ロード・オブ・ザ・ホットケーキ
水木は皿の上にホットケーキとパッケージのホットケーキを見比べ、口をへの字に曲げた。
「なにを間違えたんだ?」
卓の上、皿の隣に座る目玉の親父は腕組みして首を捻った。
「さっぱりわからん」
再度、皿と絵とを見比べる。湯気と共に立ち上る甘い香りと、こんがりしたきつね色。香りはともかく、焼き加減は同じといって良いだろう。だというのに。
「どうして、こうも固そうな上に薄っぺらいんだ?」
「うぅむ……」
水木作のホットケーキと、パッケージのホットケーキ。水木のホットケーキはまるで板のように薄く、硬さが目立った。対して、パッケージのホットケーキはふんわりとした厚みがあり、一口食べれば溶けるような柔らかさが想像できる。一方、水木のは噛むたびに顎が疲れるほどの硬さがありそうだった。
「まあ、初めて作ったんじゃし。こういうもんじゃろ」
目玉の慰めに、水木はきっと眦をあげた。
「説明の通りに作ったんだ。もう少し厚みがあってもいいだろう」
「なら、原因はなんじゃろうなあ……」
料理に疎い男二人は、手探りで検証を開始した。
「ワシは粉と水を混ぜすぎたのだと思う」
「バカを言え、混ぜないと粉っぽくなるだろ」
「そうかのう……」
納得いかない様子の目玉に肩を竦め、水木は指で顎を擦った。
「俺は、フライパンの温度にあるとみた」
「低すぎたってことかの?」
(仕組みはわからないが)ぱちりと瞬く目玉に、手と首を振って否定する。
「逆だ。焦がさんようにと弱火で焼いたが、そのせいでじっくり固くなったんだと思う」
「ウム。一理あるやもな」
ああでもない、こうでもない。互いの分析と考察を披露し、一つ一つ心当たりを挙げ連ねる。段々と討論に熱が入るその一方、哀れなホットケーキは着々とその身を冷やし、より固さを増してゆく。完全に冷めたわけではないけれど、湯気も格段に減り、出来立てとはほど遠い。このままでは冷えた固形物と化すのも時間の問題だろう。だというのに、男二人は傍らの悲劇に気付かない。原因の究明と対策に夢中になっているからだ。知らず声が大きくなる二人を引き戻すように、幼い声が割って入った。
「……父さん、水木さん、まだですか?そろそろお腹が空きました」
くう、と力なく嘆く腹に手を添えながら、鬼太郎が顔を覗かせる。細く、つやつやとした髪から覗く右目は伏せられ、目尻が赤く染まっている。
「二人には待っているよう言われましたが、その。だいぶ時間が立ったので……」
居心地悪そうに身動ぐ我が子の姿に、情けない大人たちは青ざめ、瞬時に謝罪をしはじめた。
「すまぬ、すまぬ鬼太郎!わしとしたことが……」
「揃って目的を忘れちまったな……本当にすまん」
これこの通り、と頭を下げれば、鬼太郎は慌てて手を振り、しゅんと眉を下げる。
「いえ、勝手な事をした僕が悪いのです。お二人が謝ることはありません」
あまりにも落ち着いた対応に、大人たちは子の成長と自らの不甲斐なさを突きつけられて視線が泳ぐばかりだ。よくぞまあ、こんなにいい子に育ったものだ、小さく、ふくふくとした赤子を脳裏に浮かべ、目玉のおやじは泣きに泣いた。迸る感情には抗えない。だって泣き虫なのだもの。おんおんとむせび泣く目玉はさておき、一足先に立ち直った水木は湿る目元をぐいと拭い。鬼太郎と視線を合わせるべくかがみ込んだ。
「鬼太郎。お前のために作ったものなんだ。見栄えは悪いが、どうか食べちゃくれないか」
くしゃりと撫でた髪は柔らかく、指通りは滑らかだ。光を反射し光る様は、養子が健やかである証明のようで。水木は鬼太郎をおぶって駆け回りたい衝動を耐えることに苦労した。しかしながらそこは営業。跳ねる心を押さえつけ、きゅうと口角を持ち上げた。
「僕のために、水木さんが?」
ぱ、と顔を輝かせる鬼太郎に、目玉のおやじは主張する。
「こりゃ、一人の手柄にするでない!ワシだって協力したろうが!」
「作り方読み上げて、あとはつまみ食いしてただろ」
「全部防がれたから未遂じゃ!」
ぴょんぴょん跳ねる目玉をぬるい目で見やり、水木は鬼太郎の背をそっと押す。
「とにかく、お前は居間で待ってろ。すぐにもっていく」
「わかりました」
弾んだ声を残し足音が響く。
――うちの子がこんなにもかわいい
親ばかどもは、今度こそ崩れ落ちた。
さて、鬼太郎を誘導したはいいものの、先のように待たせるわけにもいかない。水木の目配せに反応し、目玉はホットケーキに手をかざす。すると、赤子より小さい手のひらに、じんわりと熱が伝わってくる。
――いける
確信した目玉が一つ頷く。水木も得たり、と頷いた。あとは、行動するのみ。ホットケーキの上に四角、というよりは台形に近いバターを乗せ、スプーンを添えた小鉢にメープルシロップを注ぎ込む。
「もうちっと洒落たものはないんかのう」
「仕方ないだろ、そのうち一揃い買うからいいんだよ」
なにがいいんじゃ、ぼやく目玉を尻目に、小鉢と皿を盆に乗せる。コップに飲み物を注ごうとして、何をいれるか一瞬迷い、結局牛乳にしておいた。パンと牛乳があるのだから、ホットケーキともあうだろう。はやくホットケーキ用の食器と、ホットケーキにぴったりの飲み物を探さねば。脳裏に自身の給料と生活費を浮かべ、そこから予算を弾き出す。こだわりすぎなければ、それなりのものが買えるだろう。あとは己の腕を磨くのみだ。先に述べた失敗理由を元に検証していけば、納得できるものができるだろう。となれば、材料費も捻出せねば。こちらは長い戦いになるだろうし、なるべく安価ですませたい。脳内で算盤を弾きながら、盆を片手に居間へと向かう。ぎしぎしとなる床板も、心なしかはしゃいでいるようだ。浮かれた気持ちで襖を開ける。
「待たせたのう!」
「お前が言うのかよ」
眼の前に置かれた皿を見て、ことりと鬼太郎の首が傾く。
「これは……ホットケーキ……?」
確認しようと二人をみる。どちらも視線を宙に泳がせ、そわそわと身じろぎしている。
「お二人が作ったのですか」
「そうじゃぞ!ワシ、頑張ったんじゃ!」
皿の隣で胸を張る父と、一向に視線を合わせない水木。対象的な二人に口元が緩む。
「嬉しいです。……では、いただきます」
ナイフとフォークを手に取ると、水木が慌てて小鉢を差し出した。
「鬼太郎、先にシロップだ」
「はあ」
受け取った小鉢には、甘い香りのシロップ。とろりとしたそれをスプーンで掬い、バターの上からかけてゆく。既に溶け始めたバターと混じったシロップが、ゆっくりと生地に染み込んでいった。その様子に鬼太郎の右目がきらりと輝く。
「鬼太郎、鬼太郎!はよう食べぬか!」
「急かしてどうする」
すかさず突っ込む水木だが、こちらもちらちらと様子を伺っている。浮ついた二人に面映ゆくなりながら、ホットケーキを切って口へと運んだ。
生地の薄さからか、口に含んだ途端に途端にバターとシロップが溢れ出し、噛むほどにホットケーキの甘みと混じり合う。どことなく懐かしさを覚えながらも飲み込んで、ほう、と一つ息をついた。
「とても、おいしいです。こんなにおいしいものは、はじめてだ」
真っすぐな瞳で告げた感想に、目玉と水木は両腕を上げ喜んだ。
「やったのう、大成功じゃ」
「ばかやろう、まだまだここからだろ」
次は混ぜ方を変えてみよう、いや火加減の調整からだ。やいのやいのと騒ぐ水木と父。大切な二人が楽しそうで何よりだ。何よりである、はずなのに。心の臓がざらついて、体が冷えていくのがわかる。父と水木の楽しそうな様子を見ていると、鬼太郎の心の中にぽっかりと穴が開いたような感覚が広がっていくのだ。自分だけがその輪の外にいるような、取り残された心地に胸が締め付けられる。まるで、二人が自分の存在を忘れてしまったかのように感じてしまうのだ。三人ではしゃいでいる時は暖かく、柔らかな心地がするのに。それが、父と水木の二人になると、途端に息ができなくて、大声で泣き喚きたくなってしまう。きっと、仲間はずれにされたようで、淋しくなってしまうのだろう。自身の幼さに嫌気が差す。ため息と共に、ホットケーキを頬張れば、どろりとした感情が、腹の底へと落ちてゆく。
――さっきまで、あんなにおいしかったのに
てらてらと光るシロップが、なんだか嘲笑っているようで。八つ当たりに、ざくざくとナイフで切り刻む。そんな鬼太郎を嗜めるように、ぽすんと頭に手が乗った。
「どうした?もう腹いっぱいか?」
笑いを含んだ水木の声に、体の重みがすとんと落ちた。
「いいえ。その、食べてしまうのがもったいなくて」
水木はあからさまな言い訳を指摘せず、目元を緩めて喉を鳴らした。
「そんだけ気に入ってくれりゃなによりだ。とはいえ、暫くはこればかりになるから、飽きちまうかもしれないな」
出来の良いものを食わせたいが、それには練習が必要だしな。戯ける水木に、きっぱりと言い放つ。
「飽きません。お二人が作ってくれたものですから」
そうして、まっすぐに水木を見るものだから、無性に照れくさくなって。水木は咳払いでごまかした。
「……そうか」
「はい」
こくり、と頷いて再びホットケーキを頬張る。じゅわりと口に広がるシロップは、先程よりもずっと甘いものだった。
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