分別

 夜鷹純はとにかく分別が上手かった。
 要・不要は勿論、快・不快、果ては好悪まで仕分けてみせた。その手腕は鮮やかだった。
 それこそが彼の美しいスケートを生むのだと誰かが言った。不要なものを取り除き、必要なものを磨き上げる。適切なものを適切に積み上げる。だからこそあんなに美しいのだと。
 だから悩んだことがなかった。純がいると思えば必要であるし、いらないと思えば不要である。

「純さん! これ燃えるゴミに入れないでって言いましたよね!?」
 そんな夜鷹純は今、ゴミの分別で叱られている。同棲相手の明浦路司が目の前に掲げているのはペットボトルだ。リビングのソファーに座ってぼおっとしていた純はそんな司をぼおっと見た。起きたばかりの純には司が言っていることがよく理解出来ず、何か言っているなあくらいしか分からなかった。
「これ! 前もそのままだったし……。前にキャップは外してとも言いましたよね」
「……燃やせば何でも燃えるんじゃないの」
「そういう人がいるからゴミ収拾の業者さんたちは苦労してるんでしょうね」
 呆れた、と司の顔にでかでかと書かれている。それに腹を立てていた時期はとうに過ぎ去っていた。今ではよく見る顔だな、と思う。大体数日に一度はそんな顔を見ているのだ。同時に純の反省の無さも現れている。
「ペットボトルはペットボトルなんですよ。キャップは資源ゴミ」
「ふうん」
「ふーんじゃなくて! ペットボトルはこっちの袋! キャップはこっちです!」
 司はキッチンに置かれている袋をリビングにいる純にも見えるように掲げて見せた。一応純の目には見えているものの、そうなんだ、としか思えなかった。次も司の言うとおりに分けられるか、正直あまり自信がない。
「袋置く場所が分かりにくいかな。俺の置き場が悪い?」
「そうかもね」
「もー! 純さんもちょっとは覚えてくださいよ!」
 俺ももうちょっと工夫しますから! と大声で言った司は、未だにリビングでごそごそと何かをしていた。もう少ししたらその捨てる場所とやらを見に行ってやってもいい、と思いながら純は窓に目をやった。同棲するようになってから司が取り付けたカーテンがひらひらと揺れている。

 最初にゴミ袋が一つしかなく、カーテンすら掛かっていない部屋にやってきた司はぎょっとした顔で部屋を見渡していた。それからそわそわし始めた司を純は放っておいた。勝手に緊張しているのかと思ったのだ。
「俺、ちょっと部屋の中触ってもいいですか?」と聞いてきたのは二度目の訪問だった。嫌ならいいんですけど、という司の顔はやけに真剣で、そんな顔をするくらいなら好きにすれば、と純が答えると本当に好きにした。と言ってもリビングを適度に片付け、生活を送るのに足りないらしいものを揃えて置いていったくらいだった。とは言え、部屋の印象は少し変わった。
「どうですか?」
 その部屋は純の知る部屋ではなかったが、言われてみると確かに生活感というものが生まれた気がする。フライパンや皿が置かれたキッチンや、テレビの近くに置かれたゴミ箱、テーブルの上に置かれたティッシュ。
「司はこういう部屋の方が暮らしやすい?」
「そうですね。俺はこういう部屋の方が暮らしやすい、かな」
 あ、でも前の部屋を否定しているわけではなくて、さっきの部屋はさっきの部屋で夜鷹純らしくて解釈が合うっていうか、夜鷹純ってこういう部屋に住んでるよな~分かる~って感じで、え、あ、ってことは俺、夜鷹純の解釈曲げちゃった!?
 一人でわーわー言い出して部屋を元に戻そうとする司を羽交い締めにするのは、それなりに骨が折れた。俺の夜鷹純が……と言う言葉はいいけれど、純が思う好ましさとは違う響きを持っていた。勝手なパブリックイメージの夜鷹純はどうでもいいだろ。
「君が暮らしやすい部屋の方が、僕も暮らしやすい」
 そう言ってやると、ようやく司は抵抗をやめた。ついでに赤くなっている頬にキスを落とすと更に顔が真っ赤に染まる。大人しくなった司の手を引いて寝室に向かうと、大人しくついてきた。こういう生活も悪くない。純はそんなことを思った。

「純さーん。俺買い物行ってきまーす」
 朝から忙しなく動いていた司はまたばたばたと自分の部屋に入っていった。きっと着替えに行ったのだろう。
「僕も行く」
 ノックして司の部屋に入ると、着替え途中の司と目が合った。純の言葉にへらりと笑っている。
「一緒に行ってくれるんですか? 外は結構暑くなってきてますけど大丈夫?」
「……行く」
 名古屋の暑さを思い出してげんなりしたけれど、結局行くことにした。自分が行かなくても司は行くし、司は一人だと日傘をささない。地獄のような炎天下でも大丈夫です! と飛び出して行ってしまう。
「じゃあ夜の分のご飯も買おうかな。純さん、今日なに食べたい?」
「司の作るものなら」
「それは無しっていいましたよね?」
 あなたはいつも俺の作るものならっていいますけど、それって何でもいいと同じですよ。何食べたい? には何でもいい、って返答が一番困るんですよ。
 同棲前から純の家に来る度何かしらの料理を作ってくれていた司は、毎回純のリクエストを聞いてくれた。それに何度か同じ返答すると、淡々と言われてしまったのだった。そこから司のいつもの質問はなかなか困る質問になってしまった。だって純は食事に興味がない。それほど量は食べないし、司が作ってくれるものなら本当に何でもいいのに。
「……ポタージュ。冷たいの」
「いいですね。ヴィシソワーズ作りましょうか」
 とは言え、恋人の言うことは出来るだけ守ろうとしている純だった。慎一郎がこのことを知ったら健気……! と目頭を抑えるかもしれない。もしくは本当に純かと疑ってくる可能性もある。
「じゃあ行きましょうか!」
 着替え終わった司は室内でも眩しい笑みを浮かべて純に言った。そのまま部屋を出て行こうとする司を純は引き止める。
「司、ちょっと待って。それじゃなくてこっち着て」
「え?」
「見えてる」
 純が首元を押さえてやると、司は顔を真っ赤にした。そのまま口をはぐはぐと動かし、それから思いっきり純を睨みつけた。
「そういうのはやめろって言ったろ!」
「今日は休みって言ってたから」
「スーパーくらい行きますよ……!」
 もうさあ、としゃがみ込んでしまった司の髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜていると、下の方からはあ、と溜息が聞こえてくる。
「もう出ない?」
「いや! やっぱりスーパーは行きます!」
 勢いよく立ち上がった司は勢いよく着替え始めた。純が司に渡した白シャツは眩しく、思わず目を細める。
「じゃあ行きましょうか」
 そう言って伸ばしてきた手を取って玄関から出る。エントランスに行く頃には解かれてしまう手だけれど、今は握っていてもいいだろう。
 案の定外は暑かった。まだ初夏だというのに、ここから来る夏はどうなってしまうのだろう。
 それでもやっぱり着いてきてよかった、と純は思った。こんなじりじりと焼けるような日差しの中に無防備な司を放り出すわけにはいかない。男二人でも入れるくらい日傘はその大きさで人目を引いてしまうけれど、今日はほとんど人とすれ違わなかった。それもよかった。
「純さんの日傘、大きくていいですよね」
 そう言って隣に収まっている司は相変わらず眩しい顔で笑っている。いい加減司用に買ってある日傘を使わせなければ、と思うけど、こうして隣にいる姿を見るとなかなか渡せないでいる。もう少し、梅雨が過ぎて本格的な夏が来たら渡そう。
「たまにふっと吹く風が気持ちいいですね」
「うん」
 まだ少しの涼しさを含んだ風が頬を撫でていく。こうして外に出て季節を感じるようになったのは司が隣にいたからだった。純ひとりだったらこんなよく晴れた暑い日に部屋の外には出ない。しかしこうして心地いい風を浴びることもなかった。
 昔、まだ氷上で生きている自分だったらいくつ切り捨てていただろう。きっとこの生活そのものを切り捨てていた。
 それでも純は氷の上から降りた。陸の上で不格好にもがきながら、生きていくのに切り捨てなくてもいいものがあることを知った。
 むしろ切り捨ててはいけないことばかりで、未だに判別をするのが難しい。ふっと手を離してしまったものが大切なものだった、なんてことが何度もあった。それらはどうにか死に物狂いで取り返してきたが、もうあんな思いをするのは二度とごめんだ。氷上では完璧でも、陸の上では間違えてばかりだった。
「あーいい日だなあ」
 司は上を見上げている。純も同じように見上げると、雲一つない青空が見えた。澄んでいて、どこまでも青が広がっている。その下にきらきらとした金色が見える。それは純の隣に収まっている。
 いい日だね、と言うと、その金色はまた一段と明るい顔で笑った。



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