R18 コウ名無 友人、破綻、熱情

友人、破綻、熱情
名無しの行きつけのバーは静かな場所と騒がしい場所が完全に分かれている。例えばカウンターから離れたテーブル席は集団客が多く、荒くれているものも多い。従って自然と騒がしくなり、彼らがいない奥のカウンター席は自然と静かに酒を飲みたい客の場所として固定されていった。バーのマスターは面倒くさがりというか、そういった客のトラブルに慣れすぎてしまうくらい、有能であったから、初めから暗黙のルールを作ったのである。
『客と周りをよく見ろ、他の客に干渉するな、何より俺に迷惑をかけるな』
 この掟は酒飲みとしては特に問題なかったので受け入れられたし、受け入れられない客は大体迷惑客だったから、バーの中は一気に平和になったのであった。そんなバーのマスターに敬意を持つべきだということはわかっているから、名無しは安心して酒を楽しむことが出来たし、金払いのいい名無しをマスターは上客として認識している。
 そんな時間を数ヶ月過ごした頃。
 1人の青年が、このバーにやってくるようになった。正確には彼の方が先の常連客で、来店の時間がずれるようになったのだとマスターはいう。彼も静かな場所で酒を頼み、時にマスターの話に耳を傾けて1人酒を楽しんでいるのだそうだ。興味はなかったが、何せ店内は狭い。一番奥のバーカウンターなんて五席位なんだから、自然に隣で酒を飲むことも増えていった。そうなると自然に会話が発生することも珍しい話ではない。男の名はコウイチロウと言った。
「?」
 自分には名前はない、と名無しから聞いてコウイチロウは特に何も言わなかった。ふざけているわけでも、何かおかしい思考に支配された人種でもない。無害だからこそ、特に掘り出すことはしなかったのだろうが、名無しは自分が続けて吸血鬼であることを告げると、どこか腑に落ちたようにコウイチロウは酒を口に含んだ。
「……僕はハンターです。……狂った吸血鬼専門の」
 そうか、とだけ名無しは返した。正義に狂って無闇に吸血鬼を殺すハンターも少なからずいる。しかしコウイチロウはそうではないことを察して、名無しもまた口に酒を含んだ。
 それからだろうか。二人が哲学的な対話を始めたのは。酒が不味くなりそうな話題かも知れないが、二人はお互いの異なる価値観をすり合わせて対話することを好んだ。例えば命の話。命の話にも様々な問題がある。いわゆるジレンマを起こさせる問いの解から、最期の日を知ることが出来たらどうするか、己の命の価値について、などなどなど。それだけではない。本の感想やら一つの議題について何日も対話することがあった。
「宿題ですね」
 時にお互いわからない価値観の話も出てくる。しかしお互いそれを説き伏せることはなく、次回までに頭を冷静にして自分の考え方をまとめてくることを宿題としてお互いに課して別れるようになった。いつもの時間にいつもの場所にいる。そんな関係になっていった。
 それから少し経つと、名無しはコウイチロウの仕事を手伝うようになっていた。相手を仕留めるのはコウイチロウの仕事だが、足を止めたりコウイチロウを補助したり、気まぐれな行動でしかなかったが、お互いにしたいこととできることを見定めて的確に仕事をこなしていくようになる。
 しかしある日、ついに間違いが起きてしまった。
 魅惑術を操るタイプの吸血鬼の術をまともに食らってしまい、コウイチロウが動けなくなってしまったのである。元々痛みにコウイチロウは強かったし、術も効きにくかったから、放置しておけば問題ないとは言ったが、何せ効果があまりに強く、コウイチロウはひどく苦しそうだった。
 名無しは自分の体を捧げた。友人と肉体関係を持ったのである。
 何十年ぶりの快楽は名無しの記憶をねじ起こし、ひどく快楽を求めていた頃に脳を引き戻してしまった。もうそこからは沼に落ちていくような感覚だった。コウイチロウが正気を取り戻して数日経っても快楽が忘れられない。ひどくコウイチロウが欲しい。どうしようもなくバーに行くことを名無しはやめ、住処である城の部屋から出ず、一人どうしようもできない感覚に苦しめられるしかできなかった。
 ところがこれで済まないのがコウイチロウである。彼は真面目にも性的な知識を持って、名無しの城を訪れた。
「何しにきた」
 自分は快楽漬けにされて生きてきた。その記憶が戻ってしまい、薄汚い躾をされた肉体を友人に差し出すのは己の尊厳が許さない。淡々と名無しはコウイチロウに告げた。だがコウイチロウは少し悩んで言ったのだ。
「ならば僕が上書きします」
 こうして二人は友人であり、パートナーであり、愛人の関係になったのである。

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