さよならを、/チカ涼(2023.9.17)
髪を伸ばそうと決めたのは、自分が両親を殺してしまったと気がついた時だった。
両親が亡くなったあと、気持ちを落ち着けるのに随分時間が必要だった。自分が持ってしまったらしい能力について理解するためには、それよりももっと多く。人と話しているとき、不思議そうな顔をされることが増えて、どうして動かないんだろう、と思うようになった。それが、あの時と同じだと気がついてしまえば、あとは簡単だ。ただ、己を責めるだけの日々が来た。
どうやら、このわけがわからない力は、自分の視界のうちにだけ効果があるらしい。それなら、髪で視界を塞いでしまえばいい。僕さえいなくなってしまえば、と何度も思ったけれど、その度に両親の顔を、母の遺した言葉を思い出す。いつか必ず、誰かのためにこの力を使おうと、心に決めていた。
ダン、ダン、と重い音が反響しているのが耳に届いて、体育館に近づいていたことを知る。涼を待つ間は、教室で勉強したり、校内を適当に散策したりしていて、後者の場合はたいていここを通る習慣がついた。
「あとで待ってる」と言ったのだ。いつも通り教室で待っているから、一緒に帰ろうと約束をした。
一週間前のことを思い出すのは骨が折れる。あまりにも予想外のことが起こって、どうしたって頭が追いつかないから。インパクトがあるところばかりが強くて、それ以外はなんだかぼやけている。どうやってまた学校に戻ってきたのか、だとか。
涼ちゃんはバスケを教えるのが上手い。そもそも、スポーツ推薦が狙えそうなくらい、自分がプレイするのも上手いけれど、授業がバスケットボールになる度に涼はチカラのペアになって、基礎から教えてくれた。
そのせいか、運動は全体的に苦手なのに、バスケだけはすこしだけ好きだった。涼がいなければ、この学生生活ももっと味気なかっただろう。
この一週間は長かったようにも、短かったようにも思える。風子とアンディの言うことには、世界の言語が英語に統一されてしまったらしい。そして、チカラたちのような否定者はそれから爪弾きにされた。翻訳機なしには、もう元のようには話せないんだそうだ。
「一週間、楽しかった、な」
声に出してみる。学校やテレビも含めてみんな、流暢な英語を話すようになって不安で仕方がなかったのに、またここに戻ってくることができた。それだけじゃない、死にかけたのに。
迎えが来るのは今日だ。涼ちゃんになんて言うのが正解だっただろう。バスケ頑張って、とか、元気にしてて欲しいとか、ありきたりな言葉ばかりよく浮かんだ。考えてから、本当に行くのだろうか? 自分に疑問を抱く。想像だけで手も足も震える、逃げ出したくなるような人間が?
ずっとここで、涼と学生生活を送りたいと言ったって、風子は笑わないだろう。チカラに猶予をくれた、やさしい人のことだ。
床を打つ音が軽く、間隔が短くなる。相手チームの間をすり抜けて走っていく涼のことを思い浮かべた。嘘になってしまうな。きゅっ、とシューズに負荷のかかった時の音がしてドリブルが止んだ。待ってるって言ったのに、嘘になってしまう。チカラの頭の中、涼の長い腕が伸びる。綺麗な放物線を描いて輪の中にボールが飛び込んだ。それは確かに気掛かりで、それでもチカラは、「行くのはやめよう」とは思わなかった。思えなかった。
深呼吸、背を向ける。さよならを、言えなかったな、すこしだけ思った。
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