亜・恋愛
「あ、という概念を取り入れてみようと思うんだけどさ」
「あ?」
また何やら変なことを言い出した|熱美《あつみ》は出し抜けに私にスマホの画面を見せてくる。画面にはTwitterの検索欄。
「え? だから何が何?」
「あ、だよ、あ。これこれ」
熱美の指さす先には、Twitterの検索窓に「亜」の文字。
「あー」
「亜熱帯、の亜ってさ、あまり普通に話すとき使わないじゃん。Twitterとかでもさ」
「うん」
私はよくわからないままとりあえず相槌をうつ。
「それを私たちは使ってみよう、って」
「はあ」
私たち、って私もかい。
「亜、ってどういうときに使うの」
「亜はねー、……陸ちゃん亜熱帯って意味わかる?」
「知らん」
「えー、熱帯ほど暑くないけどそれなりに暖かい地方のことを、亜熱帯と言います」
熱美はSiriみたいな調子でそう言った(だって、なんかネットのまるまる引き写しっぽいから)。
「ふむ」
「私たちがやっているのは亜恋愛なのでは、と」
待て待て待て。
「うっそだぁ」
私は即座に否定する。
「せいぜい、亜友情だね」
私はそう言うと、びしっ!と、手に持っていた食べかけのじゃがりこで熱美を指してやった。
「亜友情……」
熱美は私が適当に口にしたワードをオウム返しすると、虚空を見つめて3秒くらいフリーズした後に、
「……って、具体的には、どういう気持ち?」
と、聞き返す。
「えぇっと……」
なんだかまた熱美のペースに乗せられている。熱美はこの世のどこの誰にも(それこそ、現実でもSNSでも)相手にしてもらえないような話に私を巻き込むのが大好きなんだ。
「さあ?」
さっきはなんか勢いで言ったけど、何だ、亜友情、って。
「さっきのは、ほら、なんか適当に言ったから……。……そう言えば、亜恋愛ーって、友情と違うの?」
「うーん、友情以上、恋人未満、的な……」
「いや、それはもう、そう言えばいいじゃん! 友達以上恋人未満、でいいじゃん! 通じるじゃん!」
「んー、まあ、それはそうかもだけど……」
熱美はまた私にスマホ画面を見せてくる。Twitterの検索窓には「亜恋愛」の文字。何でいつもTwitterなんだろう、この人は。
「亜恋愛にしかないニュアンスは、ある。と、思う、から……それを、これから見つけるから……」
「ふーん。じゃ、思いついたらまた話してねー」
私はそれだけ言って、食べかけのじゃがりこチーズ味とスマホを持って自室に退散する。
「ん……」
熱美は明らかに私との会話が名残惜しそうだけど、深追いしてこない。ういやつめ。
***
ブブ、と震えたスマホを手に取ると、LINEの通知だった。
(陸ちゃん、今話す時間ある?)
熱美だ。
(あるけど)(さっきのあれ?)
さっきの……、と送信してから考える。何だっけ。亜、恋愛、がどうとか言ってた。
(うん)(今そっち行く)
熱美は2回ドアをノックしてから部屋に入ってきて、おずおずと床に座り、なにやら神妙に話し始める。
「で、私あれから調べたんだけどさ、亜、にはよくない意味もあるみたいで」
「亜、って、亜熱帯の亜?」
「うん。亜恋愛の亜」
そう言うと熱美はニヤーっとほほえんだ。私は今さら、熱美と小っ恥ずかしい言葉を作って真面目に話し合ってるのが恥ずかしくなってきた。
「亜流って言葉はさ、背伸びして一流の人の真似っこをしてるけどダメダメ、みたいな意味なんだって」
そう言って熱美は、「亜流」と入力されたTwitterの検索窓を見せる。
「亜恋愛が、それだったら、かなりいい」
「ふーん、いいんだ。ダメダメで」
熱美はニヤニヤ笑いのまま、二度三度うなずく。
「うん。私と陸ちゃん。亜恋愛」
そう言いながら、熱美は真っ赤なニヤけ顔を体育座りの膝に埋めて、くっくっと笑う。熱美なりに、今は私に見せられない顔をしているらしい。
「熱美的には、そうなんだ。恋愛の真似なの?」
「え? あー……そう思ったことは今まで、ないけど、そうとも言える、かな……と思っただけで……」
熱美は体育座りの膝に顔を突っ込んだまま、
「……解釈による……」
と、恥ずかしそうに声を振るわせた。
「解釈、て」
「解釈、だよ。でもさ、私と陸ちゃんを解釈する人って、二人しか、いない、よね……」
熱美はそう言うと、へへ……と笑って、膝を抱えたまま足をジタバタさせている。だいぶキモい。
「それはどうかなー」
私は床にしゃがみ込むと、体育座りのまま丸くなった熱美の顔を覗き込むようにして話しかける。
「詮索してくる人って、いるじゃん。どこでも」
「そうかな……」
「そうだよー」
私が適当にそう言ったら、熱美はへへへ……と忍び笑いを漏らした。いや嬉しいんかい。
「はぁー、私が熱美に、友達からならいいよ、とか言っちゃったからかなー」
熱美に告白されたときのことを思い出す。まさか生まれて初めてされた告白が、卒業間際にクラスも3年間一緒になったことないしほとんど話したことなかった子からいきなり、なんてびびるじゃん(私は吹奏楽部で、熱美は帰宅部だった)。それで、あのとき「友達からなら」なんて、変なこと言っちゃったんだと思う。何でだか今が楽しいから、結果オーライだけど。
「陸ちゃん、今の……うちら亜恋愛だよね、ってこと?」
「んー、別に。亜友情だよねってこと」
「あ」
そっちですか、みたいな熱美の声色。そっちだよ、バーカ。
「私さ、熱美のこと他の友達みたいに思えたことなくて……」
「えっ」
「だって、そうじゃん。ほぼほぼ初対面なのにあんな距離の詰められ方したら、そうでしょ」
「う……」
「でもさ、私思うんだけど、」
一息ついて、真面目な声色を作ってみる。真面目な話はいつも苦手だ。
「亜友情と亜恋愛って、重なるよね」
「重なる……」
「私はさ、熱美と恋人っぽくも友達っぽくもできないけど……」
「うん」
「熱美といるの、楽しいからさ」
「あ、うん……」
熱美の声に、びっくりしたような吐息が混ざる。ダメだなー。何でなんだか、熱美が私を好きそうにしていると、私は嬉しい。
「楽しいっていうか、ときどき変にもなるけど」
「えっ」
熱美が驚いて顔を上げる。
「熱美が嬉しそうだと、私も嬉しいっていうか……」
「うん……」
熱美の顔がぱあっと輝く。
……さっきの、正しくは「熱美が(私のことが好きそうで)嬉しそうだと、私も嬉しい」だけど、まぁいい。
……いいのか? とにかく、そのまんま言うのは恥ずかしくて、私はそのとき、そこまでは言えなかった。
「まぁ、えっと……その、何?」
どこまで何を話したんだっけ。話したかったんだっけ。なんかだんだんよくわからなくなってきて、私は必死に取っ掛かりを探す。
「あ、あの、陸ちゃん、……もう、なんか……今日は、いいかも」
熱美がニヤニヤしながら目を伏せる。見るからに幸せで満ちた顔。
「陸ちゃん、亜恋愛のこと、忘れないでね」
そう言って熱美はがばっと立ち上がる。なんだか急に、前触れもなくバネみたいに立ち上がるから、「うおっ」と私は尻餅をつきそうになる。
「これ以上、この話してると変になりそう」
「そう?」
「陸ちゃんのこと、好きだから……。だから、変になる」
熱美はそう言って、恥ずかしそうにそっぽを向く。
こんなセリフ、熱美以外に言われたことない。本気の本気でそう思ってる? 私に対して? なんか、バカみたい。こんなバカみたいなことが現実で。なんだか、まるでごっこ遊びみたいで。でも熱美が私を想う気持ちはきっと現実で。たぶん、いや、きっと私も熱美のことが好きで、それはなんか、普通の好きと違うかもだけど、とにかく変になってる。
「でも、陸ちゃんの方は、そんなでもないのかな!」
熱美はそれだけ言って、へへへ、となぜか嬉しそうに笑って、逃げるように部屋を出ていった。何だったんだよ。
熱美のこと追いかけようかな、と思ったけど、今日はこの辺でお開きにしよう。
私が生まれて初めて本気で好きになった人。でも、これを好きと言っていいんだろうか。なんか、恋とかよくわからないうちにわけわかんなくなっちゃってる。それもこれも、熱美がわけわからんタイミングで告白とかしてくるからだ。バカ。でもそのバカのおかげで、私の人生は今明らかに楽しい。好きです。熱美のことが。バカ。バーカ。
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