雄弁なしじま(探検家パロ)

【あらすじ】
地質学者のHiMERUと文化人類学者の燐音は、未知の島を調査中ふたりして深い穴に落ちてしまった!

※アリアドネ衣装のカード絵見て思いついた謎パロです





 二十数年生きてきてようやく理解したのは、ツキは平等じゃないっていう残酷な真実だった。神さまに愛された奴、見放された奴、そのどっちでもない奴。きっと産まれる前からある程度運命づけられているのだろうと、大人になった今、漠然と考えることがある。

 ああ今日は満月だったか、と天を仰ぎ見てどうでもいいことを思う。丸い額縁に切り取られた夜空にぽっかりと浮かんだ白い月は、同僚の彼の頬へ清らかな光を降らせた。
 月光は誰の元へも平等に降り注ぐ。俺が聖人君子であれ極悪人であれ──暗く深い穴の底で途方に暮れる、ただの学者であれ。
「ハッピーバースデートゥーミー、ハッピーバースデートゥーミー、ハッピーバースデーディア……」
「うわ、気でも狂ったのですか」
「いや正真正銘燐音ちゃんのバースデーよ」
 満月が天頂付近に来ているのだから、丁度日付が変わる頃合だろうと当たりをつけた。天文学は門外漢だけどな。
「メルメルも祝って♡」
「──はあ、おめでとうございます」
 彼は気のない返事をすると再び三角座りの膝の間に顔を埋めてしまった。同僚としてはそこそこ長い付き合いのはずなのに、味も素っ気もねェときた(まあいきなり優しくされても死亡フラグがビンビンに立つだけだが)。俺っち悲しい。
 つーか〝気でも狂ったのですか?〟なんて、キラキラした目で土撫でてうんちく垂れるような狂人に言われたくねェっての! と逆ギレしてやりたい気分だ。でもここはぐっと耐えてやるさ。体力の浪費は避けたい。
「あ〜あ。こんなクソみてェな場所で誕生日迎えることになるとはな。流石の俺っちも予想してなかったっしょ」
「こんなクソみたいな場所で何時間も天城とふたりきりとは、流石のHiMERUにも予想がつかなかったのです」
「おっ、その喧嘩買った♪」
「お生憎さま、非売品です。はあ……元気だけは有り余っているようで何よりなのですよ」
 物言いがいちいち刺々しいのは状況が状況なだけに仕方ない、許してやるとする。俺の心が広いことに感謝するんだな。
 メルメルと揃って謎の縦穴に落ちたのは辺りが暗くなり始めた頃。つまりそろそろ六時間近くここに閉じ込められていることになる。そりゃ苛立ちもするだろう。俺だって何とかならねェかなとずっと頭を捻ってる。壁をよじ登ろうとしてみたり、大声で助けを求めてみたりしたけれど、どれも徒労に終わった。
「俺っち達、このままここでくたばンのかなァ……」
「馬鹿言わないでください、どうにかしてくださいよあなた隊長でしょう?」
「つってもよォ……」
 やれることは全部試した。それでも出ることが叶わなかったから、今こうしているわけで。
「ニキとこはくちゃんに探してもらおうにもこの暗さだ、夜間の捜索は無謀だろ。せめて電波が通じりゃあなァ」
「──目的は判然としませんが、この縦穴は明らかに人工的な産物です。近くに集落があるかも」
「もしそうなら大声出した時に誰か覗きに来てるっしょ。来ねェっつーことは、そういうことだ」
「……」
「『若き研究者二名、絶海の孤島で失踪』なァ〜んつって! イケメン博士達の足取りは掴めぬまま、謎は迷宮入り……ってな。きゃはは」
「……」
「メルメル? おおーい、死んだ?」
「……改めて絶望していたのですよ……天城と、よりによって天城と、心中だなんて……っ」
 うわこいつ本気で嫌そうだよ。えらく顔の整った優男で専門誌やTVの取材に引っ張りだこな『HiMERU先生』は見る影もない。その渋面ファンの皆さまにお見せできンのかよ。
 直径五メートルはある縦穴のあっち側とこっち側に座り込んだ俺とメルメル、この空間がそのまま俺達の心の距離だ。こりゃあ孤独に死にゆくよりよっぽど寂しいかもしれねェ。おもむろに立ち上がり、彼の傍まで歩くとすとんと腰を下ろした。隣り合った肩と肩が触れ合うほど近くへ。
「げっ、急に何ですか」
「ン〜。冷え込んできたから、暖を取ろうかと」
「どうせ死ぬのに?」
「死ぬ前にちっとは良い思いさせろよ。あ〜、ぬくい」
 肩を抱けばシャツ越しにあたたかな体温が伝わる。突き飛ばされるくらいは覚悟していたが、あっさり受け入れられて面食らったのは俺だ。もうそんな気力も失せたのだろうか。
 大きく肌蹴た胸元が寒そうだったから(目に毒だったという理由もある)、自分が羽織っていたジャケットを掛けてやった。気に入りのハットが目元に影を落とし、その表情は窺えない。俺達はしばらくの間黙ったまま、そうして寄り添っていた。
「あ〜……なァ、最低なこと言って良い?」
「──大方想像はつきますが、どうぞ」
 ダメ元ではあった。けど最後だし、嫌いの上限はとっくに振り切れてるから今更痛くも痒くもねェし。そんな馬鹿の理屈で自棄っぱちを発揮した俺、渾身の土下座。
「ヤらせてください」
「……」
 ふたりの間には今再びの沈黙が横たわる。ただし先程までのような穏やかなモンじゃなく、ひりひりとした緊張を伴うしじま。
 あ、怒ってンな。だよなァ〜それが当然の反応だよ。おめェは悪くねェ。悪いのは俺。そうやって全部俺のせいってことにしておけば良い。たとえ本当に死んじまっても、おめェが自分自身を責める必要はない。
 目を閉じ口を閉ざしていた男は、唇を僅かに動かして何事かを囁いた。音にならなかったそれは空気をほんの少し震わせただけ。
「……、──」
 さて、俺は文化人類学の専門家である。そして研究の過程で何やかんやあり、読唇術を習得している。音にならずとも伝わる言葉があることを知ってるっつーわけ。
 そんでメルメルはなんつったと思う? 「キスなら、許します」って言った。ガチ。今際の際に見る都合の良い幻覚とかじゃなければ、だけど。いや〜、もうすぐ死ぬってわかったらここまで自暴自棄になれンの、人間? この経験を論文の形で残せないのが無念すぎる。
「……いーの? ホントにするぜ」
 壁に両手を着き端正な顔面に迫る。しっかりと視線を合わせてくる彼はもう、怖いものなど何もないような顔をしていやがる。閉じた瞼を親指でそっとなぞってやれば、そこを隙間なく縁取る睫毛がわなないた。吐息が混ざり合う。ああなんか、変な気分になってきた。俺は手を伸ばしハットのてっぺんに掌を乗せて、それから、
「な〜んてな」
「わぶっ」
 おりゃ、とずらして思いっきり顔に被せてやった。おうおう、大した悲鳴だな。
「しねェよ馬ァ鹿、せいぜい俺っちに弄ばれて地団駄踏んでな。死ぬまでな」
「〜〜〜ッ、天城っおまえ! おまえ……!」
 おまえが死ぬ前に殺してやる、と恨み言を吐く奴から、ぱっと身を離して距離を取る。そうしなきゃ不味かったのは、俺の方だ。どうせ死ぬなら腹上死も悪くねェか、なんていう邪な気持ちは瞬く間に吹き飛んでしまった。単なる生殖欲求ではない、〝こいつを支配したい〟という確かな衝動が湧いていたのだ。キスなんかしようモンなら、その衝動を恋と勘違いしたままポックリ逝って幽霊にでもなってたかもしれない。
(危ねェ危ねェ、恋なんざ冗談じゃねェっての……)
 ビジネスパートナーとして互いに深入りせず、まあまあ心地好い関係を築いてきたはずなのだ、俺達は。安寧秩序に守られた盤を最後の最期でひっくり返すわけにはいかない。
 平常心を取り戻すべくズボンのポケットから取り出したくしゃくしゃのセブンスターを咥え、百円ライターで火をつける。こんな時ですらメンタルを安定させてくれるニコチン様々だ。だいぶ消耗しているせいで重めのヤニクラを喰らってぶっ倒れそうになったが。
「……火」
「ん?」
 声のした方に顔を向けてぎょっとした。項垂れていたはずのそいつが猛然と襲いかかってきたからだ。当然避けられずモロに衝撃を受け止めた俺は、諸共に地面に倒れ伏した。
「いっでェ‼ 何、」
「火! 何か燃やすもの……、脱げ!」
「ちょっテメ、何すん、アッー!」
 押し倒した勢いのままシャツを剥ぎにかかるメルメル。目が据わっている。無抵抗のままあれよあれよと裸に剥かれ、俺の着ていた服は哀れにも焚き木代わりにされてしまった。煙草の比じゃない量の煙がもうもうと立ち上ってゆく。
「これで……、狼煙に気づいて、誰かが助けに来てくれるはず……」
「ンな上手くいくかねェ……」
 むしろ見つけてもらう前に俺たちが酸素欠乏症になってくたばるのが関の山じゃねェかな。なんて主張したって今のあいつには届かないだろう、正気じゃねェもん。
「桜河、椎名、誰か……」
 神さまに縋るみたいに仲間の名を呟いた時だった。ざかざかと茂みを掻き分ける音がして数秒ののち、縦穴の中に──と言うか炎の中に何かが飛び込んできた。猪の子供だった。
 不運にも俺達の目の前で焼かれる羽目になった猪は、次第に美味そうな匂いを放ち始める。ほらな、ツイてねェ奴は産まれた時からツイてねェんだ。残念だったな。
「燐音くん、HiMERUくん!」
「見つけた……! 今助けたる、もうちっと気張りや!」
 そんで俺達は最終的にはツイてた。ただそれだけの話だ。



 縦穴から引っ張り出されたメルメルとパンイチの俺は、早速こはくちゃんから白い目を向けられて縮こまっていた。
「……事後なん?」
「いや、事前」
「誤解を生む言い方はやめてください」
「あ〜うん、ともかく助かった、サンキュ。よく見つけられたな」
「そりゃあ、ニキはんが」
 顎で示す方を見やれば、腕捲りをしたニキが芸術的な猪の丸焼きを創造しているところだった。
「ジビエの匂いに釣られて走ってきたら、たまたま燐音くん達を発見したっす」
「……おう……知りたくなかったわ……」
「おん……知らんかったことにしたって……」
 苦笑を返しつつ、気取られぬようそっと息をついた。知りたくなかったこと、俺にはもうひとつあるンだけどなァ。胸中で独りごちる。勿論誰にも言うつもりのないことだ。
 指先に残るあいつの瞼のなめらかさ、睫毛の長さ、掌の熱さに甘い香水の匂い、知らなかった頃にはもう戻れないことも、知ってしまった。生き残る予定じゃなかったからほとほと困り果ててしまう。さあこれからどうしようか。
 琥珀ともシトリンともつかない瞳が黙って背中に突き刺してくる眼差しに気づかない振りを決め込む俺は、ひとつ大きなくしゃみをした。

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