇風機の前に誰が座るかて競争したりすんのも、冷蔵庫にぎゅうぎゅうに西瓜詰めるのも、それなりに楽しかったやんか。
「部屋にストーブも置けますし、子どもにしても、受験になったら一人部屋がある方がいいでしょう。」
「せやんな~。オレは受験せんかったからオヤジと兄さんのお稽古は勉強の邪魔やと思ったことないけど……基本的にお稽古うるさいしな。」
「そうですね、」と言って四草はふっと口元を緩めた。
「あっ、お前何想像してんねん。」
「『お稽古』のことです。」と余裕な顔してる四草の顔見てると、頭叩きたくなってきた。
なんやねんもう……思わせぶりな顔して。
「やっぱプロレスのままにしとけば良かったやんか~。」
そらまあ、プロレスやるから先に寝てたらええわて子どもには言えへんからお稽古でええわ、てオレも言いしましたけどぉ……。
「夜の『お稽古』に使ったもんも、今から早めに片付けていかななりませんね。」
お前そんな話、真昼間からする話とちゃうやろ、て考えたのが顔に出てたのか「こんな話子どもの前で口に出来ませんから。」て、お前どの口が言うねん。
まあ、色々買ったもん、確かにいつまで隠しておけるかと思ってたけど……やっぱ捨てんとあかんか。
「……買ったばっかのヤツもあるけどな。」
四草は往生際の悪い顔して、と言わんばかりの顔で、「あんなもん、段ボールの中に隠しておけるとでも思ってんのですか?」と正論を打った。「そもそも、箱潰れたりテープ取れて業者に見られたら終わりですよ。」
「そんくらい、分かっとるがな。」
勿体ないし、捨てる前にもっぺんだけ着といてもええけど、オレの口からは言えへんなあ、て思ってたら、「捨てるんなら捨てるなりに再利用できないくらい使い倒しましょうか、」と四草は笑った。

……まあオレはそれでええけど。
引っ越しの日取りの話はどないすんねん、と言うと、後で子どもと一緒に考えましょう、と言って、オレより子どもみたいな男は、ゆっくりと顔を近づけて来た。
ちょ、待てて。
オレまだ着替えてへんぞ、しぃ。

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