魔族の心得 - PP

「ピッコロさん! 一時間だけでいいんです、お願いできませんか!」
 電話口からそう叫ぶ悟飯に、ピッコロはすべてを理解してはあと深く息を吐いた。
 今日はビーデルが格闘技教室の日で、幼いパンのめんどうは悟飯が見ているはずだ。前回会った時から月と太陽が入れ替わった数を数えてピッコロはそう納得し、なにやら画面の向こうで盛大にひっくり返した音と悟飯がパンの名前を叫んで途切れる画面を冷静に見送った。おそらく悟飯の仕事の方で、何かしら不都合が起きたのだろう。そうして、片道三時間のかかる大学までの往復移動時間と用事を済ませるまでの間をピッコロにつないでほしいと、そういった要件が先ほどの一言二言で伝わった。わずかそれだけでピッコロが事情を汲めるほど、すでに何度も繰り返されてきたやりとりだった。
 サッと文字通り飛んでやってきた悟飯からパンを受け取り、瞬く間に飛んで行く悟飯を見送ってピッコロはまた溜息をつく。今回は戻ってきたときにはなんと言ってやろうか。叱ってどうにかなる相手ではないとわかっていても、やはり何か言ってやらないと気が済まない。むかむかと腹にわだかまる良いように使われている不満を説教としてこしらえつつ、ピッコロはパンを抱え直した。
「パン、昼は食べたか」
「はい!」
 元気のある行儀のよい返事に、ピッコロは口角を上げて頷いた。最近のパンは「おりこうさん」が最上の褒め言葉と学んだらしく、幼かった頃の悟飯を彷彿とさせる礼儀正しい言葉遣いを懸命に紡いでいる。一番の得意は自己紹介のようで、少し前にはすれ違う人すれ違う人へ名乗りあげて、ピッコロも十数回といわず何十回と「パンです! にさいです!」を聞かされた。
『今日のおやつです! 分けてあげてください。全部は×』
 パンが背負っていた小さなリュックを手に、ピッコロは「む」と小さく唸った。袋入りの菓子についた付箋に、悟飯の書き文字が走っている。テーブルの上、ピッコロのマントをベビーチェア代わりに腰を落ち着けたパンがおなじく「ム!」と声を上げて真似る。リュックの中を探ってみても器になるようなものはなく、仕方なくピッコロは指先でパンの隣へと小ぶりなボウルを出現させ、菓子袋を開けた。
「パン、おやつはいくつだ」
「おやつ、みっつ?」
「三つか」
 ようやく作れるようになったパンのピースサインは少し崩れて小指が立ち、口で言う通りの3を示している。なるほど、いつもは三つずつ食べさせているのか。ピッコロは最近短くした爪で砂糖をまぶした丸く小さいドーナツをつまむ。すると、パンが急に立ち上がり慌てたようにピッコロの手を取った。
「あ! ぜんぶつください!」
 全部つ。
 聞くなり、ピッコロの口からは己でも聞いたことがないようなゆるんだ笑みがこぼれた。ひとつ、ふたつ、みっつ、ぜんぶつ。胸中で数えて、ピッコロはおかしみに肩を震わせるのも堪えようとはしなかった。
「ふ……っくく、全部つか。昼も食べたと言ったのに、ずいぶんな食いしん坊だな」
「ぜんぶつくださいだよ? パン、おひるたべてないから」
 菓子の袋を懸命にのぞき込む、横向いた顔のまるみがピッコロの腹の底をくすぐる。堂々とした詭弁は嘘と呼ぶにはあまりに拙く、無垢で潔かった。
「こいつ、すでに立派な魔族だな」
「きゃあっ」
 鼻先をくすぐられ、鈴が鳴るような声でパンが笑う。ぎゅうとピッコロの腕に抱きついた小さなからだをそのまま引き上げて、ピッコロは片腕に抱き留めた。小鼻についた砂糖を四指の甲で拭ってやり、ひひひといたずらな色を浮かべる顔に顔を寄せて声を潜める。
「お前のパパには黙っておいてやろう。ひとり娘がこんな悪者だと知れば、ひっくり返ってしまうかもしれないからな」
「ないしょ?」
「ああ、ないしょだ」
 ボウルに溢れたあまい秘密は、きっとバレやしないさ。小さな魔族見習いに免じて、今日の説教は控えてやろう。




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