初恋キラー・キラー

※モブ女児

 実のところ、明浦路司はモテる。結構モテる。
 身長一八六センチ、タッパはあるが柔和な雰囲気のおかげで親しみがある。多少筋肉がつきすぎのような気がするが、鍛え上げられた筋肉とキュッとくびれている腰、そこから伸びる長い足は日本人離れしたスタイルの良さだ。クリッとした目が印象的な少し童顔の顔だって悪くない。全身全霊で一喜一憂している様子は傍から見ると暑苦しいが、それが自分だけに注がれた時にはとんでもなく甘やかなものになる。
 現在司はルクス東山FSCで結束いのり選手のコーチをしている。それとは別にクラブの体験レッスンの先生もしている。
 そこへやってくる子どもたちの気持ちになってみて欲しい。初めて触れる習い事。背の高いお兄さんがリンクの上で手を引いてくれ、どう動けばいいのか丁寧に教えてくれる。少し滑ることが出来たら全力で喜んでくれる。すごいね、ととびきりの笑顔を向けてくれる。
 そんな状態でキュンとしない子がいるだろうか。いやいない。
 加えてタチの悪いところは、本人にモテている自覚がないところだった。周囲がどれだけモテると言っても、多少は気をつけるように言っても、「え~、気のせいだよ~」の一点張りである。
 そのせいで被害が拡大していることに全く気が付いていない。相変わらずとびきりの笑顔で女児を惚れさせ、全力の褒め言葉で男児のハートをキャッチしていた。
 付いたあだ名が初恋キラー。ただし本人のあずかり知らぬところで。
 しかし強いのは女児だった。年齢の関係で女児と呼ばれるものの、中身はもう立派なレディだ。探していた白馬の王子様、将来のお婿さん候補が見つかったとなれば猛アタックするものだ。

 体験レッスンを受けた彼女もそうだった。今日の体験レッスンは彼女ひとり。司先生は跪いてスケート靴を履かせてくれ、リンクに乗っても手を引いてくれた。その手は暖かく、正面を見れば屈んでくれている先生の顔が近くにある。先生の丁寧な説明のおかげで、三十分の体験レッスンの最後の方には一人で滑ることが出来た。転ばないで滑ることが出来た彼女は司先生の褒め言葉をこれでもかというほど浴びた。えらい、すごい、綺麗な姿勢で滑ることが出来ているね……、それらの言葉がシャワーのように降り注ぐ。
 とどめが最後の最後に向けられた、よく出来ましたの笑顔だった。その時に感じた胸の高鳴りは、確かに初恋だった。楽しかった? もしもっとやってみたかったらお父さんやお母さんと相談して、ぜひまた来てくださいね。そう言われて体験レッスンが終わる。
 正直なところ、彼女がフィギュアスケートを選ぶかは分からない。他に体験したバレエやピアノ、体操教室だって楽しかった。その中からどれを選ぶのか、彼女はまだ決めきることが出来ていない。
 しかしこのフィギュアスケートのクラブの先生は好きだ。今までは同じチューリップ組のたくやくんが好きだと思っていたが、勘違いだった。この。あか、あけ……? 司先生が一番好きだ。結婚したっていいくらい!
 そういうわけで彼女は早速行動した。レッスンが終わり、帰るまでの僅かな時間で司先生を探した。そりゃあもう必死だった。だって好きな相手にはちゃんと好きと言わなければならない。
 そうして見つけたのは廊下の奥のとある部屋の前だった。実のところその手前には関係者以外立ち入り禁止の立て看板があったのだけれど、彼女は気が付かなかった。女児には読めないし、そもそも恋は盲目だ。
「司先生!」
 そう言って彼女は司先生の足に抱きついた。
「結婚してください!」
 そう言うと大人が喜ぶことを彼女は知っていた。父親に言った時は手を握って感激されたし、親戚のおじさんに言った時は笑いながらそのうちな! と頭を撫でられた。だから好きというよりは結婚しての方がいい、という女児なりの判断である。
 しかししばらく経っても何も反応が返ってこない。ようやく女児は上を見上げた。
 改めて見ると、しゃがんでいない司先生の顔はかなり遠くにある。その顔をじっと見つめても、喜びや笑顔が浮かんでいなかった。あれ、おかしい。彼女はそこでようやくいつもと雰囲気が違っていることに気が付いた。司先生の近くに真っ黒な人が立っていたことにもそこで気が付いた。
「……ねえ」
 低い声は黒い人から発されていた。その人はゆっくりとしゃがみ、サングラスを取って彼女と目を合わせた。黒い人は白い肌にひんやりとしたお月様のような目をしていて、司先生ほどではないが、かっこいいな顔立ちをしていた。
「司先生は君とは結婚出来ない」
 黒い人は落ち着いた声で言った。結婚出来ない?
「どうして?」
「司は僕のお嫁さんだから」
「ちょっと! 何言ってんだアンタ!」
 彼女は司先生の方を見た。真っ赤な顔で黒い人に怒鳴っている。しかし黒い人は彼女の目を真っ直ぐ見ていた。そこには笑顔もなく、ただ真剣な言葉があった。
「男の人なのにお嫁さん?」
「そう」
「……わたしと結婚出来ないの?」
「うん。諦めてね」
 あきらめる、の意味が彼女ははっきりとは分からなかったけれど、司先生と結婚出来ないことは伝わった。それが冗談ではなく本当だということも分かってしまった。彼女は再び司先生を見上げた。
「ごめんね」
 こちらに屈んでくれた司先生は困ったような顔をして彼女に答えた。ちっとも嬉しそうな顔をしていない。それを確認して、彼女は司先生の足から離れた。
「……ふん、じゃあたっくんと結婚する」
「うん、お幸せにね」
「じゃあね!」
 なぜか黒い人に幸せを祈られ、少女の初恋はあっけなく散ってしまった。母親のところに戻るとどこ行ってたの! と怒られたが、彼女は何も答えずぎゅっと抱きついた。初めての失恋は苦いものを飲み込んでしまった感じとちょっと似ていた。ピーマンを無理矢理飲み込んだ時みたいで、早く忘れてしまいたい苦みだった。

       *

「……大人げないですよ」
 じとっと睨んでくる司を夜鷹純は鮮やかに無視した。
「事実を言ったまでだよ」
「言わなくてもいいこともあるだろ……!」
「何、浮気?」
「小さい子に浮気も何もないでしょうよ!」
「どうかな、君は簡単に浮気するから」
 実のところ、夜鷹がこういった光景を見るのは初めてではない。司はいつの間にか誰かに愛を囁かれていて、司もその愛を簡単に受け取ってしまう。おかしい。司は夜鷹のものであるはずなのに。
「あっちだってそんな真剣なわけないのに……」
「何だろうと君が取られるのは癪だ。あと君にも警戒心がない。もっとちゃんと断って」
「はいはい」
 適当に聞き流す司の襟元を掴み、夜鷹は口付けた。舌を入れると思いきり背中を叩かれる。それがまた癪で、夜鷹はそのまま思いっきり深くキスしてやった。満足するまで貪ってやると、司は目を潤ませ真っ赤な顔で夜鷹を睨みつけていた。……この顔を他人に見られるのは嫌だな。司が知ったらまた怒りそうなことを夜鷹は思っていた。
「こんなとこで! やめてください! 職場なんですよ!?」
「自覚がない司が悪い」
「あー……もう! 分かってますよ!」
「何を?」
「俺は……純さんの恋人です」
「お嫁さんね」
「でもまだプロポーズされてないし」
「ふうん」
「あ、これフリじゃないですからね!? 純さん!?」
 頭の中で算段を立てながら、夜鷹はもう一度キスするために司に近づいた。しかしその気配を察したのか、司は顔の前に弁当袋を掲げた。夜鷹が届けに来たものだった。
「おっお弁当届けてくれてありがとうございました! 助かりました!」
「……次は忘れないよう気をつけてね」
「はい。すみません」
「あっちに戻るなら、もうちょっと顔の赤みが引いてからの方がいいよ」
 再び顔を真っ赤にした司の誰のせいで、という文句を背中で聞きながら、夜鷹はルクス東山のリンクを後にする。そのまま帰りしなに寄る店をいくつか思い浮かべた。帰ってきたら覚えておきなよ。

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