それでも夜は美しいから/彰人+杏+メイコ(2023.11.19)
「じゃあ、私たちは先に帰るね」
「ああ」
「彰人も白石も、あまり無理をしないようにしてくれ」
「うん、ありがと冬弥」
隣に立った杏がふっと息をつく。公園を後にするふたりを見送ってから、「やるか」と呟いた。頷いた杏が取るカウントに合わせて、歌い出す。
このまま帰ってもなんだか寝付けないような気がする。特に目先の悩みがあるわけでもないが、彰人のその勘はよく当たった。そういう日は、布団に入っているだけの時間など無駄だと、いつも後悔するから。どうせなら、と居残り練を宣言した彰人に、珍しく杏だけが同意したために、二人きりで練習する運びになった。
「──今の、どうだった?」
「悪くはなかったが、まだ──」
一曲を歌い切って、顔を突き合わせて問題点を指摘しあう。こんなところで満足している場合じゃない。一日中歌ったあとだ、喉はもう充分すぎるほど開いている。それでも、身体がうまく動いていない、そんなイメージ。このまま今日の夜を終わらせられない。
「もっかいいくぞ。ワン、ツー、スリー、フォー──」
「♪────!!」
どんなに遠くても、あの夜は鮮烈に彰人の脳内に絡みついている。越えるのだ。もう何年も前に決めたことだ。そのために必要なことならなんだってする。
冬はすでに旅支度を始め、少しずつ夜が更けるのも遅くなってきた。じきに梅の咲く季節になるだろう。とはいえ、もう日は落ちようとしている。東京の街は街頭も多く、道が真っ暗になることも、月明かりをやけに眩しく感じることもない。なんら特別に感じない夜でも、越えると決めたからには、いつか最高のイベントに辿り着くための今日だって美しいに違いないと、信じることしかできない。
「あら、こはねちゃんと冬弥くんの言う通りだったわね」
歌に熱中していた彰人と杏に、聴き慣れた声が割って入った。はっとして周囲を見渡すが、すでに明るくはない公園には誰もいない。
「え、メイコさん!?」
驚いた杏が、ベンチに置いたままだったスマホを取り上げる。メイコは目を瞬かせるふたりに向かって軽くウィンクを寄越した。
「どうしたんすか、珍しい。それに、こはねと冬弥が言ってたって……?」
「ふたりに頼まれたのよ。今日はふたりともなんだか気迫があって、今でも練習しているかもしれないから、休ませてあげて欲しいって」
「こはねが……」
杏がぼんやりとした声で呟く。
「練習もいいけれど、もう遅いんだからちゃんと帰って休んだ方がいいわ。もし眠れなかったら、セカイに来てもいいわよ。甘いホットミルクでもいれてあげるから」
「や、そこまでしてもらうのは悪いっつーか……、でも、ありがとうございます」
メイコが彰人と視線を合わせてにっこりと笑う。さすがに、わざわざ寝る時間になってからホットミルクをもらいにセカイに行くのは恥ずかしい。子どもじゃないのだから。メイコの笑顔に優しさと有無を言わせないだけの重さを感じるのは、先ほど相棒の名前を出されたからだろうか。
「よし、」
杏が、スマホを持っていない方の手だけをぐいと上へ伸ばす。ふぅ、と息をつく頃には、さきほどまでのぴりりとした空気は消えていた。
「こはねにも怒られちゃうし、私はもう帰ろっかな。彰人は?」
「オレもそうする」
「気をつけて帰るのよ、ふたりとも」
「ありがとうございます」
仕方ないか、と荷物の片付けを始める。もし眠れなければ、早く布団から出て外を走ってみればいい。
「どうしても眠れなかったら、羊でも数えてみたらどうかしら」
「あはは、それ、小っちゃい頃言われたな〜」
「あれって英語が元になってるから、日本語で数えても効果ないらしいぞ。冬弥が言ってた」
「あら、それじゃあ失敗ね」
メイコがくすくす笑った。
「私は数えるなら、──RAD WEEKENDを越えるまでの日数がいいかな。彰人もそう思うでしょ?」
杏が振り向くのに、彰人ははっきりと頷いてみせた。
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